第2話 ミカコとリナ
バタバタと席に戻り始めるクラスメイト達、教室の外に出ていた子達も小走りで席に着く。
ミカコは、前から二番目、廊下側の席に腰を下ろした子に視線を送りながら、微かに口角を上げた。
不思議に思って、私も同じ方に目を向けると、見覚えのある姿。
ショートカットの少し色が抜けた髪。
横顔は、あまり凹凸がなく、ペチャっとした鼻。
先ほどの、リナとの話題に上がった、ハルカだ。
横顔からは表情が読み取れないが、ミカコは違うみたい。
先程からハルカを凝視して、指先で机をトントンと叩きながら、ハルカを頭の天辺から足先まで舐めるように見ている。
「……ふぅん。」
ミカコは口の端を釣り上げ、舌先でちろり、と唇を湿らせた。
高鳴る鼓動に、私もきらりと輝いた。
◯
終業の合図を告げるチャイムの音が鳴り響き、教室の中は、蜂の巣をつついたかのような騒音に満たされた。
ミカコは手早く身支度を済ませ、教室を出る。
チーズケーキのように黄ばんだ壁の校舎を出ると、何故かミカコは、いつも通
る正門ではなく、東門に向かっていた。
「あれ?アンザイさん、どこ行くの?」
リナの声が聞こえて、ミカコの足が止まった。
「アンタには関係ないでしょ。」
「えー、そんなこと言わないでよー。うちら友達じゃん。」
友達、と言われ、ミカコに動揺が走ったのが心臓の音でわかった。
「アンタみたいな、ブスと友達な訳ないじゃん。」
上擦った声で吐き捨てるミカコ。
「ひっどーい!私、ブスじゃないしー!!」
「ブスだし、ブス!」
「もー!そう言うアンザイさんは老け顔でしょ!?」
「はぁ!?ウチのどこが老け顔だし!!」
ミカコが友達と軽口を叩き合う姿に、私は驚きを隠せない。
「どこに行くかくらい、教えてくれてもいいじゃん!ケチ!」
「ケチ!?ウチに喧嘩売ってんの!?」
「さっき色々教えてあげたんだからいいじゃん!」
ミカコはグッと押し黙った。
そして、バクバクとした鼓動を整えるためにか、二回ほど深く息を吸って吐いた。
「……プールに行くだけだし。」
「プールに?なんで?」
ミカコは面倒くさそうに頭をかいた。
「ちょっと気になることがあるだけ。それだけだから、もういいじゃん!」
話を打ち切ろうとするミカコに、リナはニヤニヤと笑って、ピッタリとミカコの右側に張り付いた。
「私も行くー!」
「はぁ!?」
「なぁんか、面白そうな予感がするんだもん!」
「ふざけんなし!ブスは寄んな!」
「ブスじゃないから嫌だよーん!アンザイさんの言う事は聞きません!」
リナは、意地悪そうに笑い、ミカコの腕を引く。
最初は抵抗していたミカコだが、目的地に近づくにつれて、抵抗が弱くなり、
結局リナに右腕を引かれるがままに重い足を進めた。
所々、塗装の剥げた壁と、到底綺麗とは言い難い曇ったビニールの天井。
プール特有の匂いが鼻をかすめ、湿気が多いのか空気が肌にまとわりついているかのように重くうっとおしい。
「汚なっ。」
顔を歪めて吐き捨てるミカコ。
「年季入ってるよね〜。」
一際、大きく剥げている塗装の部分を指で掴み剥がすリナにミカコは汚いものを見るように目を細くさせる。
ミカコは、リナの存在を無視するかのように真横を通り過ぎた。
リナは塗装を剥がすのに夢中なのか、ミカコに置いていかれたことに気づいていない。
隅に苔が張り付いた階段を上り、誰もいない玄関にたどり着く。
「くさっ」
ドアを開けると、刺激臭が鼻にツンときた。
「塩素の匂いキツい!どんだけ入れてんのって感じ!」
置いてきたリナがいつの間にか背後に立っていたのか、ミカコが顔だけ後ろに向ける。
そして、リナの言葉にミカコはため息で返事をした。
「逆だし。」
「え?何が?」
リナがぽかんと首を傾げて間抜けな顔をするのでミカコはもう一度、小馬鹿にするように、ため息をした。
そして、間抜けな顔のリナに、ミカコは面倒臭そうに口を開く。
「プール特有の匂いがするのは塩素が少ないって事!塩素がと溶けると次亜塩素酸って物質になって殺菌作用が生まれんの。そんで、プールで泳いでる奴らの汗やらでアンモニア性窒素が結合してクロラミンって言う物質が作られるの、このクロラミンが臭いの原因って事。」
「えー、なんか難しい話は遠慮しとく。」
リナが引き気味にミカコから離れるので、ミカコの頬はピクピクとしていた。
「馬鹿なアンタにもわかるように教えてあげる。くっさいプールの臭いは、プールん中で小便やら汗が大量に混ざってるって事!」
