第5話 神の死

 それから、そそくさと電車移動である。専用のリムジンでも待っていたら対応できなかったところだが、九王沢さん、電車派らしい。そう言えば車内で本を読むのが楽しみらしく、バッグから数冊の文庫本を取り出して、回し読みしていた。


 そして降りたのは、都内でも比較的家賃のお値打ちな下町。これも意外だった。



 陽が落ちて、巷は少し遅い夕食時だ。てっきり外食するのかと思いきや、九王沢さんは商店街の入り口の老舗スーパーへ。そこで、何やら食材や日用品を買い込んだ。まるで若奥様である。しかも、ちょっとした量を。


「普段から自炊してるんですね、九王沢さんて…」


 依田ちゃんは感心したようだ。一人暮らししてると思うのだが、誰も家に来ないなら、自炊なんてあまりしなくなるのである。


 もちろん金欠のときは別だが、それでもいちいちご飯を炊くのだって、面倒くさいのである。しかしこれで三食完備の全寮制の線は、かなり薄くなってきたように思えるが、


「でも待てよ。ちょっと、多くないか、一人にしては…?」

「そうですか?」


 カップラーメンやレトルト食品は、日持ちするので一人用と言っても買い込んで不思議ではないが、妙なのは紙コップや使い捨てのお皿などをカートに入れていたことだ。


 ありえないとまでは言わないが、食器がない家ってあんまりなくないか…?



「もしかして、自宅へ帰るのではないのでは…?」


 依田ちゃん、また突飛なことを言う。そんなこと言ったら、じゃあどこに?ってことになるじゃあないか。


「誰か友達のところへ泊まる…とか」

「友達って誰よ」


 依田ちゃんは、やたら大げさに首をすくめた。どうもまったく心当たりはないらしい。


「九王沢さんてそう言えば、とてつもなく交友関係広いですからね。お泊りするって言うと、先輩かあたしくらいかとは思ってましたけど…。うーん、ショックだなあ。でもそう言えば九王沢さんてやたら、年上の男性にかわいがられますよね…」


 ぎくりとすることを言われて、僕の血圧は急上昇した。


「なっ、なんで今そんな話をする!?」

「だって…あんまりないじゃないですか。紙の食器とか、コップを買って行くなんて。レトルト食品も買い込んで。自宅に帰るのとはちょっと違う感じだし、相手は、ずぼらな…一人暮らしの男の人なのかなーとか。いや、九王沢さんに限ってありえないですけど」

「えっ、それってまさか、う、う…うううっ」


 浮気!?あの九王沢さんが、まさかそんな。


「お、落ち着いてください。もしかしてそのものずばりじゃないかも知れませんし。あっ、九王沢さんて困ってる人を見ると、ほっとけない子でもあるじゃないですか…だから、浮気じゃないかも知れないし。…まあ、ありえない。ありえないですけど、あれは自宅に帰る感じじゃないですし、この状況でほかに考えうる選択肢が」

「こらっ」


 最後まで冷静に聞くことが出来なかった。


「なんてこと言うんだ!?お前っ、九王沢さんがうわっ、うわっ、うわっ浮気なんて、よくもこのっ」


 僕は冷静になれなかった。あの依田ちゃんに、掴みかかろうとしたのだ。しかし、無慈悲な一発ビンタの反撃を受け、我に返った。


「どうか頭を冷やしてください先輩」

「う、うん…」

 ばちん!と、すんごい音がした。


 売り場の人が振り返ってみていた。よく、九王沢さんに気づかれなかったと思う。


「確かに先輩はへたれです。九王沢さんはいっつも先輩のことで悩んでますし、このあたしですら、もはや逆に浮気してほしい趣味の人なのかなあと思うことすらあります。でも、九王沢さんは、カトリックなんですよ?あたしと違って、先輩を信じてますし、絶対裏切ったりしません。たとえ先輩が天性のNTRだったとしてもッ!九王沢さんは見捨てたりしません。あたしは見捨てますけどッ!先輩だって、分かっているでしょう!?」

「分かる…」


 分かりすぎる。涙が出そうだ。信じなきゃ。さっきの一発ビンタのごとく、依田ちゃんが僕を一撃で葬ったとしても、九王沢さんは見捨てない。あの天使のような包容力と笑顔に、裏があるはずない。


「そうだよね、まさか、まさかだよね…」


 と、僕が天に祈るような気持ちで言ったそばからである。


「せっ、先輩!あれ!見てくださいッ!」


 見た。僕はついに見てしまった。買い物を済ませたレジ前で、九王沢さんが楽しそうに誰かと電話をしているのを。帰るのはやっぱり、自宅じゃない?誰かが待ってるどこかなのか。これには依田ちゃんも、思わず息を呑んでいた。


「NTRの方でしたね」


 神は死んだ。


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