第35話 本当の落着

 そう思ったときだ。がらがらどっしゃん、物凄い勢いで、お店のドアが開いたのは。


 そこにいた全員の目が向いた。やっぱりなと思っていたら、みくるさんだ。まーた最悪なタイミングで現れたな。


 大きめレンズの眼鏡にぱっつんのおさげはいつものままだがみくるさん、まだ、旅行者の格好だった。ヨーロッパへ行くのに定番の、分厚いダウンとひらひらのレーススカート、バックパックである。



「わっ、なんでこんなに人が!?九王沢ちゃんに…えっ、この子、秋山すずかちゃんじゃん!ええええっ、これなんの集まり!?」


 あんたのせいで皆、集まったんだよ。


 突っ込みたかったが、黙っていた。せめてあと五分くらいしてから入ってくればいいのに。大団円、台無しである。


「じゃあ、九王沢さん、涼花、楽しかったわ。すぐにまた」

「…はい、またSNSで連絡とりましょう」

『じゃあ、皆、元気で。楽しかったよ』


 なにやら複雑な気まずさを察したカイリーチはそそくさといなくなってしまうし、ダニエルさんも苦笑しながらスカイプ切るし。


「えっ!えっ、今の人だれ!?九王沢ちゃんのお友達!?へ~たくん、紹介してよう」


 それも分からないのか。ノータッチにもほどがあるぞ。てゆうかこれ思えば、みくるさんがするはずの取材を、丸ごと僕たちがしたってことじゃないか。


「知りません。みくるさん、仕事受けるなら、そろそろちゃんと責任持った方がいいと思いますよ?」


 さすがに僕は呆れた。ったく、僕ばかりじゃなくて九王沢さんにも、こんな迷惑かけといて。


「涼花、わたしたちも時間よ。お暇しましょう」


 新幹線の席をスマホで確認しながら、児玉さんが言う。涼花ももう、ぎりぎりの時間である。


「皆さん、ごめんなさい!わたしも、もう行きますね。お嬢さま、わたし、自信つきました。まさか、わたしが自分で推理が出来るなんて…。ここまでしてもらえるなんて、すう、幸せです。本当にありがとうございます」


「いいんですよ、すうちゃん。それより、カイリーチさんのお話とっても、素敵なお話だったじゃないですか。わたしも楽しめました。撮影が終わったら近いうちにニューヨーク、行きましょうね」


「はい!すう、何があっても行きますよう!へ~たさん、サンドイッチとコーヒー本当に美味しかったです!今度、仕事のお友達も連れてきていいですか?」

「う、うん。大歓迎だよ」

「本当ですか!?嬉しいです!じゃあ、さっそく来週っ」

「行くわよ涼花」


 しびれを切らしたのか、児玉さんが強制的に涼花を連れて行った。


 感動の大団円の別れにしては、話が巻きすぎる。すっごく嬉しかったが、もうちょっと余韻に浸りたかったものだ。


「…あっ、みくるさん到着したんで作画スタッフ集めてきまーす」


 タイミングを見計らっていたのか、編集の林原さんも僕たちに知られぬようにこそこそ席を立つ始末。



 かくして、まるで何かの魔法が解けたみたいにそそくさと人が退けていった。


 宴の後と言うか、もはやそこに残っているのは、僕と九王沢さんとみくるさんの三人だけになった。僕が負担を感じる筋合いはないのだが、何かめちゃくちゃ気まずい。


「あっ、へ~たさん、貸し切りありがとうございました。お陰で、すうちゃんにも喜んでもらえました」


 三人顔を見合わせると、突然、思いついたように言う九王沢さん。


「いえいえそんな!」

 僕はあわてて応えた。

「助かりましたよ、本当に。九王沢さんがいなかったらどうなってたことか」


 何しろ今回、どう見てもなくてはならない主役は九王沢さんである。


 みくるさんのぞんざいな取材から構想を突き止めたばかりか、この元町の喫茶店の片隅でニューヨークの魔女が仕掛けたレシピの謎をいとも簡単に解いてしまった。


 さらには推理のお芝居の勉強をしたいと言う涼花にも、芝居じゃない、本当の推理をさせてしまった。


 この人やっぱり、ただものじゃない。生まれと育ちもぶっ飛んでいるが、正体は怪物級に底知れない人と言っていい。おっとりふんわりとした外見からは、全く想像できない。


 僕にもまだ、半信半疑なくらいだ。あの那智さんは、それを分かっていて付き合っているんだろうか。



「さてみくるさん、何か僕たちに言うことあるんじゃない?」

 僕は容赦なく冷たい声を出した。


 今度と言う今度と言う言葉も言い飽きたけど、さすがに今回は色んな人への迷惑が掛かりすぎている。


 特に九王沢さんは本来、無関係の人なのにここまでやってくれたのだ。


「ううっ、九王沢ちゃん、本当にごめん…わたし、そのう、引き受けたお仕事のことすっかり忘れてて」

「わたしのことは気にしないでください。でも…へ~たさんも、林原さんも、みくるさんのこと、すごく心配されてましたよ…」


 女神様並みに人間が出来ている九王沢さんだ、苦言を呈するにせよ、これくらいのことしか言わない。だから、ここは僕が怒らなくちゃ。


「なあ、ちょっと甘えすぎてない?九王沢さんだって、本当は関係ないんだ。こんなことで怒りたくないよ。そもそもさあ、毎回そうやって誰かに甘えれば何とかなると思ってるし、他人の力で何とかなっちゃうから、りないんだって、どうして反省しないかな!」