引き攣った顔でリナが止まった。
「き、汚っ!!」
今日見た顔の中で一番不細工な顔を晒すリナ。
コロコロと自由自在に表情筋を操るリナを軽く尊敬する。
「その情報知らない方が幸せだったかも。」
ミカコの後ろ姿を恨めしそうに睨みながら、着いていく。
入り口付近に、下駄箱があったので、リナは履いていたスニーカーに手をかけたが、ミカコは気にせず土足で足を踏み入れた。
そんなミカコにリナは目を剥く。
「ちょっ!!アンザイさん!!土足禁止!!」
「床が、汚い方が悪いし。」
聞く耳を持たないミカコにリナは慌てる。
「もう!ギャルでもそれはダメだって!」
リナなりのギャルの定義があるのか、ミカコの足にしがみつく。
うざったそうな視線を送りながら、攻防する事、数十秒。
ミカコが折れた。
「わかったから、離れろし!」
心底嫌な顔をしながら、履いていたローファーを乱暴に脱ぐ。
その姿にリナは満足そうに鼻から息を吐いた。
ムッスリとした顔のままのミカコは練習場のプールに着くまで黙りとしていて、リナが話しかけても無視していた。
まるで子供同士の喧嘩だわ!と思ったけれど、ミカコもリナも、まだまだ私からしたら子供だと気づいて、思わず微笑が溢れる。
「やっぱり、サトウさんいないね〜。」
少し曇って汚れている、窓からプール内の様子を覗きながら、リナはそう言うと、窓ガラスに額がつきそうなほど近くに寄るので、ミカコは一歩、退いた。
水が軽やかに弾ける音や、水面へと大きく叩きつけられるような鈍い音が耳に抵抗なく入ってくる。
ザバザバ、と水をかく耳に残る水の音は、とても心地好かった。
「ところでさ、アンザイさんって何しにプールまで来たの?」
パッ、と思い出したかのように振り返るリナ。
ミカコは視線をリナから外し、プールサイドに目を向けた。
水面が、まるで半透明の青いゼリーに見え、反射した光が眩しい。
ミカコも眩しかったのか、目を細くさせてそちらを見ていた。
ミカコの視線を追っていくと、ある位置で目を止めた。
「ねぇ、あれ、何してんの?」
あれ、と指差すミカコに、私とリナは目を向けた。
五人の部員が、床に敷かれた青いマットの上に仰向けで寝ていた。
「あーー、多分筋トレじゃないかな?」
適当そうに言うリナ。
仰向けで寝ている部員たちは、掛け声と共に、腹筋をしたり、足をパカパカと左右に開いて動かしたり、リナの言う通り、確かに筋トレしていた。
ミカコが、何故か拍子抜けしたような顔をして軽く舌打ちをした。
それから無言の時間で、興味深そうに練習を見るリナとは反対に、清潔とはいえない場所に立っているミカコは居心地が悪そうに、ずっと眉間にシワが寄っていた。
数十分経ち、まばらに筋トレを終えた部員たちが立ち上がったのを見終えると、ミカコは踵を返し、玄関に向かって歩き出す。
その時、リナが下手な口笛を吹いた。
「ボール使って筋トレすんだ〜。」
ミカコの足が止まり、心臓の音が大きく一回波打った。
汚れないように慎重に歩いていた先程とは違い、大股でズンズンと足早にドアの前まで戻り、リナが覗いている窓の反対側に顔を近づけた。
先程より少ない人数で筋トレを再開する部員達、仰向けになり、膝を立て、その間にボールを挟んでいた。数秒ほど内側に締めて、戻すを繰り返している。
さっき立ち上がったのは、ボールを取りに行ったからか。と一人納得していると、私の上でミカコは目をキラキラさせて、口元に笑みを浮かべている。
その様子を、リナも見ていたのか不思議そうに口を開いた。
「なになに?なんかあった?」
「まぁね。」
含み顔のミカコにリナは詰め寄るように聞いてきた。
「私にも教えてよーー!」
「嫌だし。」
「もう!顔に違わず意地悪だね!アンザイさんって!」
頬を膨らませ不満を表すリナ。
ミカコは、どうでも良さそうな顔をしていたが、少し考え込む動作をしてから、また口角を微かに上げた。。
「教えてやってもいいけど、交換条件だし。」
指を一本立てて、リナの前に差し出すミカコ。
「ほんと!?あとで嘘でしたって言うのは無しだからね!」
「うち、嘘は言わないし。」
ミカコの言葉をなに一つ疑い様子のないリナは、首を何度も縦に振って、何をすればいいか、早速問い詰めた。
リナは満面の笑みで
世界で一番、イイ子なミカコ 寿元まりん @jmt_mrn1003
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