最終話 夏が来た

 あの事件から、2週間ほどが経過した。

 僕は病院での療養を余儀なくされた。それと並行してリミットブレークを起こしていないかを調べるため、何度か魔術能力規制委員会の人が来て何やら検査をしたりした。

 結果として、リミットブレーク寸前にまで達したことは間違いないが、ぎりぎりのところで起きなかった、と結論が出された。委員会の人は、「興味深い結果だ」「まったくもって奇跡だ」と目を丸くしながら繰り返しぼそぼそ言っていた。

 僕の体はと言うと、傷の治りが思ったより早かったらしく、病院は1週間ほどで退院した。

 退院後、僕は警察に呼ばれ、事情聴取を受けた。仕方ないとはいえ魔術を撃って広瀬や山沢を傷つけたのは間違いないので、刑事ドラマのように刑事に髪を掴まれ、卓上のライトを僕の顔面すれすれのところに突き出して洗いざらい話すように叱られる―――そういう馬鹿みたいなことを想像した。どうであれ、何か罰があることは間違いないと思って神妙な気持ちで聴取に臨んだ。だけど、それは取り越し苦労だったようだ。警察ではいたって丁寧に優しく接してくれた。何でも、魔術能力者が正規の手続きを踏んでいるにも関わらず無理矢理にリングが外された場合、情状酌量の余地があるのだという。今回はそのケースに当てはまったらしく、信じられないことにほぼ罰は被ることはなかった。

 そういうわけで、一応、僕の生活には日常が戻ってきた―――僕の中でもやもやが晴れぬままに。


「—――なるほど、その時に君はレベル5の魔術を使って彼の魔術を相殺したと、そういうわけだね?」

 僕は久々に東雲邸へ赴いていた。

 東雲さんは北欧風テーブルを挟んで反対側に座り、ICレコーダーを回しながらノートPCのキーボードをカタカタ叩いている。僕は東雲さんと向かい合うようにして座り、質問に答えていく。

 部屋にはクーラーが効いている。しかし、今日もまた外は雨降りだ。そのせいか、じっとりした空気の湿り気が肌にまとわりつく。

 少しだけあの事件の話を聞かせてほしい―――そのような言葉で、僕は東雲さんに招待されたのだった。東雲邸の前に到着した時にはかなり雨が強く、母親のN-BOXを降りてログハウスの入り口までは走っていく必要があった。そうでなければ、あっという間にびしょ濡れになってしまっただろう。母は仕事があったので、そのまま東雲邸を後にした。

「はい。警官の人の協力もあったんですけど、僕は何とか僕のリストリングを楠木に巻き付けて、ようやく爆発が収まったんです」

「なるほど・・・その時君は、レベル5の魔力を抑え込んでいたと、そういうことで良いかな?」

「はい、そうです」

 東雲さんは相槌を挟みつつ、淡々と内容を入力していく。

 その顔がいつもよりも妙に固く、話すとき以外は口も真一文字に結ばれている。やはり、ろくすっぽ魔術を操れない癖に、市街地で最大火力のスクウォートを開放したことに怒っているのだろうか。何だか雨の音までもがやけに耳にチクチク突き刺さる。

 東雲さんは少しだけ思慮を巡らせていたが、少しして大きく息を吸い、僕を見た。

「なるほど、色々と説明してくれてありがとう。とても参考になりました」

「え、はい・・・」

「続いて、少しだけ補足の質問をしたいのだが―――」

 僕は東雲さんの様子をチラチラと伺いながら回答を続けていた。

 それに気付いたのか、東雲さんはキーボードを打つ手を止め、訝しげに僕の顔を見た。

「どうしたのかね?何か不明な点でも?」

「えっと・・・はい、実はあります」

「そうか―――良かったら聞かせてもらえないか?」

 東雲さんは、パソコンの画面越しにこちらを覗き込んだ。その顔は、幾分か険しさが和らいだようにも見えた。とはいえ、僕を見据える目は未だを厳しさを緩めていないように見えた。

 じっとりと凝視されて、僕は頭が白っぽくなりつつも、どうにか言葉を繋いだ。

「先程も話した通り、僕はあの時、レベル5用のリストリングを奪われていました。普通であれば魔術を抑えられるはずはないんですが、最終的にはどうにか抑えられました。これは何故なのでしょうか?」

