第5話 炎上漫画家の忘れ物

「みくるさん…ネームをお店へ持って行った?」

「ネーム、ってなんですか?」


 いぶかる涼花に、僕は簡潔に答えた。


 みくるさんから聞いた話によるとネームとは、下書き段階のいわゆるプロットのようなものだそうな。


 コマ割りにラフスケッチでキャラだけが描かれていて、台詞やイメージが仮に描かれている。人によっては、文字だけの人もいるらしい。ストーリーと展開だけが分かるようになっている作品の骨組みである。


 漫画家さんにとってそれは、いわば企画書のようなもので、これでゴーサインをもらえたら仕事が始まる、まさに命のようなものだ。


 林原さんの話だと、それは出国前に打ち合わせをするはずのものだったらしいのだが、音信不通のまま引き延ばされて、ついに、のっぴきならない段階になってしまったようなのだ。



『とりあえずもう、お話をもらわないと先に進めないので』


 最後の望みに賭けて、この店に電話をしたのだと言う。


 消息を絶つ前、みくるさんは、日本にネームを置いてきたと言う情報を、辛うじて漏らしたらしい。作品よりスリリングな作者って、どうなんだろ。


「ちょっと待ってて下さい」

 僕は、手元にあるみくるさんが置きっぱなしのものを確かめた。仕事関係のものに限らず、これが結構、洒落にならないくらいにあるのだ。

「えっと、これでしょうか、ニューヨークの」


 あっ、と涼花がカウンターに拡げられたネームを見て、声を上げたのが分かった。例のドラマと連動してる云々のやつだ。


「書きかけですね…これ。ネーム、最後まで作ってないのではありませんか?」

「ええっ?」

 九王沢さんが封筒に残っている原稿を取り出して、中身を確かめている。


 そこには冒頭の文数枚のネームと、デザインしたキャラクターのラフなどが載ったスケッチブックしか入ってなかった。



『困ります。最低でももう、ネームは完成してないと打ち合わせが出来ないんです…』


 林原さんは、息も絶え絶えだった。みくるさんのすっとばしは毎度のことながら、胃腸の調子が心配だ。


「大丈夫なんじゃないですか。これ、ラノベ原作ですし。お話自体は小説のコミカライズでしょう?」


 涼花がけろっとした顔で言う。だが、話はそんなに甘くなかった。


『今回に限ってドラマのお話は、園城先生オリジナルなんです』


 僕たちは返す言葉がなかった。ったく、安請け合いするから。これでまたすっ飛ばしたら、炎上じゃないか。


『原作者の方が園城先生の大ファンで、自分でノッたのかノセられたか分かりませんが、その挙句、先生が自分で話も作る!と言い張った、わけでして…』


 からの、この体たらくである。本当、今言ってもしょうがないが、スケジュール管理が出来ないなら、そろそろ、屈強なマネージャーとかつけるべきだ。元軍人の鬼教官みたいなやつを。


「…僕からも至急、連絡取ってみますから。…書きかけだけでも、取りに来れますか。ああ、はい、二時間くらいですね。…お待ちしてます」


 僕は電話を切った。これは、気の重い待ち時間になりそうだぞ。


「すみません。せっかく貸切の予約とって頂いたのに」

 と、僕が言った時だった。


 気が付くと九王沢さんが熱心に、封筒の中身を漁っている。


「あと二時間は、あるんですよね?」

「はい、でも気にしないでください。たぶん、みくるさんにはつながらない、と思いますし…」

 僕が言い訳をしたそのときだった。

「お話は完成できますよ。わたしたち、みくるさんみたいに絵は描けませんが」

 と、九王沢さんが言い出したのだ。

「えっ」

 僕と涼花は思わず、顔を見合わせた。


 だってまだ、みくるさんの頭の中にある話だ。それがどんなものかなんて、当てることなど出来っこない。


「見て下さい。みくるさんはネームの他に、取材のメモや参考資料を残していますよ」


 九王沢さんはこともなく、封筒の中身をカウンターに広げた。


 すると色々と出てきた、出てきた。ニューヨークの町並みを撮った写真に地図、レストランらしい食事のメニューやパンフレット類、さらにはリングノートの小さなメモ帳まで。


「材料は揃っています。後は、手がかりをもとにわたしたちが、物語を再構築すればいいと思います。ここに三人いますし、いざとなればインターネットも国際電話も使えるわけですし」


 僕は見た。九王沢さんの瞳が、美しく潤って輝くのを。やっぱりこの人は、ただの残念なお嬢さまでは、決してない。九王沢さんは、天使の笑みをたたえて言った。


「へ~たさん、すうちゃん、一緒に推理してみましょう」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る