第34話 大団円のあとで
フィオナさんは今、オルバニーにほど近い施設で平穏に暮らしていると言う。カイリーチは毎週そこへ通っては、マジックスープの味を見てもらっているのだそうだ。
「今のところ、順調よ。ダニエルが買い取ってくれたお陰で、お祖母ちゃんの古い建物も思い出の品も、ニューヨークへ移すことが出来たし」
カイリーチは、嬉しそうに微笑む。これも何もかも、彼女が考えた魔女ならではの『プレゼン』のお陰なのだろう。
その意味では、『魔法のレシピ』は実在したことになる気がする。正真正銘、ただの白紙のレシピが、まさに奇跡を起こしたのだから。
それにしてもダニエルさん、太っ腹である。本も建物も買い取った上に、カイリーチが料理人として独立するのまで助けてあげるなんて、なかなか並みな人が出来ることではない。
『そんな大それた話じゃないさ。ごく単純に僕も、フィオナさんのチキンスープを頂いてファンになったんだ。魔女フェブラリー・スウィンムーアが始めたマジックスープを、次の世代に受け継いでいく手伝いをする、いち料理人としてもビジネスマンとしても、乗らない理由はないよ。
僕が受けた感動を、一人でも多く、出来れば世界中の人に味わってもらいたい。こう言う仕事では、一番大切にしなくちゃいけないことだよ』
まったくダニエルさんの言う通りである。大きく同意できる。と、同時に飲食関係の同業者の端くれとしては、耳が痛い話だ。
このお話で得た経験と教訓を、自分の感動だけを求めて世界中を飛び回り、息子に店を丸投げしている僕の親父と言う人物にも、ぜひシェアしてほしいものだが、まあ無駄であろうことは、言うまでもないことだろう。
「はい!感動、わたしにも伝わりました」
涼花は、瞳を潤ませていた。
涼花の前に立ちはだかったはずのカイリーチだが、消えたレシピの謎に取り組んだ分、くしくも彼女が一番、カイリーチに感情移入するところが大きいはずだと思う。
「わたしも、これから頑張りますよ。今度はわたしが自分のお仕事で、感動を伝えてみせます!」
「頑張ってね」
カイリーチは嬉しそうに微笑んだ。
思えばニューヨークの片隅で起こった奇跡は、この横浜元町でまた一つ、新たな奇跡を生もうとしているのだ。
カイリーチと涼花はその後、連絡先まで交換していた。涼花はドラマの撮影が終了したら、九王沢さんに案内してもらって録画を直接ニューヨークのお店に届けることにしたようだ。
マネージャーの児玉さんがすっごく苦い顔をしていたが、九王沢さんと二人がかりで説得して、何とか許してもらっていた。
連日露出していない日はないと言う涼花のハードスケジュールで本当に大丈夫なのかと思ったが、そこは言わないでおこう。
「いつでも歓迎してるわ。あなたたちは、スウィンムーアのマジックスープの秘密を解いた世界で最初のお客様だから」
いざ真相まで到達してみるとカイリーチは、本当にチャーミングな女の人だった。僕も事情が許せば、二人とニューヨークのお店に同行したいくらいだ。
『いずれはカイリーチの完成したマジックスープを注文する、最初のお客様になるかも知れないね』
ダニエルさんが悪戯めかして言うと、
「そうね。でも、お店のためにもそんなに待ってはいられないわ。二人が来たときには、誰の前に出しても恥ずかしくないスープにしなきゃ」
「楽しみにしてます!カイリーチさんのマジックスープ」
涼花はそこで、何かに気づいたように口調を改めた。
「そうだ、カイリーチさん、それにダニエルさんも…本当にありがとうございました。こんなに素敵なお話のお陰で…わたし、夢中になって推理出来ました。お芝居でもしたことないくらい、集中して。お二人がここまで付き合ってくれなかったら、わたし…」
感極まったのか涼花はそこで、思わず言葉を詰まらせた。
「何を言ってるの!?とっても楽しかったのは、わたしたちの方よ。ね、ダニエル」
『ああ、そうだね。マジックスープのお話を宣伝するのに、いい練習になったよ。何しろこの話、最後の最後まで出来たのは、君たちが初めてだしね』
そこまで話して、何か気づいたようにダニエルさんはカイリーチと顔を見合わせた。
『そうだ、せっかくだから君たちに、一般的な方のアイルランドのチキンスープの作り方を伝授するよ。ここはお店だろ?気に入ってくれたらぜひ、メニューに使ってほしいな』
「本当ですか!?」
それは僕も嬉しい話だ。