 あの夜、いきなり襲撃を受けた僕らはボロボロだった。その結果として、僕のリストリングが魔力増強のものだと勘違いした山沢に奪われた。正直なところ、あれで僕のリミットブレークは確定的だと腹をくくった。

 しかし、実際は抑えきれない魔力を漏らしたりはしたものの、僕はリミットブレークを起こすことなかった。それだけでなく、楠木を鎮圧する段に至っても、魔力を制御下に置くことに成功したのだ。病院で体を横たえている時、魔力規制委員会の人たちが奇跡だなんだと騒いでいたが、彼らの言葉はもっともだった。

 それは一体何故なのか―――僕はずっともやもやとしていた。色々と自分なりに考えたりもしてみたけれど、やっぱり分からないので、こうして東雲さんに聞いているわけだ。

 だけど、僕の期待とは裏腹に、東雲さんは自分の頭部を手で掴み、うーんと唸っている。

「私も、警察や委員会からの協力要請があったから色々調べているところなんだが・・・その時の情報が少なくてね。明確な答えを出すのが難しい、と言わざるを得ないんだ。申し訳ない」

「そう・・・ですか」

 軽く頭を下げた東雲さんを見て、僕は少し申し訳ない気分になった。

 要するに、その当時何が起こったのかよく分からないから、責任を持って答えを出せないということなんだろう。それは真っ当な応対である。

 とはいえ、心の調子が下向きに落ち込んでいくのがわかった。やはり、このモヤモヤを晴らすことはできないのか?あの日の出来事は、単なる偶然だったのか?

 僕が下を向いていると、東雲さんは一度大きな深呼吸をし、そっとノートPCを閉じた。

「しかし・・・私には何故君があの時レベル5の魔術を扱えたのか・・・何となく分かる気がするんだ」

「え?」

 思わず、素っ頓狂な声が出てしまった。

「本当ですか?」

「うん、まぁね」

「良かったら、教えてもらえませんか?お願いします」

 この心に蔓延るモヤモヤを晴れやかにする好機を逃したくはなかった。

 僕は椅子に座ったまま頭を下げた。

 東雲さんは少し逡巡してから、このように前置きした。

「ここからの話は研究者としてでなく、一MAPとして、私見が入り混じった意見として聞いてもらいたいのだが・・・」

「はい、わかりました」

 東雲さんはハッと気付いたようにICレコーダーのスイッチを切ってから、再び話し始めた。

「私は以前、魔道の強さというものは精神状態に依存する、と話をしたのを覚えているかな?」

「はい、覚えています。魔道は魔術を流れる管のようなもので、精神状態が良くなればなるほど魔道も広くなる―――確か、そうでしたよね?」

「そう。強い魔術を使うためには、それ相当の精神的土壌が無ければいけない・・・君がレベル5の魔術を使えたのは、端的に言えばその理論が如実に現れた結果ではないかと私は思っているのだ。あの時だけかもしれないが、君自身が自分の魔力を許容できたからこそ、あれだけ強大な魔力に翻弄されずに済んだ。私はそう思っている」

 静かに語る東雲さんの言葉に、僕は少し納得ができる部分もあり、一方でよく分からないところもあった。

 だって、僕は今までずっと魔術に対しての向き合い方が分からずにいたのだ。魔術能力なんて無くなってしまえと暗い気持ちになることも多々あった。僕の精神は常にズタボロだったというのに、あの事件の時だけレベル5を許容できるだけの精神的な強さが備わったとは、どうしても思えなかった。

「けど・・・けど、僕はいつもレベル5の魔術に悩んでばかりです。自分の強すぎる魔力とどのように付き合っていくか、あるいはその魔力が暴走して人を殺してしまったらどうするか―――これまでそればかり考えてきました」

