第29話 消えたスピンの果たした役割

 涼花の見せ場である。


 決め手はやはり、あの『スピン』だった。今の台詞は、探偵役の見せどころとしては十分、ドラマならここでカメラがぐっ!と寄るところ、ここぞとばかりにCMが入るところである。


「カイリーチさん、あの本から消えた『スピン』こそがレシピに仕掛けたトリックの、唯一の痕跡なんです!」


 涼花の口からついに、トリック、と言う言葉が登場した。


「そう、これはトリックなんです。『ないはずのもの』を、『あるように』見せかけた。つまり、発想の転換なんです。そしてここまえたどり着けば、トリックを見破るのは、そんなに難しいことじゃないはずなんです。


 だって『あるはずのもの』を消してしまう方法を考えるより、『あるように』見えるものを元の状態に戻すことの方が、はるかに簡単なんですから!」


 果たして、そうなんだろうか。そう思っていると、


「ねえ、涼花『あった』ものは、『あった』ものでしょう?何を言いたいのか、正直よく判らないんだけど…」


 何やらはらはらしながら様子を見守っていた児玉さんが、恐る恐ると言った感じで切り出した。嫌な予感的中と言った顔である。涼花は途端にいらっ、とした顔になった。


「うるさいなあ。さっきから児玉さん、いちいち水を差さないでくれますかあ?」

「…いや、僕も児玉さんの言う通りかなあ、って思って聞いてたんだけど」


 涼花が話しているうちは僕もそれ、ああそうだったのかと、感心して聞き流してしまったが、よく考えるとおかしい。だって『あった』ものは、もともと『ある』ものじゃないか。


「ふっふっふっ、へ~たさん、それは少し違うんです。…元々ない、と言うのは、『なかった』と言うことなんですよ。ただ、『あった』ように見せかけていただけなんです!」

「いや、それは『あった』ってことでしょう?」


 僕は、たまらず言い返した。だってマジックスープのレシピはあの本の中に、存在した。

 それは僕たちも動画で確認しているのだ。


 カイリーチはそれを消し去った。このことは一目瞭然、誰にも明白な動かしがたい事実じゃないか。


 しかし僕の疑念を、九王沢さんが一言で吹き飛ばす。


「いいえ、へ~たさん、涼花ちゃんが言ったようにそれは『違う』んです。元々、本に掲載されていた『マジックスープ』のレシピを白紙に戻してしまうのと、『マジックスープのレシピが掲載されていた』ように見せかける、と言うのは。よく考えてみて下さい。と言うことは、本は元の状態に戻った、と言うことに過ぎないんです」


 レシピが持ち去られたときの『本の状態』を思い出して下さい、と、九王沢さんは言う。


「ダニエルさんのオフィスに届いた本は、梱包用の緩衝材でぐるぐる巻きにされて、まともにページを開くことも出来ない状態でした。…その上でわたしたちは、あらゆる可能性を検討したと思います。本から『インクの文字』を消す方法について。それらは長い時間と手間と、何より、本を開くことの出来ない状態では、施しようのないものだったはずです」


「はい、確かにその点は納得しました。でも九王沢さん、それでもカイリーチは『白紙の状態』に本を戻さなくてはいけなかったわけですよね?…本があの状態だったのなら、手の施しようのないと言う点では、同じなんじゃないですか?」


「いいえ!違いますよう!へ~ッたさんッ!それは全っ然、違うんですッ!」


 涼花が、息せき切って割り込んできた。芸能人オーラ、全開である。海難救助をしているみたいな声の張り上げ方だった。


「お嬢さまが言おうとしていたのは、元々存在していなかったものなら、本から『取り除くことができる』と言うことなんです。ページを開かなくても。あの、緩衝材でぐるぐる巻きにされた状態からでも『抜きとる』ことが出来る。それが『存在したもの』を消すこととの大きな、そして明白な『違い』なんです!」



 そこで涼花はくるりと背を向けると、林原さんの仕事道具の中から何かを持ってきた。事務用品のクリアファイルだ。A4サイズの書類などを綺麗にしまって持ち運べるオフィスの必需品である。


「よく見て下さい。…仮に、これにレシピが印字されていた、としましょう」


 涼花はその何の変哲もないクリアファイルに注目を集めると、もう片手で、また別の何かをつまみ出した。


 これもまたオフィスでは必需品の、紙の付箋、いわゆるポストイットと言われる小さなメモだ。涼花はそれをクリアファイルの上端にはみ出すように取り付けると、今度はお店の書棚から同じサイズの風景写真集を取り出した。


「レシピはこんな風に(と、涼花は、クリアファイルを写真集の適当なページに挟んだ)本に挟まれ、落ちないように仮止めされている状態だったんです。まさに『ないはずのもの』が『ある』状態だったわけです。

