俺っちの大仕事

 やあ、良い子のみんな! 俺っちはプン! よろしくね!

 あ、今笑ったやつ。名前が変だからか? それとも馬鹿っぽい挨拶だから? あのなあ、これは全て君たちを……おっと、余計なことは言う必要ないね。時間の無駄だ。

気を取り直して、今日は俺っちの仕事を紹介するよ! まずは俺っちのいる場所をよく見て。一面真っ白だろう? ここ綿みたいな素材で構成されているんだよね。雲の上にいる感じ。なんでこんなさ、目がおかしくなりそうな空間かというと……。

「プン。プンはどこ?」

「あ、はいはい。ここにいますよ、スーナ様」

 俺っちは慌てて女の人の前に跪く。

 この人は俺っちの主人。純白で柔らかい素材のワンピースのような服を着て、地面に届くくらい長い金髪を持つ、すごく綺麗な人さ。

「仕事です。もうそろそろ少女がここに着くので、あなたが相手をしてください」

「了解でっす。今日も元気百倍、頑張ります!」

「はい。いってらっしゃい」

 スーナ様の見送りを受けて俺っちは真っ白の空間を歩き始める。

 こんな俺っちでも、スーナ様はめっちゃ信頼してるんだぜ? さっきの会話聞いたろ? いやーやっぱ俺っち、て・ん・さ・い?

 おっと、そんなこんなで目的地到着! といってもさっきの場所からそんなに離れてないけど。今俺っちの目の前にあるこれまた真っ白の扉。ここから今日のお客さんが出てくるんだ。

 あ、まだ俺っちの仕事内容教えてなかったっけ? まあいいや。見てればわかるよん。

 さてさてさーて。扉が開き始めた。開くと同時に白い煙が出てくるところなんか神秘的だ。煙が全部放たれると、扉の向こうに少女の姿が見えた。肩あたりの長さのショートヘアに、セーラー服を着ている。なかなかに可愛いらしい顔立ち。それで何々? 地球住みの日本人の高校二年生。竹内紗那ちゃんね。

 紗那ちゃんは眩しそうに目を開けて、不思議そうにこの真っ白い空間を眺める。それから扉の中から外へ一歩踏み出した。

「ハロー!」

 紗那ちゃんの目の前に飛び出して背筋を伸ばす。俺っちの存在に初めて気づいたみたいに見つめてくるけど、驚きの声も恐怖の声も上げない。図太い子なのかな。それとも心の中で怯えてる?

 あっ、そういえば俺っちのこと話してなかったね。俺っち実は鬼なんだ。右側の額に角が二本生えてる。いくら俺っちが身長小さくて童顔でも、初見はどの人も驚くんだけどな。まあいっか。そんなことより仕事、仕事。

「君は何を後悔してるんだい?」

「……別に何も」

 せっかく勢い込んで言ったのに。でもこの質問に困惑するのは誰でもそうか。あれ違うっけ? みんなは知ってる? ……って知るわけないよね。

 紗那ちゃんはこちらから話し出すのを待ってるみたい。よし、ジェントルマンの俺っちが優しく導いてあげよう。

「じゃあここのことを説明するね。ここはこの世とあの世の狭間!」

 紗那ちゃんは眉をひそめるだけ。やっぱり感情を表に出さない子なのかも。寂しいなあ。

「やっぱりわかりづらいよね。でも説明が難しくてさ。あ、そうそう。君は自分のこと覚えてる? 直前に何してたとか」

「……私、自殺したはずなんだけど」

 ぶっきらぼうとも困惑とも取れる口調で紗那ちゃんはしゃべった。

「うん。ちゃんと記憶は残ってるね。上出来。じゃあ次の段階に移るね」

 空中で手を振ると、白い空間に画面が浮かび上がる。

「これから君の人生を振り返るよ。この画面を見てて」

 実は俺っち、ここに来た人の記憶を覗いて、映像に映し出せるっていう能力を持っている。だから紗那ちゃんの名前も年齢もわかっちゃったってわけ。

 怪訝な顔で紗那ちゃんは見つめてくるけど、俺の仕事だからごめんね。というか人様の人生を他の人に見られるとかも最悪だよね。大丈夫! プライベートなシーンは飛ばすからね!