 東雲さんは静かに僕の話を聞いていた。時折手に持ったマグカップを口に運びつつ、相槌を適宜打ったりしている。

「僕が強い魔術を使ったせいで、この前は母を泣かせてしまったんですよ?僕には、レベル5の魔術を抑え込んでいく自信なんかこれっぽっちもないんです」

「そう・・・それだ。君がレベル5の魔術を使えることができた理由は」

「え?」

 東雲さんは右手を小さく振り、僕を指さした。

「確かに魔道を考える上で、自身を信じ切り周囲にもそれを指し示すことは大事だろう。だが、魔道が強いということは、必ずしも勇敢さや自尊心と同義ではない。それらには、少なからず虚栄心や卑屈な精神、あるいは保身に関する事柄が絡んでくる事が往々にしてある。そういうほんの少しのマイナスなファクターが増幅し、人の心を蝕み、魔術を暴走させることだってある」

「・・・それは、楠木のようなMAPの事を言っていますか?」

 マイナスな精神状態に苛まれたと聞いて、まず楠木が思い浮かんだ。確かに奴には仮初であれ、強い魔術能力があった。しかし、僕の思わぬ能力の発現や、広瀬・山沢の無力化、仲間の裏切り、極めつけは上村からの理不尽な圧力―――奴の精神が極限状態に陥ったことは容易に想像ができた。

「そうだね。だが、彼だけではない。そのようにして破滅への道を辿った人間はこれまで何人もいた。それだけ、強い魔術を抑えるというのは難しいのだ」

 東雲さんが目を細めた。

 きっと東雲さんはそうやっていくつも大切なものや人を失い、ここまで来たのだろう。きっと、その中には僕の父も名を連ねていることだろう。

「それを踏まえて、君はどうか。もしかすると、未だに君は自信を持てないのかもしれない。だが、君は自分が内包する魔術から逃げず、真剣に思慮を巡らせた。それだけでなく、周囲にいる人たちに累が及ぶことを恐れ、その危険を晒さぬよう考え続けた。それは紛れもない事実だろう?」

「それは・・・そうかもしれないです」

 東雲さんの言ったことは、ほとんど間違いなく当たっていた。だから、僕は下を向いて頷くばかりだった。

「あの夜、君はレベル5の魔術を放つ決断をした。魔力によって周囲に被害が及ぶリスクを背負いながら、それでも使うことを決めた。それはなかなかできる決断ではない。君に強い心があったからこそだと思う。邪な思いを持たず、ただ一心に人のために魔術を使いたいと考えるに至った―――だからこそ、それは純粋に人を守りたいという心となり、魔道を大幅に拡張させたのではないか。私はそう推察している」

 確かに、僕はいつも悩んでいた。自分の強すぎる魔術をどうにかしようといつも考え続けては、どうすることもできず精神的に打ち倒される日々だった。魔術なんか消えて無くなってしまえばどうにか楽だろうか―――そういうことを毎日毎日、とにかく悩み続けた。そのうちにだんだん口数も減った。思い切り笑ったことなんて、もう何年の経験していない。

 だけど、言い換えれば僕は自分がMAPであるという事実といつも闘っていたのだ。闘い続け、考え抜いたからこそ、僕は金森君や蓮田さんというMAPである僕を心から信じてくれる友人を得た。そして彼らを守るために魔術を使おうという考えに至った。

 ほとんど意識していなかったけれども、僕はあの日、少しの間だけでも自分のレベル5の魔術を肯定できていたのではないか。自分の魔術を他の誰かのために使えるということに、強い自信を持っていたのではないか。

 楠木さんの話を聞いて、僕は思った。

 太ももに置かれた両手を再度ぎゅっと握る。

 それは怒りを抑えるためではなく、喜びを抑えるためであった。

「僕は・・・僕は・・・」

 喉が震えて声が出なかった。

 何かを言おうとしているのだけれど、声帯が上手く働かなかった。

「東雲さんの言う通りかもしれません。僕はいつも自分の魔術に自信が無かったんです。魔術を暴発させるかもしれない、いやもっと酷い場合は殺してしまうんじゃないかって・・・いつも怯えていました。だけど、あの時僕は自分の魔術を誰かのために使いたいと心のそこから思っていました。それだけは、自信があります」

