第14話 血に濡れた腕-ちにぬれたかいな-
「何を言っている。有り余るほど話をしただろう」
「これから生まれてくる子供たちのため? 若者のため? 僕のため?」
「そうだ。わたしは若者たちを導く立場にあった。しかれど、未来に希望はない」
この星は常に活動しているのだ。
「環境は著しく変化し我々、人間でさえも適応出来なくなっている」
けれど、どうだ。人間は未だに小競り合いを繰り返し、人類の存亡の危機にまったく向き合おうとはしない。
「お前が生まれて、わたしは己の考えをいっそう、強くした。全ては生まれてきたお前の──」
「その子どもに、父さんは平気で人殺しを頼むんだね」
「──っわたしが、動ける体ならもちろん、自分で行動していた。お前を信じていればこそ、心苦しい事を頼んだのだ」
「そう」
気のない返事をしたあと、再度ベリルに向き直る。
「僕は、解ったんだよ」
「何がだ」
ハロルドは手の震えを抑え、か細く聞き返した。
「ベリルを捕まえて、これでもう大丈夫と思いながらも、ずっと心の奥底で聞こえていた声の主」
あれは、僕だったんだ──無駄だと繰り返し聞こえた心の声は、僕の声だったんだ。
「そうだよ。無駄なんだ。彼を洗脳しようなんて」
「トラッド、何を言うんだ」
人類の未来のためには、ベリルを指導者にしなくてはならない。世界をまとめ、導いてもらわねば人類は滅びてしまう。
「僕は、ずっと父さんの傍にいたけど、どうしてだろう。父さんに愛されたと感じたことが一度もないんだ」
ひたすら言われたことに従い、それが正しいことだと信じていた。
それは、愛されているからだと、信じていた。
「本当は誰一人、愛してなんか、いないくせに」
そんな人が、どうして人類を救うだなんて大それた理想を掲げたの?
「何を言っている」
共に理想を実現しようと誓っただろう。
今になって、どうしてお前がそんな事を言う。
「ベリルにはね、大切な家族がいたんだ。それを、父さんが全部、奪った」
父さんはそれに謝ることもなく、自分の思考だけをベリルに押しつけた。
「彼に、そんな人間らしい感情なんて、ないと思っているんでしょう?」
それを見たとき、父さんはとても残念がったものね。
でも、ずっとベリルを見てきた僕からは、当然の感情だと思ったよ。彼はあまり表情には出さないけど、本当は感情豊かなんだ。
「僕の人生はベリルだけを見てきた。ベリルが僕の全てだった」
その言葉にハロルドはハッとする。
人類のためにその身を捧げ、ベリルのために生きるのだと教えた。幼少の頃から何度も、何度も刷り込みをした。
「ま、待て。トラッド。確かにベリルのためにとは言った。だが、それは同時に我々のためという事だ」
「へえ? 今さら、自分たちも入れろと言うの?」
「ち、違う。お前は思い違いをしている」
「何も違わない」
父さんたちは、ベリルの邪魔でしかない。
でも、
「君は優しいから。みんなを殺せない」
でもそれは、君自身が危険だ。君の秘密を知る人間は生きていちゃいけない。
「だから、僕が代わりに殺してあげる」
「トラッド、よせ」
ベリルを一瞥し、ハロルドに向き直る。
「それぞれが問題に向き合い、取り組み。努力し、工夫して作り上げていかなければならない事を、僕たちはベリルに丸投げしようとしていただけじゃないか」
穏やかな笑みを浮かべたとき、通気口からガスが吹き出した。
青年たちは慌てふためき、彼の手にあるガスマスクに目をやるがベリルを捕らえるために育てられたトラッドに挑める者など、いるはずもない。
「みんなには悪いけど、父さんと同じ苦しみを味わってもらうよ」
この神経ガスは効き目を弱くしてある。
「ゆっくり死んでいくように作った」
言いながらガスマスクを装着するトラッドにベリルは苦い表情を浮かべた。
「何故、こんな事を」
「それは、ガスマスクのことを言っているのかい?」
