第30話 解き明かされる魔法

「スピンが消えたことと、そして本が開くことが出来ない状態であったこと、この二点から推していけば、ページは抜き取られた、と言う推論は、帰結として導き出せる答えです」


 九王沢さんは冷ややかなほどの理路整然さで涼花の話を次ぐ。


「しかしこれ以上のことは、わたしたちが客観的に取得しうる外面的事実では、うかがい知れません。わたしはそこで、あなたに三つの質問をしたと思います。それが魔法を解く種になります」

「うん、そうね。…やっと面白くなってきた、と言うところかな」

 カイリーチは、ここで初めて口を開いた。


 涼花のときは、聞いている僕たちの方もおっかなびっくり、この人も余裕で静観を貫いていたんだろうけど、今度は役者が別だ。澄み切った九王沢さんの論理の鏡の前では、何もかもが誰の目にも分かりやすく、明らかにされてしまう。


「その質問については、わたしも憶えてる。確か、わたしのプライベートなことについて、聞かれたと思うんだけど」


 九王沢さんは、天使の笑みを見せて微笑んだ。

「はい、わたしの質問は主にあなたの内面に迫るものでした。スピンの件を見ても分かる通り、外面的な事実からはあなたが『したであろうこと』を消去法的に特定は出来ても、あなたが結局『何をしたかったのか』については、たどり着くことは不可能だと思います。…例えば」

 とここで、九王沢さんは意味を含ませて言葉を切った。

「レシピが載ったページを抜き取ったとしてそれが、どこへ行ってしまったのか?と言うことなど」


 ここまで言われて僕は、あっ、と気づいた。つまるところ抜き取られたページは、カイリーチが用意したダミーだったのだ。と、言うことは。


「本物のマジックスープのレシピは、結局どこへ行ったんですかあ!?」


 ちょっと大声を出してしまったが、僕が今、思わず口に出したのは、この事件の根底を揺るがす疑問である。だってページは元々空白、そしてトリックで抜き取られたページはダミーだったのなら、スウィンムーアのマジックスープのレシピの本物は、そもそもどこに存在しているのだ。


「非常にいい質問です、へ~たさん。…これまでの推論がすべて真実だと言うことになると、わたしたちはこの根本的な疑問にぶつかることになるのです。スウィンムーアのマジックスープのレシピは、果たして『存在したのか』。…いえむしろ、こう言いかえると分かりやすいかも知れません。カイリーチさん、あなたはダニエルさんからマジックスープのレシピを本当に盗んだのか?」


「マジックスープのレシピは、わたしが持っている。存在する、とはっきり言えるわ。それはもちろん、わたしが必要だからだし、それを『得る』ために行動を起こした。理由はもう、話したと思う」


「あなたの目的は『マジックスープのレシピを完成させること』でしたね。それはあなたがわたしのした第一の質問に対して、答えたものです。そして第二の質問であなたはこうも答えていました。あなたは『プロの料理人ではない』。しかしマジックスープのレシピを完成させようとしている」


「そうよ。でもそれは、いけないこと?」

 なんの矛盾もない、と言うように、カイリーチはうそぶいた。


「いいえもちろん、いけないことでは、ありません。しかし、あまりに突拍子もない文脈です。つまり、この二つの事実にはいわゆる行間が隠れています。それをあてはめて文脈を整えれば、わたしたちは正しい文脈であなたが話していることを理解出来る、と言うわけです。そこで皆さん、ちょっとこれを見て頂けますか?」


 九王沢さんはさらさらと、メモに走り書きをした。

 そこには、

『カイリーチはプロの料理人ではないので、レシピは完成できない』

 と、書かれている。


「児玉さん、いいですか?」

 九王沢さんはそこで、なぜか涼花のマネージャーさんを指名した。

「えっ、わたし?…は、はい…どうぞ」


 当惑気味のマネージャーさんに九王沢さんは天使の笑みをみせると、また突拍子もないことを言った。


「児玉さんは、形式論理学の命題をご存知ですか?」

「えっ」


 命題って。


 傍らの涼花に袖を引っ張られて、去年まで受験生だった僕は知識をフル動員した。


 確か元は数学で、数式の証明をするあれである。九王沢さんが言っているのは、「猫が動物である」とき、「動物は猫である」と言う論理が成り立つのか、と言うような論理パズルのことだろう。


