第4話 やがてくる花の季節を待ちながら

 この瞬間、ピントがボケていた何もかもが、はっきりとした気がした。


 こんなに真剣に長い間考えて答えをくれた、目の前のみくるさんしか見えなかった。迷いに迷ってたのが、嘘みたいだった。



「いいのっ!?」


 正直ヨーロッパ人の彼氏じゃ、絶対勝ち目ないと思ってた。でもみくるさんはまた、はっきりと頷いて見せた。確かにOKだった。


「こっちの台詞なんだけどなあ。いいのかよー、こんなわたしで」

「当たり前だろ」


 そんなみくるさんがいいのだ。


 確信を持って言える。もう迷ったりしない。僕は、紛れもなく彼女を好きになった。


 あの晩出会ったみくるさんも含めて、そこにいる、みくるさんの全部が。もう、みくるさんの代わりはいないのだ。



「ならほい、お土産」


 言うことを言うとみくるさんは、何か包みを渡してきた。


 開けてみると、中から紐で編んで作った不思議な文様のお守りが出てきた。タペストリーみたいに、異様にでかかった。


「これなに?」

「運命のお守り。お揃いだから。わたしと、へーたくんの」


 さらっと言うとみくるさんは、デジカメで撮ったデータ見せてきた。そこに、白装束のやけに無表情な男が、満面の笑顔のみくるさんと映っていた。


「それ作ってもらうの、苦労したんだよー。いやあ、ドイツの山奥でさ、この業界じゃ有名な白魔術師さんなんだから!」

「もしかしてヨーロッパに用事って、それ…?」


 当然だと言うように、みくるさんは頷いた。彼氏じゃなかった。彼女の好きな中世オカルトまっしぐらだった。


「みくるさんってさ、ヨーロッパに彼氏いるんじゃなかったの?」

「なに言ってるの?わたし、そんなこと誰にも言った憶えないよ?」

 みくるさんは当然のように答えた。

「そもそも彼氏作ったら、放浪できないじゃん!」


 そりゃそうだけどさ。もしや恋愛未経験?とか、これ以上は、怖くて確かめられなかった。だって処女…かもしれない。いや、処女でも僕は全然構わないけどさ。



「さ、じゃ用事も済んだところで、コーヒーでも淹れてもらって帰ろうかな。この分だとまだまだ、藤野ちゃんと来れそうにないしね」


 みくるさんはいつもの席に座った。それが、ぴったり絵にはまる。やっぱりあそこは、みくるさんの居場所なのだ。


「ちょっと待っててね」


 僕は残りのお湯を沸かした。


 豆も、さっき使った分がまだ残っているはずだ。確かめると、十分に一人前あった。紛れもなく今日淹れるのが一番美味しい、コーヒー豆を彼女にご馳走できる。


「一杯、飲んだらすぐ帰るから」

「うん」


 とにかく、丁寧に淹れようと思った。これを飲んだら、みくるさんは帰ってしまうのだ。


 だがそのときだ。



「にゃあっ!?」


 みくるさんのスマホが、テーブルの上から勢いよくダイブした。


 定番の風景ではあるが一大事だ。故障を心配しながら、あわててみくるさんは出ると、やっぱり林原さんだ。ぺこぺこ謝っていた。


 林原さん、捕獲の準備を完了してもうすぐそこまで迫っているらしい。


「ごめんコーヒー飲めない!!」

「またゆっくり来なよ」


 あわてて出ていくみくるさんの背に、僕は言った。


 そう焦る必要はないのだ。

 だってそのときはもっとちゃんと、僕が飲んだ残りじゃなくて。


 みくるさんのためだけに、丁寧に煎った豆で淹れるから。


 もう、あわてないで。僕も疑わない。だって。


 寒い風の日が終わって桜が咲いたら、もう、僕たちの時間なのだ。



 みくるさんのために淹れたコーヒーを、僕は飲んだ。


 大丈夫だよ。


 春咲く花を待つこの季節、まだそこにみくるさんはいなくてもいい。すでに僕は、そこを明け渡してある。まだぽっかりと心に空いたみくるさんの場所を守って、僕はただ待ってられるから。


 まだ、君をみんな飲み込めてはいない。でも確かに効いている。


 僕はふと思った。


 今の僕は。


 花待月はなまちづきのプラシーボなのかも知れない。

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