本当に神経ガスなら皮膚からも吸収される。最後まで残るのはトラッドだとしても、化学防護服を着ない限り最終的には死ぬことになる。
「ト、トラッド。いつから──」
「そうだね」
ハロルドの問いかけに低く答える。
「ベリルについて学んでいくうちに、気がつけば僕のなかには、もう一人の僕がいた」
父さんの願いを叶えるために僕は必死に訓練した。
けれどベリルを知れば知るほど、訓練をすればするほど、僕のなかに矛盾が生じていく。
父さんのために。ベリルのために──整合性を取ることが出来なくなり、それぞれに
「僕のなかで共生しながらも、互いに激しく争いあっていた」
結果、どちらが勝ったのか現状を見れば解るよね。それから僕がベリルのために何をすればいいのか、すぐに解ったよ。
言い終わり、目を伏せていたトラッドは視線をベリルに向けた。
「君は優しすぎる。どうして、そこまで人間を信じられるのか。僕には解らない」
今も、君に酷いことをした僕らを救いたいと考えているんだろう? なのに、人の命を奪う罪を背負う覚悟もある。
「大抵の人間は、どちらかしか受け入れられない。矛盾した意識だからだ」
君は君自身の正義であると割り切って行動している。その正義を貫くことで、誰かに恨まれる覚悟を持っている。
人を殺すという罪を背負わなければならない現実が罪であるのに、それを自分の罪として永遠に背負うことに躊躇いがない。
君は自分の行動を決して正義とは呼ばないだろうけれど、僕には正義に見える。
「沢山の血を流し痛みに耐え、誰かを救い、少なくない命を奪ってきた」
それでも、世界は変わらない。
君はこんなにも苦しんでいるのに、世界はまったく無関心だ。
「神様は意地悪だよね」
君を生み出しておいて、君に数え切れないほどの苦しみを与えている。まるで、君の苦しむ姿を楽しんでいるようじゃないか。
「それとも。いずれは自分の
だったら、やっぱり神様は意地悪だ。
「トラ──ッド。考え、直せ」
ハロルドは鼻水を垂らし呼吸困難になりながらも息子に手を伸ばして懇願する。しかし、トラッドはそんな父親を冷ややかに見下ろした。
「ここはもう、いらないね」
苦しみだした青年たちを見回し、吐き捨てるようにつぶやいた。
「跡形もなくなるように計算して爆弾を設置した」
追い打ちをかけるトラッドの言葉に一同は絶望に震える。
「あと十分ほどで爆発するよ。その水槽は
「トラッド!」
「だめだよ。僕は、君の秘密を知りすぎた」
中に入れと示すベリルの目に、例外はないと笑って拒んだ。
「よせ!」
ベリルの制止も聞かずガスマスクを外す。
「やっぱり最後は、君をちゃんと見ていたい」
痙攣を始めたハロルドたちを確認して、腰の後ろに手を回し取り出したハンドガンの銃口を自らのこめかみに突きつける。
「馬鹿な」
私に不利になるものを集め、見極めろとでも言うように目の前で破壊するのか。
そんなことは認めない。あまりにも身勝手だ。
「愛しているよ」
誰よりも君を愛している。
見せた笑みがあまりに清々しく、ベリルの脳裏に強烈に焼き付いた。
トラッドはベリルの表情に満足したのか迷うことなく
「トラッド!」
倒れ行くトラッドの姿は爆発で見えなくなった。
──破壊しつくされた
どうにか埋もれた体を起こしたベリルの前には、
「何故だ」
何故、いつもこうなる。
私のために、どれだけの命が失われなければならないのか。神というものが存在するのなら、彼らがどうして死ななければならなかったのかを問い
「人の命のうえにある自由など、誰が欲しいものか」
ベリルは流された多くの血に喉を詰まらせて空を仰ぎ、まだ残る火薬の臭いに顔をしかめながら重い足取りでその場をあとにした──
END
あやつりの糸 河野 る宇 @ruukouno
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