 心からの声だった。それに対して、東雲さんは幾度が頷いた。

 涙が出てきそうだった。僕は手の甲で目をごしごしやって、どうにか落涙を抑え込んだ。

 それを見て、東雲さんが「よぉし、決めた!」と大きな声で言って手を叩いた。

「そんな君に改めて提案したい。私の下で、本格的にレベル5のスクウォートを制御するための鍛錬を受けてみないか?」

「え・・・?」

 やぶから棒な気分だった。何故なら、僕が東雲さんの指導を仰ぐことができるのは、もっとずっと先の話だと思っていたから。

「前に言っていただろう?君が自分自身に自信を持てるようになったなら、正式にレベル5の訓練を始められる、と。君はその時だけとはいえ、自分の魔術をありのまま受け止め、認めることができたのだ。君にはレベル5の魔術と共存できる素質が十分にある。どうだろうか?」

 笑みを浮かべ、東雲さんは椅子から立ち上がった。

 そして、僕に手を差し出してきた。きっと、握手を返すことをもって東雲さんの提案を受けた、ということになるんだろう。

 僕は一時逡巡した。しかし、答えは決まっていた。今一度、手の甲で顔をごしごし擦ってから答えた。

「僕は・・・東雲さんが言うような大層なMAPではありません。いつも魔術について悩んでいるばかりの平凡な人間です。だけど今は、友人たちを守ることができた自分の魔術を誇りに思い、それを最大限使ってみたい。そして、誰かのために役立てたい」

 一つ呼吸をしてから、立ち上がる。

 僕は、東雲さんの大きな手を握り返した。

「こんな僕ですが、宜しくお願いします!」

 晴れやかな気持ちだった。

 これだけ清々しい気分になったのはいつぶりだろうか。

 東雲さんも強く手を握り返した。

「よし、話は決まった!これからも定期的に私の家に来なさい。それから、私は平日は南部大学の下田キャンパスにいることが多いから、そちらにも遊びにおいで」

「はい!ありがとうございます!」

「これからはビシバシ行くからね」

「えぇ!本当ですか?!」

「ははは、冗談だよ」

 僕と東雲さんは笑いあった。東雲さんがこんなに快活に笑うところは初めて見た。僕は僕で、ここ数年の中で一番大きく笑った。

「おや・・・」

 何かに気づいたのか、東雲さんはゆっくりと窓際へと歩いていった。そして、窓枠に手を置き、首を突き出して外の様子を眺めている。

「どうしたんですか?」

「雨―――止んだようだね」


 東雲邸を訪れた次の日。

 県下の梅雨明け宣言が地元ニュースで伝えられた。

 次の日からは、これまで数週間にわたり曇りや雨降りだったことが嘘のようにカンカン照りだった。

 朝から自室の中は既に暑い。

 僕は真新しい制服に着替え、昨夜にやっておいた課題をバッグに収める。

 それを背負うと、内容物ががさりと音を立てる。


 僕が玄関に向かうと、ちょうど母も洗面台でお化粧や髪を整えているところだった。

「母さん!僕先に出てるからね!」

「うんわかった。瑞樹、今日は東雲さんのところに寄ってくるんでしょ?何時位になりそう?」

「うーん、多分6時くらいには買ってくると思う。今日は南部大学で東雲さんに会ってくるから」

「それじゃあ、帰ってきたらお風呂掃除お願いね、いってらっしゃーい」

「行ってきまーす!」

 母とのやり取りはいつもこんな感じだ。

 だけど以前と違うのは、僕が帰宅途中に寄るところが増えたということだ。

 それは東雲さんの研究室だったり、あるいは金森君と遊んだりするからだ。

 僕はアパートのドアを開けて、外へ飛び出た。


 肌を焦がすような太陽に照らされ、僕は藍沢北高校へ至る長い道を歩く。アスファルトから反射された熱気をもろに受けて、じとりと背中が汗ばんだ。

 朝の通勤を急ぐ車の横を、大量の北高生が歩いていく。生徒たちは談笑しながら、足早に校門へ向かい歩いていく。

 僕はその中に紛れて、一人歩いた。

 ここまでは今までと同じ。だけど、やっぱりここでも僕には変化があった。

 歩道を進んでいくと、少し膨らみのある場所がある。ここはバス停になっていて、ちょっとした空間になっている。そこは北高生のたまり場になっていて、互いに会話をする者や、誰かを待っている生徒が見受けられた。

