第8話 盗まれたマジックスープ

 九王沢さんのスマホに映っているのは、そのお店のサイトのようだ。世界一地価が高い、と言われるNYCのど真ん中。

 人だかりが出来たお店のショーウィンドウに、深みのある小豆色になめした牛革の表紙と、羊皮紙で造られたとても大きな本だ。大の大人が抱えるくらいだから、鎧戸よろいどほどの大きさはある。どうやらこれが『魔女のレシピ』のようだ。



「うわー、お店も素敵じゃないですかー!」


 涼花の顔が、みるみる輝く。涼花の言う通り、昨年オープンしたばかり、と言うレストランは、セントラルパークから少し南へ行ったところにあるらしい。歴史ある建物を改築したものか、年経としふりた材木を使って組み上げられた、味わい深い店構えだ。


「元々は、アメリカの家庭料理のお店みたいですね。『魔女スウィンムーアのレシピ』からいくつかお料理も再現されているそうです。お店一番のメニューは『スウィンムーアのチキンのマジックスープ』」

「えええっ、どんなスープなんですかっ!?それっ、絶対食べてみたいです!」


 九王沢さんのスマホに涼花が食いつきそうになったとき、僕の電話が鳴った。なんと親父だ。奇蹟が起きた。店に九王沢さんがいるってメッセージをあらゆる連絡先にぶちこんでやったので、やたらとレスが速い。ったくあのスケベ親父。


『なんだ、困ってるんだって?』

「みくるさんがね。ここにいないけど。…てゆうか親父今、どこにいるんだよ!?」

『話してお前に分かるかよ。…とにかく、アメリカだよ』


 心なしか、背後で爆風の砂嵐が聞こえる。耳に刺さるキーン、と言う飛行機音もだ。アリゾナだかニューメキシコだかとにかく、のんびり電話をするような場所じゃなさそうだ。


「みくるさんに漫画のネタ、提供しただろ?ニューヨークの魔女のレストランの」


 そこで僕はスマホをカウンターに置いて、スピーカーを点けた。いちいち僕経由で話すのもめんどくさいのだ。あああれなあ!と思い当った親父の馬鹿でかい声が、急に店の中に響き渡った。


『そこのオーナーシェフのダニエル・フォーリーが、触れ回ってる話だよ。本だか、映画になるんだかよく判らんが。あの店が開店前、魔女のレシピ本を買おうとしたら、本物の魔女にレシピを盗まれた、って言う』


 涼花は今度は僕のスマホに食いつきそうな勢いだ。

「えええええっ!本当ですか!?本物の魔女に!?魔女…って今もいるんですか?」

『あれ!?…九王沢さんじゃなかったのか?』

「いいから話せよ」

 涼花が名乗ろうとするのを、僕は押し留めた。


 女優の秋山すずかまでいるなんて言ったら、ベエスケ親父、今から帰って来るなんて騒いで面倒くさいことになる。


『魔女は実際にいるらしいぜ。…それが、ダニエルのニューヨークの店のオフィスまで来たんだと』


 その女性は言ったらしい。あなたが買おうとしているレシピには一つ、渡せないものがある、と。なんとそれがお店の看板料理のチキンのマジックスープだったと言うから、驚きだ。


『レシピは私が買った、あんたが何者かは知らないが、返してほしいなら買い戻してもらわないと、とダニエルはその魔女に言ったらしいんだ』

 本は五万ドルである。すると魔女は、困った顔ひとつせず首をすくめた。


「そんなお金はないわね、残念ながら」

 そして魔女はあっさりと、こう言ったと言う。

「でも五万ドルは、その本の値段なわけでしょ?…だったら本なんか、要らないわ」


 本に載っているレシピそのものを盗む、と魔女は宣言した。



「馬鹿な」

 ダニエルは、目を白黒させたと言う。本一冊要らないと言ったって、ページだけ持って行かれても困る。たとえ一ページでも破り取られたら一冊五万ドルの価値は、損なわれてしまう。


「もし本を傷つけるつもりなら、僕にも考えがある」

 ダニエルはスマホを取った。相手は興奮しているわけでもないし、別に訴えるつもりはなかったが、面と向かって盗むと言われて黙ってもいられないからだ。


「本は要らないって言ってるでしょ。欲しいのはレシピよ。損害賠償には、問えないはずよ」

 ダニエルは鼻で笑った。

「持って行くなら、どうぞ。持って行けよ。魔女なら、魔法を使うんだろ?その代わり、少しでも本に傷をつけたら、君のことを訴えるからな」

「ご自由に」



 結局、魔女が宣言した通りになった。届いた本から、レシピは消えて真っ白なページだけが残ったと言う。



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