「ごめんなさい…」

「謝ってそれで済ませようと思ってる人間は、絶対反省しない」


 心は、レベルマックスで鬼にした。僕は、そっぽ向いてやった。


「あ、あの、へ~たさん、その辺で。…みくるさん、わたし、本当に怒ってませんから、泣かないで」

「ごめん…ぅぅぅ、へ~たくんっ、九王沢ちゃんっ、ううっ…ぅぅぅ…」


 みくるさんはぼろ泣きだ。でも、今回はこれだけは言わなきゃ。


「反省しな。僕や九王沢さんじゃ、どうにも出来ないことだってあるんだよ。取り返しつかないことだってあるんだからね。分かった!?」


 みくるさんは嗚咽しながら頷いた。さすがに後味悪くなってきたところで、九王沢さんが取りなしてくれた。


「あの…わたしとみくるさん、友達じゃないですか。これからもわたしに出来ることがあったら、どんなことでも協力しますから。へ~たさんも、それくらいに。ね?」


 良かった九王沢さん、それにしても助け舟まで絶妙である。九王沢さんのために言うべきことだったので、強く出たがまあ僕も、こんなものにしよう。


「協力しないなんて言ってないから。…これからも僕に助けられることがあれば、何でもする気はあるんだからさ」


「へ~たくん…」

 僕は、お店のクッキングペーパーをぐるぐる巻いて取り出した。

「まず顔を拭いて。…手近な人に抱き着くなら、そのあと」


 顔じゅうの体液を拭いたみくるさんは、案の定、手近な九王沢さんの豊満な胸に抱き着いた。


 カウンター越しだったので僕じゃなくて良かった。涙も鼻水も、それは拭いたってとめどもなく出るものだから。


 それにしても、みくるさんの小さい顔のはまった九王沢さんの胸の谷間は想像以上に深かった。



「あのー、じゃあそろそろネームの方を…」


 恐る恐ると言った感じで林原さんが戻ってきたときには、みくるさんは、簡単なコマ割りを決めてネームに入っていた。


 あの複雑な真相を九王沢さんが丁寧に順序立てて話したとは言え、一度話を聞いただけで、商業漫画に仕上げてしまうとは、やっぱりみくるさんも、並みの人じゃない。



(初めからああなら、誰も怒らないんだけどな)


 普段はだらだらやっているが、さすがの集中力だ。林原さんとの打ち合わせも同時進行で、どんどん注文通りのネームが仕上がっていく。これがプロの凄みと言うものだ。


「さすがは、みくるさんですね☆」


 僕の心中を見透かしたように、九王沢さんが話しかけてくる。彼女はまだ、僕が怒っている、と思っているんだろう。


「とりあえず、これでわたしが出来ることは、みんなしたと思います。へ~たさんは?」


 この人には、かなわない。仕事も佳境に入ってきたし、怒るのは、ここまでにしておこう。


「実はまだ、とっておきの豆があるんです。…九王沢さんもどうですか?」

 と言うと、九王沢さんは天使の笑みで相好を崩した。

「はいっ、実はわたしもずっと恋しかったところです。へ~たさんのコーヒー」


 するとこっちの声が聞こえたのか、みくるさんの方からも、いつものリクエストが。


「ええっ!?今、九王沢ちゃんコーヒーって言った!?うにゃあ!へ~たくんの淹れた熱っいコーヒーが飲みたいっ!」


 まったくもう、しょうがないな。


「かしこまりました。じゃあ、ホット三つですね」


 僕は保管庫に戻ると、みくるさんのために熟成していたコーヒー豆を取り出した。からからと軽い手触りと明るい色が、人知れずいつも僕を笑顔にさせる。気がつくと外では陽が落ち始め、静かに秋の日が暮れていくところだった。



(ああ、またみくるさん、今夜は徹夜かな)


 ふと僕は、これからの時間の流れが読めて我ながらおかしくなった。


 結局、こう言う関係が一番僕に、みくるさんとのつながりを感じさせるものなのかも知れない。


(しょうがない、今日も付き合ってやるか)


 いつものように、ケトルでお湯を沸かす。


 それから僕は、夜食のレパートリーがどれだけ作れるか冷蔵庫をチェックし始めた。


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