だが、今ので本当に嬉しそうな顔をしたのは、誰あろう九王沢さんだった。格別喜ぶのも分かる。何しろ、イギリスから一人留学してきた九王沢さんにとっては、懐かしい故郷の味である。
「へ~たさん、ぜひ教わってください。わたし、那智さんと一緒に毎週、食べにきますよ☆」
このとき教わったアイリッシュのチキンスープは九王沢さんのお墨付きで、お店の新たな定番になった。
セロリやキャベツ、リーク(西洋ネギ)にポテトをくたくたに煮込んだ実だくさんのチキンスープだ。
これにクリームチーズとラガービールで味つけするのがアイルランド流らしい。こくのあるビールのスープは食べ応え十分で、ライ麦などの個性の強いパンに合う。アイリッシュパブでも定番の料理なのだそうな。
『そう言えばずっと気になってたんだけど、君たちのお店の名前は?どうしてかマサは店名を、教えてくれないんだ』
レシピを教えてくれるとダニエルさんは、不思議そうに言った。あの親父、海外の友達にも僕に言ったような持って回ったことを言って回ってるんだろうか。
「そう言えば、へ~たさんのお店、看板とかないですよね?」
九王沢さんも涼花も、ぐいぐい食いついてくる。
「まさか秘密とか?」
「いや、そんな全然!」
僕は通販で売っているコーヒー豆のパッケージを取り出すと、そこにプリントされている店名のロゴを皆に見せた。
「CWLP…?」
やっぱりだ。誰もが一様に、不思議そうな顔をした。
「はい、一応これがうちのお店の名前です。ロゴが目立たないから、あんまり注目してもらえないんですけど、HPやFBなんかも普通にこれで運営してますから」
なにやらどうもプロレス団体みたいな名前だが、店名の由来は何か有名な海外小説の原題の頭文字を採ったものらしい。
もっと言うとその小説の話には、それ以外にも曰く因縁があるようだがちなみにくそ親父、僕には深いことは教えてくれないし、よその人にもよっぽど聞かれなくては教えない。
「お前たちの世代じゃ、どうせこう言うセンスにロマンを感じないだろ?」
とか言って。本音は、もったいぶりたいのである。だからいまだに、オリジナルの看板もないのだ。どうりで客が来ないわけだ。
「へえ、わたしはそう言うの好きよ。すごくいいと思う。やっぱりどこのお店にも、秘密はあるのね」
自分で話しててもかなりしょぼいエピソードなのに、なぜかカイリーチはばか受けしてくれた。
「全然、大した秘密じゃないですけど」
それより最大の秘密は、年間を通じてほぼオーナーが不在で、素人大学生である僕が運営していることである。
「謙遜する必要はないですよう。わたし、へ~たさんは、すっごいと思います。コーヒーにも詳しいし、淹れるのもとっても上手だし、お料理も美味しかったし!」
涼花が、すかさずフォローを入れてくれる。
これだけべた褒めされるとこそばゆいけど、誰あろうあの秋山すずかに今日のメニューとコーヒーでこんなに喜んでもらえているのだと思ったら、悪い気はしない。
「へ~たさんのお店は、とってもいいお店ですよ。コーヒーも、お豆のローストからコーヒーのドリップまで、へ~たさんの神経が行き届いてますから」
九王沢さんまで太鼓判だ。いやここまで持ち上げられると、照れるしかないじゃないか。
「それはとってもいい情報ね。…秘密にしておこうかと思ったんだけど、実は来月、日本の友達に会いに行くの。横浜だったら新幹線で立ち寄れるから、ぜひコーヒーをご馳走になるわ」
「ほっ、本当ですか!?いつ!?」
僕が言う前に涼花が具体的な日程を聞いてくれたが、もちろん涼花は同席出来ない。そこはさすがに児玉さんのNGをくらっていた。
『さて、僕たちはこのまま朝まで話していても、なんの差しさわりもないだけど』
と、ダニエルさんは腕時計を見る仕草をした。
「そうですね。…こちらの都合で押しかけて、申し訳ありませんがそろそろ、時間です」
九王沢さんが言うので、壁時計を見ているともう、約束の二時間は、とっくに過ぎている。
「またお話ししましょうね、涼花。あなたのドラマ、楽しみにしてる」
「絶対、すぐにニューヨークに行きますから!ダニエルさんと待っていて下さいね!」
涼花とカイリーチは、画面越しに抱き合わんばかりだ。
一時はどうなることかと思ったが、無事に大団円である。消えたレシピのミステリを縁に仲良くなった涼花とカイリーチが別れを惜しんで、もうこれで長編ドラマ一本分は観たような感じもするが。
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