第6話 たった一冊の手がかりから

「推理って…本当にここで?」


 僕たち二人、唖然としてしまった。


 あのおっとりした九王沢さんが推理?と、言うのもあるが、もっと驚いたのはここにある手がかりだけで、まだこの世に存在もしていない、みくるさんの頭の中だけにある(かも知れない)物語を再現しようと言うのだ。涼花も、半信半疑だ。


「えっ、だってお嬢さま…まだ、出来ていないお話なんですよ。それをはじめから創るなんて出来るんですか、そんなこと…」

「もちろん、そんなことは出来ません」


 スマホを手にした九王沢さんは、きっぱりと言い切った。


「みくるさんの創作表現は、みくるさんだけのものなのですから。しかし、お話の骨子だけなら、再現することは出来なくないはずです。この場合いわゆる、みくるさんの『構想』の再現してみればいいだけのはずです」


 九王沢さんはことなげに言う。


「幸い、みくるさん本人をわたしたちは知っています。まずみくるさんは、作品を描くにあたって、特別な取材旅行をあまりしないタイプだと思いました。確か、そうでしたよね?」

「あ、はい。ヨーロッパは沢山知り合いがいますし、旅行はほぼ趣味で行ってるはずなので」


 そう言う意味では、みくるさんの場合は知識と経験の蓄積があるのだ。長年ヨーロッパマニアとして中世の史跡や研究家、果ては魔法使いのところまで趣味の段階でたどりついているので、言われてみれば作品を書くときに特別な取材旅行は、ほとんど必要としないと言ってもいい。


「わたしの知る限りでは、みくるさんはアメリカにはほとんど行きません。それでもあえて取材旅行に行ったと言うならば、それは最初からこの作品の参考になるお話があると知っていて、足を運んだ可能性が高い、と考えていいと思います。問題は、どこへ寄って何を聞いたか、と言うことですが」

「ようし、分かった!謎はすべて解けましたお嬢さま!」


 何かの物真似だろうか、涼花はなぜか自信満々な顔で手のひらに拳を叩きつけると、ガイドブックを拾い上げた。


「犯人は、ニューヨークにいます!」

「うん、まあニューヨークに手がかりあるね…」


 どんなボケだ涼花ちゃん。そのどこかで聞いたような台詞、とりあえず言ってみたかったんだろうけど、それじゃ推理になってないよ。


「はい、このガイドブックにもヒントが隠れています」

 しかし集中モードに入っている九王沢さんはそんな涼花のボケですら、スルーである。

「これを見て下さい。ほとんど新書同然です。ペンでチェックした跡やページを開いた形跡すらありません。スマホを使った方が確かに街歩きはしやすいですが、それにしても全く目を通した形跡がない、と言うのはおかしいと思いませんか。へ~たさんは、みくるさんのスケジュールって、把握されているんでしたよね。アメリカへ旅行に行ったお話は聞いていますか?」

「いえ、ちょっとそれは…僕が知る限りではそんな暇なかった、と思うんですけど」


 みくるさんのスケジュールは、ぱんぱんである。替わりばんこに締切が来る掛け持ち連載に、どんどん直しが入るコミックスの刊行に追われ、まさに寝る暇もないのだ。そもそも今回のヨーロッパ旅行だって、無理くりスケジュールをねじこんでいる。正直、アメリカなんて行っている暇なんかないと思う。


「え、でも、ガイドブックを買ったんですよね?行ったのは、行ったんじゃないですか?」


 涼花は不思議そうな顔だ。確かに、行きもしない旅行のガイドブックは、一般的には買う必要もないものだ。


「すうちゃん、本の奥付を見て下さい。この本、今月出ているんです。今月ヨーロッパに行ったみくるさんが、旅行のためにこの本を買ったとは、到底思えません。つまりこれは、ただの執筆資料なんです」

「執筆資料!?」

「はい。…作品を描くときに、舞台となる場所に足を運ぶのは、作家の常道と思われがちですが、時には現地に立ち寄らず文献や映像資料だけで、描く場合もあります。いわゆる地図旅行です。例えばすうちゃんも、グーグルアースで世界の知らない街をのぞいたりして遊ぶことがあると思います」

「はい。仕事忙しい時とか、よくやってますよ。そう言えば今、ムーミングッズにはまってて。すっごいフィンランドへ行きたいんですよね…」


 疲れ顔の涼花は遠い目をした。そのまま心が、フィンランドに行ってしまいそうな表情だった。おーい、戻ってこーい。


「現代は情報ツールが発達していますから、地図旅行は手軽になりましたが、古い作家さんたちは文献や聞き書きだけで、作品の舞台となる、まだ見ぬ遠い地を踏査したりしたんです。


 例えば昭和の作家さんで言うと、松本清張まつもとせいちょうさんなどは、地図旅行の名人でした。後で実際に取材旅行でその地を踏んだ時には、まるでそこに来たことがあるみたいだった、と言われます。


 恐らくみくるさんも、実際に旅行すると言うよりは、頭の中で架空のニューヨークを組み立てるつもりで、こうして資料を集めたんでしょう」

「そうか…」

 なるほど、と僕も思った。


 忙しいみくるさんがアメリカへ旅行になんて行けるはずがないと言うのは、少し考えてみれば、分かることだが、それを新品のガイドブック一冊から突き止めた九王沢さんの力は、並みじゃない。


 まさかと思ったけどこの人、本当に推理が出来るのだ。



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