第4話 レッツ尾行
「
もはや、それしかないだろう。正面から行ってらちが明かないのである。ここは、非常手段を取るしかない。
「一歩間違えたら犯罪ですよ、それ…」
「いや、別に中まで上がるわけじゃないから」
ちょっとどんなところに住んでいるのか、確かめるだけである。
「依田ちゃんには言ってなかったけど、すでに無理やり居残る作戦は、失敗してるんだよ…」
彼氏として最後の奥の手を僕は、使ったのである。終電逃したので、恋人の部屋に上がり込む大作戦である。ごく自然な流れじゃあないか。真っ向、直球勝負。シンプルに、ストレートに、僕は、挑むことにしたのである。
「そんな!今夜なんて…いや、それは…」
すると九王沢さんは、みるみる青くなった。ちょっとかわいそうだと思ったが、ここで退けない。はっきりと白黒つけようじゃないか。
「あのさ、この前からずうっと気になってたんだけど、うちに来てほしくない理由でもあるの?本当に行っちゃダメな理由があるなら、ちゃんと諦めるからさ」
なるべく刺激しないように、僕は正面切って尋ねた。やっぱり九王沢さん、この話題はタブーなのである。じっとこちらを見つめ返すと、みるみる涙目に。いや、どうして?
「終電で帰れないから泊まる場所があればいいんですよね、那智さん…」
と、九王沢さんはなぜか決然と言い出した。戸惑う僕の袖を引き、そのままちょっと薄暗い路地の方へ連れて行く。
「では今晩は、ここに泊まりましょう。宿泊費は、わたしが持ちます!」
「えっ!?」
そこに掲げられているのはそのものずばり、ラブホの看板。たまたま出くわした出張っぽいサラリーマンのおっちゃんが、ぐいぐい僕の腕を引っ張って無理やりラブホに連れ込もうとする九王沢さんを、すんごい目で見ていた。
「そっ!それはッ!嬉しいけど、それはまずうい!まずいよ、九王沢さん!」
危うく、ラブホの前でもみ合いになるところだった。
「そこは普通に、連れ込めばいいじゃないですか…」
「いや僕にも、心の準備ってものがあるからさ」
だからお前は、いつまで経ってもへたれなのだ、と言う目で依田ちゃんは僕を見てきたが、言いたいのはそのことではない。
「もうさ、正攻法では絶対無理だと言うことだよ…」
「確かにそんな気がしてはきましたけど」
依田ちゃんも、本心では知りたいのである。だってそこまで、九王沢さんが意地を張るから。こうなったら禁じ手を使ってさえも、この問題には決着をつけたいのだ。
「分かりました。この際、やむを得ません」
覚悟を決めたのか、依田ちゃんは、大息をついて言った。よっしゃ、これで心強い。
「それではお二人とも。今日はここで失礼しますね」
決行は金曜日の晩である。なぜって、その週の土日に九王沢さんは、ロンドンの実家に帰る予定なのだ。飛行機は明日の午前中、と聞いたので、まあ普通に自宅には戻るはず。
「準備は万全です、先輩」
と言う依田ちゃんは、登山用のリュックにお鍋とコンロを詰めてきた。僕が材料やお酒を同じようなリュックに詰めて持ち、数メートル先を歩く九王沢さんを尾行していく。
ちなみにこのお鍋の用意は、もしまかり間違って見つかった時の言い訳である。さっき上がらないと言ったものの、自宅に問題なさそうなら、見つかっても良いと思ったのだ。依田ちゃんと二人で話しているうちにテンションが上がって、自宅の所在が判明した時点で中に上げてもらうつもり満々だった。
そもそも今月はだって、九王沢さんのお誕生日だし。
こうなったら、押しかけ鍋パーティである。
「ここまでやればまさかそんな、怒ったりはしないだろ」
僕と依田ちゃんは作戦の万全さを確かめ合ったが、内心の危惧は隠せない。
まさに天使の包容力を誇る九王沢さんだが、自宅訪問をあれほど拒否するからには必ず何か事情がある。だがその理由となると、いくら考えても思いつかなかった。
正直、たとえゴールがゴミ屋敷でも監獄みたいな寮でも、僕は、なんとも思わない。彼氏としてまったく揺るがない自信はある。しかし前途に何が待っているのかまでについては、さっぱり自信が持てないのである。
(僕たちはまさか、禁断の扉を開けようとしているのか…?)
あの九王沢さんが、絶対見せたくないもの。
それが自宅。なんで!?と思うが、そうなのだから仕方がない。しかしそこには、果たして何が僕たちを待ちうけているのか。
僕と依田ちゃんは、まさに秘境探検の気分である。リュック背負ってるし、獲物も追いかけている。まあ、追いかけているのは、猛獣じゃないんだけど。
「先輩、もたもたしてると見失いますよっ」
依田ちゃん、割に乗り気である。電信柱の陰から、曲がり角をうかがう姿も、すでに板についている。(端から見てると、めっちゃ怪しいけど)
九王沢さんて、歩くの速い。あれでも合わせてくれていたのか、一人になると、もっと速いのである。見失わないようにするのも一苦労だ。
その速い足で僕たちと別れたら一体まず、どこへ向かうかと思ったら。どうも駅ではない。大学裏のビルの地下にある古本屋さんである。大判の専門書ばっかりあるので、まず普通の大学生は暇つぶしでも訪れない。
九王沢さんはそこで、仏教美術の本を矢継ぎ早にチェックしていた。よく中古のレコード市などあると、ものすごい速さでLP盤をチェックして回るDJっぽい人がいたりするが、あれの本バージョンである。
一通り書名をチェックし、気に入った本は端に置き、それが済むとやっと中身を見る。ざーっと、ページをコマ送りだ。一冊十秒くらいである。あれで頭にはちゃんと入ってるんだから、普通の人間ではない。
また店主とも、めっちゃ親しい。まるで石像のように隅のレジカウンターで不動のじいちゃんが、九王沢さんが来ると、やたらしゃべるのである。コーヒーまで出た。
話はお店のモバイルを使って続き、専門的過ぎてなんだかよく分からないが、稀覯本の情報交換のようだ。これで三十分くらい。
うきうきとした足取りで、店を出た九王沢さん。どうも手ぶらなのは何も買わなかったのではなく自宅配送を頼んであるかららしく、荷札でも見てしまえばこれで自宅の所在が分かるのだが、僕たちがいるところからでは残念、うかがえなかった。まあ、こう言うのもなんだが、ここで分かったら面白くはない。
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