第7話 できるもんならやってみなさいよ(練習試合前半)
ピーっと笛が鳴って練習試合が始まった。
キャプテンは予想通りセンターバックだった。
それよりも驚いたのが審判だ。さすがは日本代表。練習試合といえどもちゃんと資格を持った方が審判として派遣されている。笛の音色はもちろん、ラインでの旗の上げ方も全く違って見える。
それにしても相手はみんな上手い。
足に吸いつくようなトラップに加えてボールも保持でき、パスや判断のスピードも速い。そりゃそうだ、日本代表なんだもん。
ボールを奪いに行くとするりとかわされる。かといって、積極的に奪いにいかないといつまでたっても攻撃することはできない。チームの体力はどんどんと奪われていく。
しかしその事が逆に、私から、いやチームから迷いを消した。
数少ないチャンスを、すべて右サイドへ縦ポンしてくれたのだ。
――味方がボールを奪ったらとにかく走る。
私ができることは、これだけだった。
何度かディフェンスラインの裏に抜けることができた私は、ゴール前にセンタリングを上げる。
が、それはことごとくキャプテンに弾き返されてしまった。
(悪い予感が的中しちゃったなぁ……)
まあ、これは最初から予想されたこと。
めげずにこの攻撃を続けていくことが重要なんだ。
その甲斐あって、相手のラインがじわりじわりと
(ふふふふ、ここまでは作戦通りかな)
守備の圧力が弱まれば、相手が日本代表といえども黄葉戸はボールを持てる。桜先輩も、
「優しすぎるよ、桜先輩……」
私に配慮してくれているのか、コースもパススピードも甘い。だから楽々と追いつけてしまうのだ。つまり、敵もすぐに詰めることができるということ。
「あーあ、キャプテンからのパスなら、ディフェンスラインの裏に完璧に抜け出せるのに……」
意地悪だと思っていたパス。でもそれは、私の能力を最大限に活かしてくれるパスだった。
桜先輩のことを悪く言いたくはないが、私のことを本当に理解してくれていたのはキャプテンだったのかもしれない。
でも、今そんなことを言ってもしょうがない。今のキャプテンは敵なんだし、パスを供給してくれるのは桜先輩なんだから。
前半も終盤に差し掛かると、相手も疲れてきてだんだんと自由に走れるようになってきた。
調子に乗った私は、ドリブルで中に切れ込んでみる。センタリングを上げても弾き返されるのが目に見えているからだ。
すると長身の選手が鬼気迫る形相でこちらに向かってくる。目が合う。キャプテンだ。
『私を突破できるもんならやってみなさいよ』
ニヤリと口角を上げるキャプテンは、そう言っているような気がした。
(なら、やってやろうじゃないの)
挑発に乗ったことを、後で深く後悔することも知らずに。
キャプテンと対峙して最初に思い出したのが、桜先輩のセンタリングのフェイント。あのシーンは今でも鮮明に覚えている。
ならば、
(まずはセンタリングと見せかけて……)
右足を振り上げ、蹴るフリをしながらボールの前に着地させ、すぐに左足でボールを動かす。
が、キャプテンはそんな付け焼刃のフェイントに引っかかることはない。
(でも、これを何度か繰り返せば、絶対に突破できるはず)
長身のキャプテンは足も長い。
どんなにボールを動かしても、するするとキャプテンの足が伸びてくるのだ。
(何とかして、この足をかわせないものか……)
少し無理な体勢でボールをまたぎ、前方に右足を着地させようとした時――キャプテンの左足が私の右足首を狙って伸びて来た。
それは数か月前に重度の捻挫を負った箇所。
無意識のうちに右足を引っ込める。が、そのために私は体勢を崩し、前につんのめる形で倒れこんでしまう。と同時に、ピピーッと笛の音が鳴った。
「えっ、もしかして……!?」
慌てて上半身を起こすと、私が倒れていたのはペナルティエリアに入ったところだった。
ということは――
黄色のカードを手にしながら、主審が私とキャプテンのもとへ駆けて来る。
まさか、うちのチームが先制点のチャンス!? 日本代表から!?
やったよ、麻由。キャプテンの壁を――突破することはできなかったけど、崩すことができた。
さぞかしキャプテンは青ざめていることだろう。やっちまったという感じで。
まあ、実際にはキャプテンの足は私の右足には当たってないから、ファールじゃないって擁護してあげてもいいんだけど……と人工芝に手をついたままキャプテンの表情を見上げると、「バカめ」と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべて私を見下ろしている。
(何、その余裕?)
不可解に思いながら立ち上がると、さらに不可解な出来事が私を襲う。
主審は私に向って、イエローカードを提示したのだ。
「ええっ、私!?」
何が起きているの分からなかった。
審判がカードの裏に何かを書いている。きっと私の背番号なんだろう。
(なんで、なんで? ファールをもらうのは、先に足を出してきたキャプテンの方じゃないの!?)
するとキャプテンが吐き捨てるようにつぶやいた。
「シミュレーションよ。わざとPKを得ようとする行為。メルはもっとサッカーのこと勉強した方がいいわ」
何だって?
私がシミュレーション!?
いやいやそれは、キャプテンが足首を狙ってきたら避けただけで、私は決してわざと転んだわけじゃない!
呆然とする私に先生から怒声が飛ぶ。
「何やってんだメル。すぐに再開するぞ、戻れ、戻れ!」
整理できない心を引きずりながら慌てて自陣に戻る。
なんで、私が?
どうしてイエローカード!?
納得できない。誰かにちゃんと説明してほしい。
そんなプレーに集中できない気持ちが動きを鈍らせてしまったのだろう。そこをキャプテンに狙われてしまった。
センターバックからのロングフィード。
私の背後のスペースに落ちたボールに、オフサイドぎりぎりのタイミングで相手のフォワードが抜け出した。
「やられた! これはかなりヤバい」
私は相手の背中を追いかける。
しかし先ほどのイエローカードは、私の雑念をどんどんと増幅させていく。
――危険なプレーで止めたら一発退場。
――ファールで止めてもイエローカード二枚目で退場。
しかも敵は速い。さすがは日本代表のフォワード。この位置からでは追いつけそうもない。
完全に詰んだ。もう私にできることはない。
そう思った瞬間、桜先輩から怒声が飛んできた。
「芽瑠奈、諦めるな!」
今までの私なら、NGワードに鼓舞して能力以上の力を発揮していただろう。
でもダメなんだ。
鼓舞すべき心が死んでいた。
溢れてきた涙で、追いかける敵の背中が滲んでくる。
そんなこと言われても、もうダメなんですよ。
私にできることは、もう、何もない……。
目の前のフォワードは、手を後ろに降ってシュート体勢に入る。
嗚呼、この腕を掴んで後ろに引き倒してやりたい、と思う間もなく、左足のシュートが炸裂する。
「お願い! 弾いて!! キーパー!!!」
その願いはむなしく、ボールは味方ゴールに吸い込まれていった。
前半終了間際。
私たちはU-18に一点を先制されてしまった。
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