第25話 残されたスピンの問題は

 大した質問ではない。


 そう、思っていた。なぜなら言うまでもなく、なくなったことが問題なのは、そんな紐のささやかな栞などではなく、五百年前の魔女が、そこにしたためた文字そのものなのだから。


 とは言え、興味はあった。九王沢さんが、最後に選んだ質問だ。当然、カイリーチがどんな反応を見せるかについては、注目すべきところだ。注目はカイリーチだが、魔女はもちろん、動揺したりはしなかった。


「スピン…て、あのひもの紐のことね?…あの本に?…そんなもの、ついていたかしら?」


 彼女はびっくりした猫のように、片目を剥いただけだ。


「ついていました。それだけは、確認しています。ダニエルさんが、最初に持ち主から送ってもらった動画から、何度も」


 九王沢さんが画面越しに、自分のスマホに移したデータを見せる。九王沢さんに言われて僕も涼花も確認した明白な事実だ。ダニエルさんが受け取ったとき、そこに、スピンはついている。



「分かるわ。…確かに持ち主が、そこにページに挟んでいる」


 カイリーチは、悪びれない口調を崩さない。


「でもそれが、そんなに重要なことかしら?」

 カイリーチは怪訝そうな声だ。


 やっぱり、そう言う返しが待っていると思った。僕だって本心を言えば、カイリーチと同意見だ。しかし九王沢さんは、迷わない。


「本当に重要かどうか、それはあなたが答えを知っているはずです」


「つまりは、駆け引きがしたいってわけね」


 カイリーチはうそぶいてはみたものの、さすがに戸惑いの様相を見せる。


「駆け引きではありません。あなたが好きな『契約』の履行です。事件に際して、あのレシピからスピンが紛失したこと、それが実際に重要かどうかは別として、あなたはわたしの質問に答える義務があるはずです」


 九王沢さんは強気、まさに押しの一手だ。


「とても単純な質問です。簡潔に、イエスか、ノーか、で答えて下さい」


 尋ねる九王沢さんの表情は、真剣である。カイリーチもすっかり、気圧されているのが雰囲気でわかる。


「そう。…だったら、答えてあげる。スピンを盗ったかどうか。答えは、イエスよ」


 答えた。しかも、認めたのだ。はっきりと。のらりくらりと質問をはぐらかし、かわしている感があったカイリーチだが、ついに真っ向から意味のある答えを口にしたのだ。


「ただ一つ、条件があるわ。『スピンを引っこ抜いて、本を壊した』。そう揚げ足をとられた困るから、これはここだけの話にすること。完全にオフレコよ」

「はい」

「あらかじめ断わっておくけど、ダニエルの前で聞かれても、わたしはノー、と言うでしょうね。…それでいいなら認める、スピンを盗ったのはわたし」

「イエス、と言うことですね」

「そうよ。この場限りでね」


 九王沢さんは、それが聞きたかったのだ、と言う風に微笑んだ。


「たださっきも言った通り、それは些細な問題。問題は消えてしまったページの文字の行方でしょう?」


 カイリーチの言うとおりだ。九王沢さんはこれになんの反論もしない。認めたも同然に、僕たちには見えた。


 やっぱりそうだ。カイリーチは譲歩したし、素直に何かを認めたと言うことでは、大きな一歩かも知れない。だがそれは別にこの質問が重要でない、と言うことの何よりの裏付けではないか。


 カイリーチが本当に魔法を使わなかった、と言うならば、スピンはレシピの文字を消すのに何か物理的なトリックを施しているときに、取れたのだ。だが問題は、単に脱落しただけ、と言う可能性である。


 なるほど今のでカイリーチが、あの本に指一本を触れなかったのではない、と言うことは立証できたが、どうやってレシピの文字を消したのか、と言うトリックそのものについては、スピンが脱落したことと、なんの因果関係もないかも知れないのだ。


 いわばそれはそれで一つの小さな事件であって、カイリーチが抱えているはずの真相には、到達し得る手がかりではなかったとしたら、今の質問は無意味だ。


 と、言うか、だからこそこの魔女は、あっさりと、スピンを抜き取ったことを認めたに過ぎないんじゃないのか?



「いえ。それで十分なのです。真相に達するには。…認めてくれてありがとうございます」


 しかし、九王沢さんは手ごたえ抜群の表情だ。一体今の質問から何を得たと言うのだ。僕と涼花は思わず、顔を見合わせてしまった。


「さてじゃあ、今ので最後の質問ね。これが約束だから締め切るけど…本当にもういいのかしら?」


 念を押されて、僕は思わず涼花の顔を見た。案の定、涼花も言葉に詰まっている。


 そもそもたった三問で涼花を解答へ導く、と言ったのは九王沢さんだ。


 僕たちだって糸口を掴みたいが、正直、五里霧中のまま、ここまで来てしまった。もういいのか、と言われても、駄目だとは言えないし、九王沢さん以上の鋭い質問など出ようはずがない。


 あと三問で正答に導く、と言う九王沢さんの言葉を信じて、この会見を終わりにするしかないのだ。本当にこれで良かったのか?



「はい、ではここまでで。次はわたしたちの考えを話します」


 九王沢さんはきっぱりと言うと、僕たちの方を見た。


「いいですか、すうちゃん、へ~たさん」


 僕と涼花は無言で頷いた。頷くしかない。不安だが、なにせこの三問に賭けるしかないのだ。


 そんな僕たちをしり目に、九王沢さんは自信満々に言い切った。


「それでは十分後に。カイリーチさん、あなたがレシピにかけた魔法を解きたいと思います」


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