◆最終章
第13話 選んだ未来
「君が教祖なら、その宗教はきっと上手くいく」
唐突なトラッドの話にベリルは目を丸くしながら赤ワインを傾けた。
ワインに合う料理が乗せられた皿を見下ろし、トラッドの行動に眉を寄せる。奴は何がしたいのか。
「これまで最高、何人の傭兵を指揮したの?」
顔をしかめたまま答えないベリルとしばらく目を合わせる。
「僕の知る限りでは、百人だっけ。正確には百二十二人」
知っているなら何故、訊いたとベリルの眉間のしわが深くなる。そんな様子にトラッドは声を上げて笑った。
「君がここに来てから、どれくらい経ったかな」
まったく変化がなくて、こっちはがっかりだよ。
ベリルはそれに薄く笑う。従えないものには抗うしかない。ハロルドがやろうとしている事は、見えない虐殺だ。
「いい加減、観念してくれないかなあ」
溜息を吐き、無言でワインを飲むベリルを眺める。
本人に愚痴を吐いている場合じゃないけど、残された方法を考えると躊躇してしまう。あれをやってしまえば、もう後戻りは出来ない。
「大勢を動かしたときの快感はなかったの?」
「なんだそれは」
馬鹿な質問をするものだと呆れられた。でも、
「解らない。君は今や、強大な力を手にしている。なのに、どうしてその力を誇示しないの」
君のスポンサーは富豪だけでなく、国家にまで及んでいる。それだけの能力が君にはあるのに、どうして握った権力を振りかざさない。
「私が望むものではない」
──たったそのひと言が、トラッドの脳裏にこだました。
「あくまでも、人を救うための力だと、言うのか」
力を持った人間は、いつか必ずそれに溺れる。それを律するために側近という存在がある。それでも、制御がきかなくなる事はしばしばだ。
「君は、やっぱり僕たち人間とは違う」
手にした権力は全て他者のために使われている。増大する力を、冷静に眺めていられるなんてあり得ない。
人間の寿命でならそれは理解出来る。けれど、君は不死だ。変わらぬまま十年、その権力を振りかざすことがなかった。
「育った環境が今の君を形成したんだろうね」
そう言い切ってしまえる訳ではないけど、憎しみで満たされていれば真逆の道に進んでいた事は
勝手に造られ、自由もなく閉じ込められ、学びを強制され。それでも、彼から憎しみは感じられない。
何もかもを割り切って生きていた。君にとっての雑音を排除したことで、希望や輝きといったものを見いだした。
「もしいま、A国が君の正体を知って」
戻ってこいと言われたら──
「君は、素直に従うんだろう?」
広く名の知れた君をA国が連れ戻す可能性は低い。それでも万が一、そんな日が来たら君は抵抗なんかしない。
「そうやって、君は限りなく受け入れて、許していくんだ」
死ぬ事が出来なくなったいま国に戻れば、A国が存在する限り君に自由はない。不死の究明にと、非人道的な実験や研究が成されるだろう。
閉じ込められ、実験を繰り返される君を──僕が、許せるはずがないじゃないか。
──二日後
ハロルドは痛みによる説得の準備を同志たちに命令した。
この数日、トラッドの自由にさせていたが、ただお喋りをしているだけにしか見えずハロルドは苛立ちを募らせていた。
息子を信じてはいるものの、行動が遅すぎると業を煮やしトラッドに声を掛けることなく痛みによる洗脳を実行しようとしている。
息子に断りを入れなければならない理由などないのだから、勝手に進めても文句を言われる筋合いはない。
──青年たちの戸惑いはベリルからよく見て取れた。
平静を装ってはいるが、強ばった面持ちと並べられる器具に何をやろうとしているのかは一目瞭然だ。
ハロルドやトラッドとは違い、誰かを傷つける事への恐怖心や罪悪感を拭う決意や割り切りはないだろう。
ベリルは拷問器具を並べる青年の微かに震える手を見やり、彼らを後戻りの出来ない状況に追い込むつもりかと
成功すれば彼らはハロルドの言葉だけを信じ、死ねと言えば自ら命を絶つほどの人間になるだろう。成功すればの話だが。
もちろんベリルには、それを成功させるつもりも洗脳を受け入れるつもりもない。拘束されているからと、何ひとつ出来ないと考えているなら間違いだ。
準備が整えば催眠ガスが送り込まれる。次に目が覚めたときには拘束されているだろう。
「父さん」
ふいに背後から声を掛けられ振り返る。
「トラッドか」
「やるんだね」
「うむ。そろそろ頃合いだろう」
いつもの明るい息子ではないことに若干、ひっかかりはしたがそんなときもあるだろうと気には留めなかった。
トラッドは準備に忙しいハロルドにそれ以上話しかけることはせず、ゆっくりと水槽に近づく。
「ねえ。聞かせてほしいな」
ベリルはトラッドの雰囲気が今までと違うことに眉を寄せる。
「ここから逃げ出せることが出来たら、君は父さんだけは殺そうと思ってた?」
「さあ。どうだろう」
無表情に答えたベリルに口元を吊り上げた。
「少なくとも、沢山の命を奪った報いは、受けさせるつもりだろう?」
聞こえた言葉にハロルドと青年たちの手が止まる。
「トラッド。何の話をしている」
ハロルドの問いかけを意に介さず、水槽に手を添えて続けた。
「君に会えて良かった」
その笑みにベリルはぞくりとして立ち上がる。何をするつもりだ。
「トラッド──?」
言いしれぬ不安にハロルドの心臓がドクンと大きく
「それは」
何を、持っている。
「ねえ、父さん」
どうして人類を救おうだなんて、考えたの?
「教えてよ」
そう問いかけるトラッドの瞳は、ひびの入ったガラス玉のように不気味な光を宿していた。
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