最終話 右サイドを駆け上がれ!(練習試合後半)

 前半が終了してベンチに戻ると、バシっと桜先輩に頬を引っぱたかれる。

「どうしてメルのことを叩いたかわかる!?」

 泣き出しそうな目で先輩を見ると、先輩も顔をくしゃくしゃにしていた。

「私が……、イエローカードをもらってしまった……からです」

 たどたどしく答えると、「違う」と先輩は否定する。

「一生懸命のプレーを誰も責めたりしない。問題はカードをもらった後。なんで死ぬ気で走らなかったの!?」

「だって……」


 私は言葉を濁らせた。

 頭の中では言い訳を一生懸命用意し始めている。

 ――イエローカードをもう一枚もらったら退場でチームに迷惑かけちゃうし、相手のフォワードもめちゃくちゃ速かったし……。

 しかし桜先輩の言葉は、そんな雑念をすべて吹き飛ばしてくれた。


「メルは憧れだって言ってたよね。子供の頃に見た背番号2が」

 先輩の視線が私を射貫く。

「メルは今、背番号2を着けてるの。子供の頃のあなたが、さっきの背番号2を見たらどう思う?」


 はっとした。

 たとえ無理でも、精一杯のプレーを貫いて欲しいと願っただろう。

 子供の頃の私なら。

 私の中の背番号2は、そういう存在だったから。


 なんで私、諦めてしまったんだろう。

 イエローカードなんて、くそくらえだ。

 自分が最も嫌いなプレーを、よりによって憧れの背番号2を着けたその日にやってしまうとは……。


「ありがとうございます。私、目が覚めました」

 だから私は先輩に進言する。

「後半はもっとキツいパスを下さい。私が追いつけそうもないめっちゃキツいやつを」

「わかったわ」


 私たちの反撃が始まった瞬間だった。



 後半は、開始から膠着状態が続く。

 お互いのディフェンスは疲弊し、ラインも完全に守備的になって下がってしまった。選手間の距離は間延びしてしまい、決定機を作れないままボールの保持合戦で時間は消費されていく。

 そして後半三十分。

 一番きついこの時間に、桜先輩は攻撃のギアを一段上げる。


『いい、後半三十分を過ぎたらスルーパスを出すよ。メルは死ぬ気で走ってね』


 ハーフタイムに先輩はみんなに提案した。

 死ぬ気って、本当に死にそうだ。呼吸をするたびに鉄の味がする。


『スルーパスは絶対、三回は成功させてみせる。裏が取れれば香月が出てくる。メルは香月を引き付けてからセンタリングを上げて。その三回のうちの一本を絶対決めよう!』


 本当に無茶言ってくれるよ。

 まあ、言い出しっぺは私なんだけど。

 スルーパスを三回成功させるためには、最低その三倍はスプリント全力疾走しなくちゃいけないだろう。

 運よくディフェンスラインの裏に抜け出ることができても、その後でキャプテンを引き付けなくちゃいけない。

 その上でセンタリングを上げるなんて、まさに無理ゲーじゃん。

 でもやらなくちゃいけない。私には走ることしか能がないんだから。



 まず一回目のスルーパス。

 これはまだ甘い。サイドバックが対処できると判断したキャプテンはゴール前に構えたままだ。

 センタリングを上げてみたものの、案の定、キャプテンにクリアされてしまった。


 二回目のスルーパス。

 これはキツいのが来た。私はディフェンスラインの裏に完全に抜け出した。

 対応するキャプテンが私に迫ってくる。

(前半の借りを返してあげるから)

 ――顔を狙ってセンタリングを上げてみようか。

 ――手に当たったらPKペナルティキックをもらえるかも。

 なことを考えていたら、あっという間に詰められてしまった。

(なんとかスタミナで突破できないか……)

 ボールを動かしたり止めたりして揺さぶりを掛ける。そしてキャプテンの動きが止まった瞬間、左足で長めのボールを出し、ボールが外に出てしまうギリギリの位置でセンタリングを上げる。

 が、キャプテンにスライディングでカットされてしまった。


 人工芝に座るキャプテンが、不敵な笑みを浮かべながら私を見上げる。

『今のあなたには無理よ』

 まるでそう言っているようだった。


 一体どうしたらいい?

 早めのセンタリングもダメ、キャプテンを引きつけてもダメ。

 手詰まりだ、今の私には無理なんだ。

 