 その中に、僕は僕の友人を見つける。

「あ、おはよう酒匂君!」

 僕に向かって手を振る生徒―――金森君だ。

 いつもギリギリに登校する金森君なのに、今日は不気味なほど早い。何せ僕より早いのだから。

 彼を見つけて、僕は小走りで走り寄っていった。

「おはよう金森君。今日は早いんだね」

「いやぁ、今日は朝っぱらから暑くってさぁ!二度寝しようとしたけど寝苦しくて起きちゃったよ」

「確かに!しかし、もうすっかり夏本番って感じだなぁ」

 そんな他愛のない話をしながら歩いていると、別の道から大量の北高生の群れが合流してくる。その中から蓮田さんがやってきた。

「おはよう!酒匂君!金森君!」

 アウトドアブランドのリュックに、茶色のローファー。いつもの蓮田さんのスタイルだ。だけど、夏の太陽の下だとより一層輝いて見える。

「おはよう。それじゃあ、学校に向かおうか」

 僕ら三人は学校に向かって歩き出す。

 最初は、それこそ最近は暑いという話や、今度の模試の話、この前の事件の話などをしていた。

「そういえば、あれから楠木や上村はどうなったんだ?あの事件以降、何の音沙汰もないようだけど・・・」

 僕は一切聞いていないので首を傾げたのだけど、蓮田さんは事情を知っているらしく、うーんと唸った。

「それなんだけど・・・私が聞いた話だと、どちらも退学するみたいだね。リミットブレークを起こした楠木君は長期間療養するみたい。それと上村さんは街を出ていくみたいだよ?隣県の定時制高校に転学するんだって。あと、二人の周りにいた人たちもしばらく停学になるみたい。今日あたり、正式に発表があるんじゃないかな」

「うん・・・そうかそうか。いずれにしても、これで二年四組にも平和が訪れそうだな」

 金森君はほくほく顔で喜んでいる。彼もまた、楠木や上村からの理不尽な扱いの被害を受けてきた人間なのだ。その二人が姿を消すことが嬉しいらしい。

 僕はと言えば、もちろん嬉しかったけど、単純な喜びを感じるということはできなかった。

 退学―――その非日常的な文言に少しびっくりしたが、彼ら二人には当然の罰であるように思えた。

 停学中に好き勝手外をほっつき歩き、とどの詰まりはあの事件だ。

 うちの高校のお偉いさんたちも、とうとう堪忍袋の緒が切れたということだろう。それにしても、もっと早い段階でぶち切れているべき案件だったとは思うが、そこは金持ちの楠木が絡んでいたせいだろうか。今となってはどうでも良いが。

 しかし、一歩間違えれば楠木が辿った軌跡は僕のものになっていたやもしれない。それを考えると、僕はいつも冷や汗が噴き出る。

 そういう破滅的な末路にならなかったのは、この二人の存在があったことが大きい。僕は、この二人には感謝してもしきれないほどの思いを感じている。

「ねぇねぇ、ところでお二人さん―――」

「ん?」

「何だい、蓮田さん?」

 蓮田さんがにやにやとしながら僕ら二人の顔を見ている。

「折角こうして仲良くなれたことだし、今年の夏は三人でどこかに遊びに行こうよ!」

 彼女の顔は明るかった。それを見て、僕の気分も明るくなった。

「それ名案だね。金森君はどうだい?」

「酒匂君―――そりゃあ愚問ってもんだぜ?もちろん、みんなで遊びに行きたいよ!うーん夏と言えば海かなぁ・・・しまった!僕は泳げないんだった!じゃあ山かなぁ。いやいや、僕は大の虫嫌いだった!」

「ちょっと!結局全部ダメじゃん」

 三人の笑い声が、暑い朝の空気に溶け込んでいく。

 僕は無意識に自分の魔術抑制リングを擦っていた。僕はこれからも魔術と生きていく。父さんが見ることができなかった景色を、母さんや東雲さん、そして金森君や蓮田さんたちと見ていくつもりだ。


 僕らの街に、夏が来た。

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灰色の水塊 No.2149 @kyohei0528h

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