第26話 ついに降りてきたひらめき

「あ、もう二時か」


 ふと時計を見た僕は、声を上げてしまった。そうこうしているうちに、二時間、経ってしまったのだ。


 まさにあっと言う間だった。九王沢さんのお陰か、カイリーチの仕業か。いずれにしても、魔法のようだ。



「そろそろ、林原さんが来る頃ですね…」


 九王沢さんは、手首の裏側の文字盤を見る。デザインはシンプルだが、また高価そうな腕時計だ。


 すると図ったように入り口のベルがけたたましく鳴り響き、誰かが飛び込んできた。


 もちろんみくるさんの担当編集の林原さんだと思った。しかし息せき切って入ってきたのは、スーツ姿の女の人だ。


 ブラックフレームの眼鏡に、髪を束ねてまとめている。たぶん三十代だと思うが、二十代後半と言っても通る。この人も、一般人とは思えないくらい綺麗な人だった。


「涼花やっと見つけた!どうして連絡しないの!?」


 のっけからすっごい怒っている。この期に及んで、涼花は聞こえないふりだ。


「児玉さんです。すうちゃんのマネージャーさんですね」


 九王沢さんがこっそりと耳打ちしてくれる。スマホの電源こっそり切ってたから、薄々そんな気はしていたが、涼花、追手がいたのだ。



「涼花ちゃん、今日はお休みだって言ってたのに…」

「そっ、それは本当ですよう!嘘じゃないですってばあ!」


 涼花は、両手をばたつかせた。


「嘘じゃないわよね。…でも、夜から仕事だからあんまり遠くへ行かないで昼過ぎには、一度連絡すること。そう言っておいたはずだけど」

「あっ」

「あっ、じゃないの!」


 カイリーチの話に夢中になっていて、忘れたのだろう。と言うか、スマホの電源を最初から落としてた時点で確信犯かも知れないが、そこは黙っとこう。


「でもっ、でも!ここへ来る前、ライン入れたし!」

「『ちょっと、二人でごはん行ってくる』だけじゃ、何にも情報がないでしょ!なに『二人』って!?誰と何時に、どこへ行っていつ帰ってくるのか、報告・連絡・相談!」

「ひっ」


 どん!と児玉さんはカウンターを叩いて、怖い声を出した。絵に描いたような鬼マネージャーである。


 まあ、涼花みたいな自由奔放なタイプはその方が、いいのかも知れない。まったく世の中上手く出来ている。


「児玉さん、すうちゃんを引き留めたのはわたしです。…だからあんまり、怒らないであげてください」

 九王沢さんが見かねてフォローする。


 もともと言い出したのは涼花だし、本当は九王沢さんが悪いわけではないのだが、つくづく出来た人だ。


「そんなお嬢さま、もったいない。この子がきちんとしてないのが、悪いんですから」

「うるっさいなあ…しばらく、ほっといてって言ったのに」


 涼花はそっぽ向いていた。僕の方へ、にっがい顔でぼそぼそ愚痴っていた。


「四時までに帰ればいい、って言ってたじゃん。もーう…どうやって追いかけてきたんだろ」

「甘いわよ、涼花」


 児玉さんは、スマホを見せつけてくる。聞こえてたのか。


「少し前から、お嬢さまと連絡とってたでしょう。ダメじゃない、やり取りしたことツイートしちゃ」


 この鬼マネージャーは涼花のSNSをチェックして、ここを突き止めてきたらしい。物凄い追跡能力だ。


 みくるさんといい、この手のタイプのマネージャーを務めるには、越境捜査官並みの勘の鋭さと捜査能力が、欠かせないようだ。



「四時まで、なんですよね。とにかく、コーヒーでも淹れましょうか」


 僕も助け舟を出さざるを得なかった。ここで涼花を連れていかれるわけには、いかないのだ。何しろ、まだカイリーチの問題が片付いていない。


「地方だから、三時には集合しないと。とにかく、のんびりしてる暇はないんだから」


 と児玉さんは涼花の手を引こうとする。いや、ちょっとちょっと!