「命題ですか?…ええ、はい、たぶん大丈夫だと思います」


 児玉さんもぎょっとしたようだが、不承不承ながら答えた。この人も知的な人だ。すると九王沢さんは学校の先生みたいに、問うた。


「では、この命題の対偶たいぐうは?」

「対偶!?ですか…それは、えっと…」


 普段使いなれない用語の方にむしろ戸惑ったのか児玉さんは、近眼の人がそうするように怪訝そうに眼を細めると、メモを読みながらすぐに答えた。


「…『カイリーチがプロの料理人ならば、レシピは完成出来る』」


 あ、と僕が思わず声を上げそうになったのはこのときだった。

 実際、何が、と問われると、はっきりとは答えられないが、なんでこんな簡単なことに気づかなかったのか。こうすれば九王沢さんが探ろうとした質問の意図が見えてくるじゃないか。


「形式論理学では二つの命題の対偶は、相一致そういっちします。一つの事実に対して、違う側面を表現しているにすぎないのです」


 まるでマジシャンだ。たったこれだけのことで九王沢さんは、鮮やかに真実の文脈を白日の下にしてみせたのだ。


「カイリーチさん、あなたが『プロの料理人ではないが、レシピを完成させようとしている』と言うのは、逆に言えば、『プロの料理人なら、レシピを完成できる』と言うことではありませんか?あなたが欲しかったのは、『マジックスープのレシピ』などではありません。ダニエルさんのような、プロの料理人のノウハウではありませんか?」


 今度こそこれは、新事実だった。


 確かに見てきた通り、わざわざ偽のページを用意してきたカイリーチの目的は、『レシピを盗むこと』ではなかったのである。だがそうなると事件の意義が根底から覆る。つまりカイリーチは、ダニエルさんからレシピを盗んではいない、と言うことだ。


「問題はなぜ、こんな手の込んだことをしてみせたのか、と言うことです。あなたは偽のレシピまで作り、存在しないマジックスープの存在を、ダニエルさんに強く印象付けさせた」

「存在しない、わけではないわ。何度も言ってるけど、マジックスープのレシピ自体は実在する」


 カイリーチは、少し色をなしたような声音になったが、九王沢さんは、あくまでにこやかである。


「そうですね、カイリーチさん。…そう言えば、レシピは帰るべき場所に帰った。ある意味では文字通り、元に戻っただけでした」

「元に戻ったってどう言うことですか?…あんな大きな紙のページですよ!?あんなものがどこへ消えたって言うんですか?」


 僕が耐えきれずに置き去りにされている謎のことを口にすると、九王沢さんは、おもむろに自分のお腹に手をあてて見せた。


「簡単です、へ~たさん。レシピは、カイリーチさんが食べてしまったんですよ。ダニエルさんが、来客でほんの少し目を離した隙に。マジックスープのレシピは、カイリーチさん、あなたの頭の中に戻ったと言うわけです」

「食べたって…」


 いや、ありえないだろ。抱えるほどに大きな紙のページだ。ダニエルさんが目を離したのがほんの数分だとして、あれをすべて口の中に入れるのは、不可能を通り越して自殺行為である。


「確かに、レシピは紙です。よほど大きな人でも、丸めて呑み込むようなことをするのは不可能でしょう。しかし、ダミーのページは別です。つまり、どんな素材で作ってもいいんですよ」

「食べられる、素材ですか…?」


 僕は、一瞬、考えてしまった。だって動画を見たところ、ダミーのページは疑いようもなく印字されている紙だ。紙にそっくりな食材なんてあるんだろうか。


「はい、それがすうちゃんの代わりに、わたしが解き明かすべき謎です」


 九王沢さんはしかし、もう言うまでもなく答えを用意している。天使の笑みをたたえた唇に人差し指をあててみせると、九王沢さんは、意味深い口調で言った。


「ヒントは、カイリーチさん、わたしがあなたにした質問の中にありました」



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