第24話 最後に確かめるべき事実

 かくしてあと一問。本当に、あっと言う間だ。ところどころ、カイリーチが顔色を変えた部分があるにせよ、ここまでで事件についてそれほどに重要な情報が増えたと言う風には思えない。


 涼花など、自分の手帳を取り出して熱心に今のやり取りを書き取っているが、こんなことで本当に真相まで、たどり着けるものなのだろうか。うーん、心配だ。


 いよいよ、次が最後の質問になるのだが、

(あ、そう言えば…)

 そこで僕は、あることを思い出した。

「九王沢さん、確認しないんですか。ダニエルさんに。…ほら、本から無くなったかも知れないもの」

「スピンのことですか?」


 そう、本についている紐の栞、スピンと言うやつ。九王沢さんは犯行前と後で、このスピンが本から脱落しているのではないか、と言うことに、疑いを持っていたのだ。


 これはまだ、こっちが画像で確認できないだけで疑いなのだが、NYのダニエルさんに直接、確かめようと言っていたはずなのに。九王沢さんは、ごくあっさりとこう言い放ったのだ。


「それは大丈夫です。次に直接、彼女に聞きます」

「カイリーチにですかあ!?」


 何かと思えば、最後の質問てこれか。言っちゃ悪いけど、そんなこと、些細なことじゃないか。あと一問で、と言ったのに、いいのかそんなことで。


「はい。恐らく、スピンを盗ったのは彼女でしょう」

 自信たっぷりに、九王沢さんは断言する。

「わたしは最後に、犯行そのものについて聞くつもりです。…すうちゃん、それから、あなたの質問になりますから、しっかりと聞いて準備をしていて下さい」


「はっ、はい!…分かり、ました」

 涼花は精一杯返事をしたが、それでも自信なげな表情だ。


 当然だと思う。彼女はまだ、九王沢さんが与えたヒントらしき情報を呑み込む段階なのだ。それを必死にやっているだけでもえらいのに、そこからさらに自分の考えを持つ、なんてところまで踏み込めるんだろうか。


「すうちゃん、自信を持って下さい。ちゃんと真相には近づいていますから」

 と、九王沢さんは励ますが、それで不安が去ると言うものではない。


(そもそもどうして、九王沢さんは、スピンは、カイリーチが盗ったんだって断言できるんだろう…)


 言うまでもなく、それは本から文字が消えたトリックと、何か関係があるのだ。九王沢さんはそれにいち早く着目し、ここまでで何らかの確証を得ている。残りの一問をそれに絞ったからには、よほどの自信があるんだろう。



「さて、大分時間も経って来ちゃったわね。あなたたちと話していると、楽しいから時間を忘れちゃうわ」


 五分中断の後、カイリーチが現われた。深夜テンションのせいか、声がひときわ高い。ニューヨークの時差では、向こうは深夜を通り越して夜明けに近づいているはずだが、それでもカイリーチは一向に気にしていない様子だった。


「ねえ、次は最後の質問でしょう?ちゃんと考えてきた?」

「わたしの最後の質問は、あらかじめ決まっています」


 九王沢さんはこれを、堂々と迎え撃つ。おっとりした人なのに、駆け引きも上手ければ、尋問も堂に入ったものだ。


「それは、犯行そのものについてです。…ただもちろんあの本から、レシピを消した『魔法』のタネについては、直接聞くつもりはありません。何よりあなたも話しにくく、わたしも聞きづらい。恐らく実りある質問には、ならないでしょうから」

「つまり、フェアではない、ってことよね?」

「そう言う言い方が、許されるなら」


 九王沢さんのその答えに、カイリーチは心底満足した、と言う風に、微笑んだ。


「賢明な判断よ、じゃなきゃせっかくのゲームが盛り上がらない」


(ゲームかよ)

 僕は内心呆れた。


 九王沢さんはあえて応じなかったのだろうが、二人のやりとりには、リアルにダニエルさんのお店そのものの命運がかかっているのだ。


 ニューヨーク五番街と横浜の片隅の違いはあるが、同じ店舗経営に携わる者の端くれとして、お店の命運が、目の前で誰か別の人の手のひらのうちで弄ばれるのを見る、と言うのは、どうにもたえ難い事態である。


「でもそうなると、難しいわね。質問の内容は自ずと限定されることになる」

「はい、そうなりますね」


 小悪魔笑いのカイリーチに対して九王沢さんは、天使の笑みで応える。


「聞ける内容は限られてくるでしょう。言い換えればあなたがどれだけ、本当のことを話しているのか、こちらは質問で図らなくてはいけませんし、真相を炙り出すには、慎重にポイントを絞らなくてなりません」

「ふうん。…つまり、お互いこの場に出せる持ち札の数は限られているってわけね」


 二人ともにこやかに見えて、内情は角の突き合いだ。まだ具体的な質問には移っていないが、すでにはらの探り合いは始まっているのだ。


「それで?あなたはどのカードを切るのかしら?」

「まずは簡単な質問にします。あなたが答えやすいように」


 九王沢さんはそこで言葉を切ると、少しためた。


「事件は一見、複雑そうに見えますが、ただ一つの特別な部分を除けば、構造は単純です。例えばあなたが、直接届いた本を見ることが出来たのは、ダニエルさんのオフィスに乗り込んだ一回だけ、ページから文字を消すチャンスはそのほんの僅かな時間に過ぎなかった。これは、確かなことのはずです」


「否定も肯定も、しなくていいのよね?」

 カイリーチは両手を拡げ、肩をすくめた。


 誰が見てもそれは、半ばイエスと言ったようなものだ。


「解答は自由です。…ただ事実は、あなたがオフィスを訪れたときから、ダニエルさんがレシピから文字が消えていることを確認した夕方まで、この間に『魔法』がかけられたことを示しています」


「なるほど、否定は無駄、って言うことね。…じゃあ、分かった。イエスよ。あなたが言う事実、ってことなら、わたしは、あの後一切、ダニエルのオフィスに侵入した事実がないんだから」


「ありがとうございます。…と、なると『魔法』はやはり、短時間でかけられたものと断定していいと言うことです。会見は十数分、ダニエルさんがレシピとあなたから目を離したのは、ふいの来客があったほんの数分、その間の犯行です」


「ええ、そう。その通り。それもイエスと言っておく。…でも、よく考えてほしいことがある。想像して?…だってほんの少しの間よ。あのとき、わたしに許された自由は。…例えばその間に、ぐるぐる巻きに梱包されたあの本に何が出来ると思う?」


 何も出来ない。想像してしまった。僕が同じ立場に立ったとして、出来ることは、何もない。しかし、九王沢さんは不敵に微笑むだけだった。


「わたしは想像はしません。…事実を、確かめるだけです。そのときのあなたにも、出来ることがあったはずです」

「出来ること?」

「そう、つまりこれが最後の質問です」

 目を丸くしたカイリーチに、九王沢さんはついにあの質問を突きつけた。


「そのときあなたは、レシピからスピンを抜き取りましたか?」




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