「…児玉さん、わたし、今、出られない。…わたしが推理しないと、あと十分で、ダニエルさんのお店が潰れちゃうんだから!」

「ダニエル?」


 児玉さんはさすがに、目を丸くした。


「実は今、なんて言うか問題を抱えているんです。…だから今、涼花ちゃんがいなくなると困るって言うか…」


 僕たちは児玉さんに事情を説明した。何しろ、涼花のこれからの仕事にも関わることだ。



「それは、大変な話ですね…」


 事件の概要を聞いた児玉さんも、決していい加減な返事はしなかった。


「でも、そんな責任重大なこと、涼花で本当に大丈夫なんでしょうか。…こんなことお嬢さまに言うのもなんですけど、この子、苦手なんですよ。じっと座って本を読んだりとか、何か複雑なものを考えたりすることは全部」

「こっ、児玉さん!一般の人の前ですよ!?」


 涼花はあわてふためいたが、それは言われなくても分かっている。実物みたから。さっきからその涼花を九王沢さんと二人でなだめたりすかしたりして、ようやくここまでやってきたんである。まあむしろ僕なんか、かえって親しみが湧いた方だ。


「児玉さん、すうちゃんはあと一歩で真相に近づいているんです。…あと、五分程度です。わたしも出来ることはしますから、スケジュールを調整して頂けませんか?」


「時間に関しては全然、問題ないです。横浜ですから四時にここを出ても、移動は可能ですから。…でも、問題は涼花本人です。あんた、大丈夫なの?この話は、その、ダニエルさんと言う方のお店の経営が懸かっているんでしょう?責任は重大よ」


 確かに。改めて大人から正論で説かれると、うかつにいいとは言えない問題である。


 涼花の答え方ひとつで、十分後にはカイリーチはダニエルさんのお店からマジックスープを取り上げてしまうかも知れないのだ。


「分かってる。でも、児玉さん、やらせて。もう後には退けないんだ」


 涼花の一言は決して軽くない。だが、迷わず、こう言い切った。


「児玉さんも分かってるでしょ。わたし、お嬢さまに推理で助けてもらったから、今、元の通り、女優のお仕事が出来てるんだから。わたしも成長するってとこ、見せたいもん。がんばってみたいの。だからお願い、まだここにいてもいいでしょ?」