 その時の私は、よほど暗い顔をしていたのだろう。

 近寄ってきた桜先輩が、「ナイス!」と労いの声を掛けてくれた。

「これでいいのよ。コーナーが取れたんだもん」

 そう言ってもらえると、すごく心が救われる。

 先ほどのプレーで、私たちはコーナーキックを獲得していた。最低限の仕事をしたという先輩の心遣いに「最高のパスでした」と私は親指を立てる。

 するとすれ違いざまに、先輩がアドバイスをくれた。


「あとね、メル。まだ前半を引きずってるよ。ハーフタイムに言ったように、戦うべき相手をしっかりと見極めなさい」


 守備の位置に戻って、コーナーキックの行方を見守る。そして私は考える。

 きっとまだ、心の内がプレーに出てしまっているのだろう。

 ――今日、私が戦うべき相手。

 それはずっとキャプテンだと思っていた。

 私の足を認めてくれたキャプテン。

 彼女の壁を越えてこそ、その恩に応える行為だと考えていた。


 でもそれは違うんじゃないだろうか。

 悪く言えば、それは私情だ。チームプレイではない。

 ハーフタイムに桜先輩は言っていた。子供の頃の自分の見せられるプレーだったのかと。


 そうか、そうなんだ。

 子供の頃から憧れだった背番号2。

 その背中を見つめる瞳に勇気を与えるプレーをしなくちゃいけないんだ。


 それならば。

 黄葉戸に入学してから今まで身につけたすべてを出そう。

 子供の頃の自分に、頑張ったねと言ってもらえるように。



 コーナーキックは相手キーパーにキャッチされてしまい、試合が再開する。

 時間は後半四十分。

 チャンスはあと一回くらいだろう。


 敵はあからさまなパス回しで時間稼ぎを開始した。

 黄葉戸は最後の力をふり絞ってボールを追う。みんなもう、体力は限界を突破しているはずだ。先輩方の頑張りには頭が下がる。

 すると桜先輩がボールを奪取した。

 刹那、私は右サイドを駆け上がる。チラリと振り向くと、先輩と目が合った。

『頼むよ、メル!』

 渾身の桜先輩のスルーパス。この試合で一番キツいコースだった。


 これに追いつけなければチャンスはない。

 血の味がする肺に酸素を送り込み、私は必死に手を降った。

 敵の左サイドバックの脇をすり抜け、ディフェンスラインの裏のスペースでスルーパスに追いつく。ゴールを向くと、キャプテンが迫っていた。


 ――私の敵はキャプテンじゃない。


 私は桜先輩のフェイントを思い出す。

 あのプレーがしっかりとできればいいんだ。それ以上のことを望む必要はない。

 

 手を振って右足を振り抜く――と見せかけ、地面に着いた右足でボールを止めて左足で動かす。そんなフェイントにも引っかかることなく、キャプテンは私の意識を集中させていた。


 それならば、もう一回。

 私は再び手を振って右足を振り抜く――フリからボールの上に右足を置き、足裏を使って後方にボールを転がした。キャプテンの体勢とは完全に逆側の、誰もいないスペースへ。


「えっ!??」


 困惑するキャプテンの表情。

 まさか左足に持ち替えるとは思っていなかったのだろう。

 そんなことはどうでもいい。


 くるりと体を反転しながら、私はゴールとキーパーの位置を確認する。

 キーパーは前に出ている。その後ろのスペースに、必死の形相で味方が走り込もうとしていた。


 ――こんなにきつい状態なのに、みんなが私を信じて走ってくれている。


 だったらきちんと届けなくてはいけない。

 このボールを、ゴール前のみんなのもとに。


 左足でのキックの体勢に移行しながら私は思い出す。かつて桜先輩が掛けてくれた言葉を。

『スイートスポットに当たればちゃんと飛ぶでしょ?』

 これから慣れない左足を使う。足のどこに当てるかが重要だ。

 まず右足を踏み込み、しっかりとした土台を作る。

 そして腰を回しながら、左足に意識を集中させた。


 私の左足のスイートスポット。

 麻由と一緒に何千回も練習して習得した場所。

 だから必ずできる。

 子供の頃の私に、成長した姿を見せてあげる。


 キャプテンは慌ててスライディングをしてくる。

 が、私には届かない。

 左足の親指の付け根に正確に当てたボールは、ふわふわとゴール前に飛んでいった。


「さあ、頼んだよ。先輩方」


 しかし全く予想外のことが起きた。

 キーパーの頭の上を越えたボールは、そのままゴールに吸い込まれていったのだ。

 それはまるでスローモーションを見ているかのように。


 ゴール!


 えっ、入っちゃったの?

 左足のスイートスポットに当てたセンタリングが……?


 呆然とする私に、突然誰かが横から抱きついてきた。

 この香りは――桜先輩。

「やったね! メル!!」

 まさかゴールに入るとは思わなかった。

 まさに無欲の勝利。子供の頃の私だって驚きのプレーに違いない。

 と言っても、勝ったわけじゃないんだけどね。


 試合はそのまま、一対一の引き分けで終了した。

 日本代表相手にしては上出来の結果だった。



「まさか、左足に持ち替えるとはね……」

 試合終了後の挨拶のあと、すれ違いざまキャプテンが恨み節を漏らす。

 この試合が原因でキャプテンがU-18メンバーから外されたら申し訳ない、と一瞬思ったが、そんな情けは無用ということもこの試合で私は学んだ。

 すべては実力勝負。

 私ももっともっと練習しなくちゃいけない。



 後日、驚きの展開があった。

 私は突然、U-15メンバーに選ばれたのだ。

 インドで行われる予定だったU-17ワールドカップが延期となり、中止になった場合も想定して、次の二〇二二年の大会に備えて早めに代表を招集することになったという。

 ちなみにU-15の監督は、U-18と同じ監督だった。


「実はね、香月が監督に進言して実現したらしいよ。あの時のうちとの練習試合」

 後になって桜先輩が教えてくれた。

 まさか私の足が監督の目に止まることを狙って、キャプテンが尽力してくれたとか?


 そんなことは分からない。

 もしそうだとしたら、プレーで恩返しすればいい。

 キャプテンからのスルーパスに追いつくことで。

 そしてキャプテンへのセンタリングという形で。


 ――その時、なでしこジャパンの背番号2を背負っていますように。


 私の夢は動き出したばかりだ。





 おわり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

右サイドを駆け上がれ! つとむュー @tsutomyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