 それは元々、白紙だったページに貼りついて、あたかも掲載されているかのような状態になっていました。…つまり、これを元の白紙の状態に戻すのには、仮止めされているページを引き抜けば、それで事足りる、と言うわけです。さて、見て下さい」


 そこまで話すと涼花は、本からはみ出したポストイットを皆に見せつけた。


「これが無くなった『スピン』の代わりです。クリアファイルは『紙』ではないのでこれだとページが浮いて少し分かりやすいですが、それでもこうして本を閉じてしまうと、レシピのページがどこだか判別できなくなってしまいます。


 ここから『マジックスープ』のレシピだけを抜き取るのには、『目印』がいります。そこで必要になったのが、仮止めされているページの端に、カイリーチがあらかじめつけておいた、『目印』だったんです」


「つまりそれがその、スピン…てわけ?」


「そうです。だからスピンは犯行後、どこかへ行ってしまったんですよう!」


 本からはみ出してうなだれたようになったポストイットを、僕たちは怪訝そうに見つめた。


「ポイントは、『目印』がいかに目立たない存在であるか、なんです。スピンは確かに、本を読むときの必需品ではありますが、ふいに脱落したとしても、大きな問題にはなりにくいものなんです。


 まして、稀覯本のスピンのほとんどは、すり減って存在しないか、何度も取り換えているのが常なので、なくなったとしてもダニエルさんはそれほど気にしなかったはずです。いつもそこにあって当たり前なのに、なくなっても誰も気に留めないもの。カイリーチさん、それがあなたが『見せたくないもの』だったのではないですか!?」


 カイリーチは微笑して応えない。ただ涼花の熱演を、興味深く見守っている、と言った感じだ。


「さあ、皆さん、見て下さい!目を離しちゃダメです!行きますよう!」


 ここはもう一押しと思ったのか涼花は大きく咳払いをしてから、皆の目の前でポストイットを指でつまむと、えいっ、と一声。…ちょっと引っかかったが、本に挟まれたクリアファイルをページを開かず華麗に抜き去って見せた。


「ほら、見て下さい!どうですかッ!?本を閉じることなく、レシピは持ち去れるんですッ!」


 涼花は自分では決まった!と思っただろうが、さすがにおおっ!とはならなかった。


 僕を含めた皆の反応は…うーん、なんだかなあである。つまりはこの手段を取れば、本を開かなくてもカイリーチはレシピのページを盗み出せる、と言うことなんだろうけど。どうにも解決していない問題が、多すぎる気がする。



「ごめん、ここで水を差して本当に悪いんだけど」


 フォローも入れつつ、僕は、フィードバックを試みた。


「涼花ちゃん、確かに分かるよ。…梱包されていた本の上下は開いていたわけだし、スピンを目印にすればページはすぐに抜き取れたかも知れない。と、言うか、本を開かずにレシピを盗む方法としてはそれが唯一の方法なんだと思う」


 僕も聞いてみれば、答えはそれ以外に思いつけなかった。その点で、ここまで自力で来た涼花はすごいとは思う。


「でもその、抜き取ったページはどこへやったのかな?…まあ、スピンはただの紐だから、隠そうと思えば隠せるとは思うけど、『マジックスープのレシピ』のページは、簡単に隠せるような大きさじゃないだろ?」


 なにせ昔の本である。映像で見ても分かる通り、スウィンムーアの料理書は人が両手で抱えて持つような大きさなのだ。


 ダニエルさんはカイリーチが部屋を出る前に女性スタッフを呼んで入念に身体検査を行ったと言ってたし、そうなると問題は結局、振り出しに戻る。今度は衆人環視の中、どうやってその大判のページを持ち出せたのか、と言う問題にぶち当たるからだ。


「え、えっと!それは…」

 涼花は思わず言い淀んだ。


 気の毒だとは思ったが、この推理が決め手に欠けることは事実だ。だからこそカイリーチは口を閉ざして、ことのなりゆきを見守っていたのだろう。魔女がレシピにかけた魔法は、まだ解けることはないのだ。



「その点については、わたしが解説します」

 と、そのとき、口を開いたのは九王沢さんだった。


 自分では黙っていると言った割には沈黙をそんなに守っていない気がするが、涼花のピンチを救えるのは、この人しかいない。


「大丈夫ですよ、真相まであともう一息です」


 ここへ来て、九王沢さんの天使の微笑がまぶしすぎる。行き詰ったかに見えた涼花の推理だが、突破口がある、と言うのだ。


「すうちゃんの推理は、間違ってなんかいません。わたしが、すぐにそれを証明してみせます」


 ここへきて、九王沢さんがついにカイリーチの魔法を解き明かす。




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