 パチッと指を鳴らすと、紗那ちゃんの十六年間が画面に流れ始めた。二人で並んで黙って眺める。

 小学生の頃は特に何も問題はない。友達と楽しく過ごしている。本当はよく笑う子みたいだ。どうやら知らない場所ではかなり警戒して心をなかなか開かないみたい。誰だってそうかな。

 次は中学生。中学生の頃もあまり問題はなさそうだなぁ。少し死にたいとかは思っているっぽいけど、それも軽いものだし。すぐ忘れちゃうくらい。友達と楽しく遊んで、成績も優秀で。クラスも恵まれてるみたいだ。いい三年間を過ごせたね。

 ちらっと紗那ちゃんを窺うと懐かしそうに目を細めていた。でもすぐに嫌そうに顔を歪めた。次の映像が高校時代ってわかってるんだもんね。

 ここまで特に問題がなかったってことは、高校時代に何かあったと言うこと。思い出すのは嫌だろうけど、これを見なければ君は先に進めないから。

 高校生。最初の頃はみんな知らない人ばかりで学校通うのが憂鬱そうだけど、すぐ慣れたみたい。毎日楽しそうだ。

でも、やっぱりどこかでストレスが溜まっていってるのかな? 紗那ちゃんは完璧主義で頑張り屋さん。だから中学生の頃のように勉強面でスラスラとはいかないこと、気にしてる。それでも俺っち的には成績とか悪くないように見える。先生も紗那ちゃんのこと褒めてるし。それでも紗那ちゃんは自分に厳しい。全然うまくいかないって、自分のこと認めてあげられないみたい。

そもそも紗那ちゃんは自分自身のことを嫌っているようだ。性格も容姿も何もかも。それも原因の一つではあるのかな。

高校生になってから死にたいのレベルが上がってしまった。具体的な死に方とかも考えてる。これは軽いうつかな。思春期ならではかもしれない。もとから暗い気持ちの日は、本当に辛そう。ちょっとしたことでイライラして、それから泣き始める。自分の情緒不安定さも嫌なようだ。

紗那ちゃんを横目で見ると、恥ずかしさと苛つきの混じった視線を画面に向けていた。画面の中の映像だから、俺っちは紗那ちゃんに何もしてあげられない。今この場で隣の紗那ちゃんに声をかけても、何の意味もなさないだろうし。

苦しんでいるのは紗那ちゃんなのに、俺っちもすごく心が痛い。仕事ってわかっているのにな……。

再び画面に目線を戻す。紗那ちゃんは友人関係も少し悩んでいる。高校に入って、仲がいい友達はたくさんできたよう。けれど心からっていうくらい仲がいい子がいないのが、少し気にかかっている。周りの子は大体二人一組となる人を見つけているのになって。羨ましさがあるみたい。そもそも紗那ちゃん、人をなかなか信用できないから、自分から壁を作ってるっぽいなあ。けど本人は気づいていない。

部活はテニス部。忙しくて勉強の時間が取りづらいみたい。それに思うような成績も残せない。部活でいい成績残している人もいるのに。忙しい部活でも勉強できる人はいるのに。

勉強面と友情面。それから部活と、紗那ちゃんの中にストレスが徐々に溜まっていく。お母さんとうまく接することができないのも、ストレスとなった。塵も積もれば山となる状態だよ。なんてこった。もとからマイナスな方向に考えすぎる面もあるから、負の連鎖が断ち切れない。

……けど決定打がない。鬱期にはそれこそ死にそうなくらいだけど、それを乗り越えて朝になれば平気みたいだ。そうやって上手に自分と付き合ってる。偉いぞ、紗那ちゃん。

映像はどんどん進んでいって、ついに自殺当日までやってきた。運が悪いことに鬱期じゃないか。よりにもよって! この日に何かあったんだ。いったいどんなきっかけが……。

『紗那、もう俺に近づくなよ』

これだ。

立花慎也とかいう紗那ちゃんの幼なじみくんが発した言葉に、映像を見ていた紗那ちゃんがぴくっと反応する。

再び指を鳴らして映像を一時停止する。

紗那ちゃんはこの幼なじみくんのことが好き。小さいころからよく一緒にいて、この人生を振り返る映像の中でも一緒にいることがよくあった。しかし健気に想い続けても、照れて本心は言い出せず。

それなのに幼なじみくん! なんてタイミングの悪い! どうしてそんなひどい言葉を言ったんだ! 映像見る限り同級生にちゃかされたか何だかって感じだけど! 本心じゃないんだろうけど!

