第3話 真夜中の駆け込み客
(みくるさんは本当に僕を好きになった?)
それはいまや僕にとって、甚だしく疑問だ。
あのとき思ったように、大人の癖にドジっ子なみくるさんが僕のスウィッチをたまたま押してしまっただけで、みくるさん本人は自覚しないままここまで来てしまったかも知れないのだ。
(本当に
例えばあの晩の涙の意味を、僕はいまだに知らない。
去年の秋からまた、新しい仕事が始まって宝生さんとの交流は復活していたのだ。
もしかしたらあの晩はたまたま喧嘩して、絡みやすい僕を頼りにしたかっただけかも知れない。
だって相手は、趣味で小説の仕事してるほど金持ちな、医者の御曹子だぞ。ヨーロッパ車だぞ、勝てるわけなんかない。
あの春からもう半年以上も経ってしまった。もう、十月だ。手遅れにもほどがある。
神様が留守でいない月。僕は誰にすがりゃいいんだ。
心の暗黒面に、僕が落ちかけていたときだった。
どんどん、と店のガラスを叩く音がした。もう零時前だぞ?なんつう非常識な。しかし僕があわてなかったのはそもそも、こんな非常識な人が誰かを僕が知っているせいだ。
絶対、みくるさんである。僕は何か言おうとして、顔を上げて絶句した。
お店の窓ガラスをみて、驚愕した。げっ、みくるさんじゃない。先週あのプリントアウトを持っていた変な客だ。両拳でガラスを乱打しながら、彼女はぐしゃぐしゃに泣き腫らしていたのだった。
「ごめんなさい!ごめんなさい!こんな夜遅くにごめんなさい!」
すっごくかわいそうな気分になって、僕は店を開けた。よっぽど大切な原稿だったんだろう。だったら一週間もほっとくなよと思ったが突っ込めなかった。
中へ入れると彼女は、すっごい綺麗な顔をくしゃくしゃにしていて、さすがに嫌な顔は、出来なかったのだ。
「わっ、わたしこの店にっ…ひっく、忘れ物をっ…」
輝くばかりのルックスに比して、何だか生きづらそうなくらい残念な人だ。
原稿を渡すと彼女はそれをひっしと胸に抱きしめて、しばらくしゃくり上げていた。
うわっ、なんて言うか、あの分厚いプリントアウトが埋もれるほど、胸が大きい。なんか見てはいけないものを見てしまった気分だ。
「まさかここに忘れてたとは、思っていなくて…」
掠れた声で彼女は泣き続けた。
すっごい美人だけど、はっきり言ってみくるさんより厄介そうだった。
僕は黙ってコーヒーを淹れることにした。外は、さぞや寒かったろう。
「申し訳ありませんでした。もう、とっくに閉店ですよね…?」
今さら済まなそうに、その人は言う。
「大丈夫ですよ。忘れものならずっと預かってますし、遅くなっても後ろに住んでるんで、絶対誰かいますから」
と仕方なくフォローしたが、午前零時まで開いている喫茶店は、常識的に存在しない。人それを居酒屋と言う。て言うか、こんな夜中にコーヒー飲みたかったら、ファミレス行けファミレス。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます。コーヒーまで」
僕が淹れたイタリアンローストの砂糖入りコーヒーを飲みながら、彼女はほっと息をついた。
「やっぱりうかがった通り、とてもいいお店でした…」
それはようござんした。
…って誰に聞いたんだよ。
心の中で突っ込んでいると彼女は震える手で、その人はスマホを操作した。どこに電話をかける気だろう。そう思っていると。
「九王沢ちゃん、原稿あった?言ったじゃんかー、ここだったら絶対とっといてくれるってさー」
おっそろしく能天気な声がした。
僕は絶句した。みくるさんだった。表に車のライト。あれっ、何してんだよ。とか思っている僕をみくるさんは何気ない感じで見て言う。
「んに、へ~たくん、着信くれたっけ。ごめん、ちょっと話し中だったからさ。秋の模試、一個終わったんでしょ?」
言葉にならなかった。なんとあの不審過ぎるお客さんは、みくるさんの知り合いだったのだ。
「ああ、去年からやってる小説の挿絵の仕事。あれの監修してもらってるんだ」
残念な人だと思ってたら、物凄い人だった。
なんと九王沢さんは、イギリスから某国立大に留学して近代日本文学の研究をしていて、二十歳にして飛び級を繰り返し、博士号を二つもとってる人だった。
「ご迷惑だったと思います。あの、わたし、ここにあることが分かれば取りに来るのは別に、今夜じゃなくても良かったんですけど…」
一応、常識は弁えている人だった。非常識なのは強引に、今すぐ取りに行けと都内から車を飛ばしてきたみくるさんの方だ。
「まあまあ、気にすんなって九王沢ちゃん!」
お前はちょっとは気にしろ。
人に会いに行っていい時間帯を含む社会一般の常識とか、自分を待ってる人の気持ちとか。
「へ~たくん、大学受験がんばってるらしいねえ~?今日はさー、応援しようと思ってすっごいもの持ってきたのさ☆」
と言うみくるさんがどかっと置いたのは頭蓋骨。おい。縁起悪いなあと思ってみてると、なんとそれは綺麗に透き通っていた。
なんと驚くことにその骸骨は、水晶で出来ていると言うのだ。
「なんだこれ!?」
「ふっふーっ、なんだこれだろ!?」
みくるさんはにやりとして、その頭蓋骨を撫でる。いや別に僕は喜んでないけど。
「昔の魔術師が持ってた最強のお守りなのだ!」
みくるさんによればこれは五百年ほど前に、中世の魔術師やら魔女やら錬金術師やらが、自分の魔力を高めるために持っていたものらしい。転じて今は、幸運のお守りだと言うのだが。
「それね、伝説によるとノミとか工具を使ってないんだぜ。人の手でこうやって撫でてね、陶芸するみたいに作ったんだって。古代の人の指の痕が残ってると言う」
「そう…」
うう、嬉しくない。
すっごい貴重なんだろうけど、得体の知れない古代人の手で作った水晶なんていやあな念が籠もってそう。こいつの呪いのお蔭で大学受験に失敗したら責任とってくれるのか。
「そんな変な顔するなよ~、五年越しでやあっと手に入れたんだよ?あーんなに頼んでるのに、あいつ絶対手放さないんだもん」
「あいつって誰だよ…?」
そう、僕が言おうとしたときだった。
「ねっ、ねえここっ、駐車場ないの!?」
なんかすっごい高そうなスーツを着た男の人が、泣きそうになりながら入ってきた。
「ああ、九王沢ちゃん原稿あったって!宝生先生」
宝生先生!?この人があの、お金持ちの作家の宝生さん?
「わたしの勝ちだねえ」
満面のドヤ顔でみくるさんがにんまりすると、宝生さんはああああ、と嘆いて、膝から崩れ落ちた。なっ、何があったんだ!?
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