 涼花が覚悟を決めて言いきったので、さすがの児玉さんも、これ以上は何も言えなそうだ。


「分かった、そう言うことならいいわよ。涼花、あなたが本当に自分で責任を取れるなら、わたしも何も言わない」

「すうちゃんばかりではありません。わたしにも、責任がありますから」

「おっ、お嬢さまはいいんですよ。ただ、わたしは普段のこの子がきちんとしてないから心配で言っただけで!」

「児玉さんは、そこでコーヒーでも飲んでれば?」


 涼花は冷たい声で、僕が大切に淹れたコーヒーのカップを、がしゃっと児玉さんの前に放り出した。指が入りそうな雑さだ。やれやれである。


 涼花は、それから九王沢さんがまとめてくれた事件資料と例のメモを持って、カウンターを離れた。


 そう言えばあの柱の陰の席は、みくるさんの定位置だ。追い詰められて、極限の知恵を絞りだす人が座る、地獄の玉座である。



「大丈夫かな、涼花ちゃん…」

「大丈夫ですよ。今のすうちゃんなら、必ず結論にたどりつきます」


 僕はちらりと九王沢さんを見た。この人も、これ以上のヒントを言う気はないらしい。だが何度も言うが、考えられる可能性はすでに検討され尽くしているのである。


 ページや本自体をそのまますり替える方法、科学的に文字を消す方法、ここまで並べ立てた時点で、九王沢さんは、その外にある可能性にたどり着いたようだが。


 僕の脳では、羅列された可能性のおりから出られそうにない。消えてしまったスピンの問題といい、何がどこに結びついているのやら。



「あの、へ~たさん。わたしにもコーヒーを」


 九王沢さんは三杯目のカップを手に、のほほんと時間待ちだ。頭脳労働者には、コーヒー中毒が多いと聞くが、九王沢さんもその類だ。



「うっ!わあああっ、頭が痛い!もうっ!座ってられない!」


 そして涼花の方は、二度目の限界が来た。この子には頭脳労働者は向いてない。どちらかと言うと活発な、身体を動かすのが好きなタイプなんだろうな。


「トイレに行ってきます!」

 と、あらぬ方向へ歩き出した涼花を僕が制止しようとしたときだ。

「ぎゃあっ」

 まーたいきなり入り口のベルを鳴らして入ってきたお客とぶつかった。盛大に書類の束が散った。


 その悲痛な困り顔は、みくるさんの編集者、林原さんだ。ついに真の被害者が到着したのだ。


「大丈夫ですか?ごめんなさい、今からお話、仕上げるところで」

 九王沢さんと涼花は、林原さんが散らばした書類を拾い上げる。


 どうやらそれは、中途半端なまま送られてきたみくるさんのネームらしい。林原さんは、もう虫の息だ。


「今、この続きを描いてくれる先生と打ち合わせてきて、作画スタッフさんの集結待ちなんですよ…ここでお話の展開さえうかがえれば、みくるさんがいなくても、徹夜で何とか!」


 いつもながら、なんてかわいそうな人である。


「お疲れ様です。今、へ~たさんがコーヒーを淹れてくれますから」


 涼花が、席を誘導する。


 おずおずと対面の席に座った林原さんは、それが秋山すずか本人だと気づいて、瀕死の象のような悲鳴を上げていた。


「あっ!あっ!秋山すずかちゃん!?本物だあ!?」


 本物である。そしてさっきまでぶっ壊れていた涼花だったが、さすがのプロ魂で、営業用の完璧なスマイルを見せる。


「本当に、大変ですね。今からいちから原稿作るなんて」


 きらびやかな芸能人の涼花に心配されて、林原さんもたまには役得がある。


「いやそんな!とんでもない!これが仕事ですから」

「でもすごいです。園城先生、見つからなかったのに」

「それはいつものことですから!先生の原稿はねえ、初めから存在しない、って思ってた方が気が楽なんです」

「初めから、存在しない、ですか…」

 涼花は目を丸くした。

「そうです。最初からいない!そう思わなくちゃ、やってられません」


 えらい言われよう。まー自業自得だが。


 ここにいないみくるさんにつくづく呆れながら見ていると、ん、なんだ?涼花の顔色がみるみる変わった。



「最初からない…存在しない…発想の転換…ああっ、もしかしたら!」


 涼花は独り言つと、やがて大きく手を挙げた。


「分かった!お嬢さま、わたし今、分かりました!」


「ええっ」


 奇跡が。奇跡がついに起こったのである。涼花が、壁を越えた。分かった、と言った。今の会話で?いや、本当に?同じように聞いてたけど、にわかに信じがたい。


「涼花ちゃん、本当に大丈夫なの!?」

 僕はついに声を上げてしまった。しかし涼花の自信は揺るがない。そんな、まさか?

「大丈夫ですよう!お嬢さま、つまりこう言うことですよねえ?」


 涼花は九王沢さんの髪をかき上げると、得意げに何かを耳打ちした。僕にもやってほしかったが、そう言うわけにはいかない。


「正解です。わたしも、同じように考えていました」


 それを聞いた涼花は大きくジャンプして、ひとりガッツポーズだ。


「やったあ!やっぱり!やっぱりですよねえ!お嬢さま!」


 二人は仲睦まじく抱き合って、喜んでいる。こっちは置いてけぼり感満載だ。


「ではカイリーチに何を質問するか、もう決めてありますね、すうちゃん?」


 九王沢さんに言われて、涼花は自信たっぷりにうなずいた。


「はいっ!」


 そうなれば九王沢さんはもう、みなまで言わなかった。


「へ~たさん、みていてください!これからすうちゃんが、カイリーチの魔法を解いてみせます!事件は、解決です!」



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