まあ、でもとりあえず自殺の理由はわかった。俺っちは映像に視線が釘付けになった紗那ちゃんに向き直る。

「嫌な記憶を見せちゃってごめんね。でも次が最後。次の映像は、君が死んだあとのこと」

 紗那ちゃんがえっという風にこっちを向く。その顔を見ながら小さく頷いた。それからまた指を鳴らす。

 最初は、家族。

 画面に紗那ちゃんが飛び降りたビルの真下が映し出される。お菓子や花束、手紙などたくさんのものが、太陽に照らされて光っている。そんな供え物の前に一人の女性がしゃがんでいた。紗那ちゃんのお母さんだ。

『紗那……どうして死んじゃったの……?』

 お母さんが、辛く歪んだ表情のまま、供え物に向かって問いかける。当然、返答はない。

『お母さん、全然わからないんだ……お母さん、失格ね……』

 ポツリ、ポツリと、呟かれる言葉は、小さな雫となって地面に染みていく。

『きっと知らぬ間に傷つけてたのよね……なのに気づいてあげられなかった……』

 お母さんの顔はもう涙でぐちゃぐちゃだ。それでも言葉を止めない。

『お母さん、ちゃんと紗那の話聞く……それで改善するから……だから……』

 お母さんは言葉に詰まってしまった。嗚咽を漏らしながら、溢れる涙を拭っている。

 しばらく経って、ようやく涙が収まってきたようだ。

『戻ってきて……』

 すると、小さな小さな声が、届いた。

 横の紗那ちゃんを窺うと、驚いたように目を見開いていた。俺っちはもう一度指を鳴らす。

 次は、友達。

 画面は切り替わり、紗那ちゃんのクラスが映し出された。紗那ちゃんの机の上に花瓶が置かれ、その周りに紗那ちゃんと特に仲の良かった友達が数人集まっていた。

『紗那……どうして自殺なんか……私、知らない間に何か傷つけちゃったかな……』

 ショートヘアの子が涙声で呟く。その隣にいた凛々しい顔立ちの子が、その涙声の子の肩をそっと抱いた。

『紗那はさ、いつも明るく笑ってくれて……本当は我慢をたくさんしてたんだろうね……』

『もう紗那がこの世にいないなんて信じられない……そんなの嫌だよ……』

 前髪の長い子が両拳を握りしめ、花瓶をじっと見つめる。力強い目から大粒の雫が零れ落ちる。するとそれを皮切りに全員に涙が伝染していった。ショートヘアの子なんか凛々しい子の胸の中で声を上げて泣いている。

『紗那……紗那……』

『戻ってきてよ……うちら寂しい……』

『紗那……』

 紗那ちゃんの名前がこだまのように何回も呼ばれる。

 紗那ちゃんは辛そうに歪んだ表情で画面を見つめている。けして目をそらそうとはしないんだね。俺っちはもう一度指を鳴らした。

 最後は、幼なじみくん。

 画面に紗那ちゃんが飛び降りたビルの屋上が映る。そこには幼なじみくんがしゃがんでいて、唇を噛みしめながら俯いていた。

『……おれの言葉が、原因なんだよな。紗那……』

 幼なじみくんが屋上のコンクリートをそっと撫でながら呟く。その瞳には生気がなく、暗く淀んでいた。目の下には隈があって、今回の事件がこたえているんだろうと予想できる。

『くそっ!』

 すると幼なじみくんは急に拳をコンクリートに叩き付けた。いきなりの感情爆発にびっくらこいたよ。

『違うんだよ……あれは本心じゃない……』

 一言一言を絞り出すように、目の前にいない少女に話しかけている。幼なじみくんは紗那ちゃんがこの言葉を聞いてるなんて知らない。苦しみは、相当だろうな。

『ごめん、紗那。ごめん……』

 紗那ちゃんは涙をこらえて唇を噛みしめていた。下手したら血が出ちゃうよ、紗那ちゃん……。

『何度でも謝る……これからは傷つけたりしない……。だから頼む……』

 幼なじみくんの顔は前髪に隠れて見えない。それでも、顔に光るものは見えるよ。

『戻ってきてくれよ……』

 紗那ちゃんの瞳からついに涙が一筋零れた。けれどその瞳は悲しみに淀んでいるわけじゃない。後悔、悲哀、そんな感情を超えて前に進もうという光を宿している。俺っちはその顔を見ながら、指を鳴らし映像を止める。

「もう、わかった?」

 俺っちが問うと、紗那ちゃんは小さく頷く。

「……私、本当は死にたくなかったんだ。地面に叩き付けられる直前、本当は後悔していた」

 紗那ちゃんより背の低い俺っちを、紗那ちゃんはじっと見つめる。

「気づいてほしかっただけなの……。苦しいって、辛いって」

「うん」

「でも……私……不器用で……」

「うん」

「それで……慎也に……あの言葉を……」

「うん」

「……そしたらね……何かが……破裂して……」

「うん」

「気づいたら……あそこにいたの……」

「うん」

「もうどうでもいいって……どうせ私のことなんか誰もって……」

「うん」

 紗那ちゃんが涙を流し、つっかえつっかえ話すのを、俺っちは黙って聞いていた。もう話すことはなさそうかな? 紗那ちゃんは希望のこもった視線を俺っちに注ぐだけ。まあ、こんな映像見せて、本心も言わせて、そりゃあ期待するよね。俺っちは紗那ちゃんの前で、腕を振って画面自体を消した。

「一度したことってさ、取り消すことは無理だよね」

 酷いくらいの笑顔で言葉を吐き出すと、紗那ちゃんの顔はやっぱりって感じで歪む。うんうん、その顔。みんないつもそういう顔するよ。

「じゃあ、なんでこんな空間あるんだと思う?」

「後悔に、気づかせるため……?」

 俺っちはいつもそうやって落としてから――

「うん。後悔に気づかせて、前に進ませるため」

 上げる。

 紗那ちゃんの顔がぱっと明るくなる。この顔が大好きなんだ。希望に満ちた顔は、本当に素敵。

「もう二度と同じ過ちはしちゃだめだよ」

「うん」

 ここに来た時とは全くの別人。とても素敵な笑顔だから、魅力がさらに増してるなあ。

「そこの扉を潜ったら、君が自殺する少し前に戻れる。ここの記憶は無くなるけどね」

「わかった」

 紗那ちゃんは涙を拭いて、扉に向かう。決意を固めた表情はすごくかっこいい。紗那ちゃんが扉にそっと触れると、ひとりでに開いた。そのままそこを潜って帰るのかと思ったら、紗那ちゃんは振り向く。

「ありがとう」

 切なさと希望の満ちた笑顔が俺っちに向けられた。

 その瞬間、既視感を感じた。

 ……わかった。なんでこんなにこの子に肩入れしちゃうのか。

 この子、姉ちゃんに似てるんだ。容姿も、性格も。自殺した、姉ちゃんに。

 今の表情、言葉、自殺前の姉ちゃんそのものだ。

「どういたしまして」

 いつまでも待たせるわけにはいかないから、軽く頭を振って姉ちゃんの幻影を追い払う。それから俺っちも精一杯の笑顔を向けて、紗那ちゃんを送り出した。

紗那ちゃんはきっともうここに来ることはない。それは俺っちが胸張って言えること。だから、少し寂しい気もするな。

 扉が完全に閉まるのを見届けてから、はあっと息を吐いた。

 どう? これが俺っちの仕事。最後に補足説明!

 ここにお客さんとしてくるのは、後悔に気づかずに自殺した人。そして俺っちみたいにここで働く人は、強い後悔をもって自殺した人。この空間は両者を救うためにある。

客は自分の後悔に気づいたら。働き手は自分の後悔を認めて、自分を赦せたら。さっきの紗那ちゃんみたいにここから巣立っていくのさ。

あ、ここは時が止まってるから、年齢とかは気にしなくても平気! 俺っちここでは永遠の二百三十歳だし! いくら長くここにいても、現世に戻るときは自殺前のまんま!

「もうそろそろ赦してもいいんじゃないですか」

「あ、スーナ様!」

 いつの間にか隣にスーナ様がいた。やっぱり綺麗だなあ!

「プン……」

「まだ駄目ですよ。俺っちは」

 悲しそうな顔のスーナ様に笑いかける。レディーにこんな顔させる俺っちって罪な男。

 でもまあ、スーナ様が心配するのも無理ない。俺っちは働き手では一番の古株。同時期にここに来た人たちはみんなもうとっくに巣立って行った。

 それでも、俺っちは自分を赦さない。苦しんでいる姉ちゃんに気づかないで、自殺も止められなかった自分を赦せるわけないよ。それに、俺っちはあの時と変わらず、臆病なままだからさ。まだ、戻れない。

「……わかりました。では、これからもよろしくお願いしますね?」

「はい! これからもバリバリ働きますよー!!」

 俺っちの大声が真っ白な空間にわんわん響いた。

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あの世とこの世の狭間で 燦々東里 @iriacvc64

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