第2話 好きになった炎上さん

 と、傍らに置いてあるスマホが震えた。このタイミング、まさかと思って見ると、やっぱりみくるさんからメールが入ってる。


「コミックスの直しなう。はは、忘りてた☆」(タイトルなし)


 はは、忘りてたじゃねえよ。どんだけ仕事素っ飛ばしてるんだよ。


 ちなみに園城みくると言う作家の名前は、ウェブ上では『炎上みくる 園城ミスる』のキーワードで検索すると、本人のオフィシャルサイトより前に出てくる。


 爆弾発言なんかしないのに、絵的にそれほど間違いの多い人なのだ。


 ファンサイトの一部では、みくるさんのトンデモ間違いを集めたコミュすらある。それでもヨーロッパを舞台にした考証部分は確かだし、それだけ、注目を集める作家なんだろうけど。



 ともかくとりあえず、おかえりくらいは言うべきなのだろう。死ぬほど忙しいから、電話は出来ないだろうけど、メールくらいは返しておこう。


 とか思っていると、またスマホがバイブする。今度は着信だった。こんな真夜中に。僕はあわてて通話を押した。


『やっほう、へーたくん。やあっと、帰って来たよ』


 これだけ追い詰められてるのに、呑気な人だ。


 ちなみに僕の名前は、一野谷平太いちのたにへいたと言う。


 どう考えても園城みくるのインパクトには勝てない名前だ。



「おかえりなさい。何か忙しいみたいだね?」

『うーん、到着階のロビーで待ち伏せされちったよー。そのまま強制連行。編集の林原さん。あの人、本当にしつっこいから』


 その担当の人なら知っている。うちの店で、みくるさんを待っている間、よく胃薬を飲んでいる姿を見かける。かわいそうに。


「じゃ、今は東京?」

『うんにゃ。拝み倒して、横浜には帰してもらった』


 林原さん、成田から横浜まで強行軍だ。このように鉄道ミステリの刑事並みの追跡力と忍耐力がないと、みくるさんの担当は務まらない。


『仕事場行ったら、藤野ちゃんも応援に来てくれてたんだ。さすがに逃げられなくて』

「ちゃんと仕事しなよ。こっちはいつも通りだからさ」


 藤野ちゃん、と言うのはよく応援に駆り出される漫画家さんだ。一度、お店で挨拶されたことがある。


 フリルのついた服の好きな、とっても女の子っぽい人だ。やっぱりかわいい動物が出てくる作品を書くらしい。


『こんばんはあ、藤野です~』


 替わらなくていいのに、藤野さんも挨拶してくれる。普通の人の半分くらいのスピードでゆっくり話す人だ。


 第一印象から無理な頼みでも断れない人だと言うことが分かる。


『隙を見て藤野ちゃんと、絶対そっちに行くから。何かお腹に溜まって美味しいもの、二人前よろしく』

「え、今日一人だよ」


 うちはレストランじゃないし、せめて母親がいないと、まともな料理も出せないのだ。


 僕一人じゃ、鍋に入っているポトフを温めるか、サンドウィッチを作るかぐらいが関の山だ。


『うん、それでいいよ。あったかいポトフに、ローストビーフサンド。ピクルスつけあわせで、オレンジピールの入ったユーラシアビール!絶対美味しそう☆』


 朝からビールかよ。まあ、ローストビーフはある程度作り置きがきくので、冷蔵庫の昨日仕込んだやつで大丈夫だが。


『両方特盛ね』

「うち、牛丼屋じゃないんですけど」


 女二人のけたたましい笑い声が聞こえた。


『うん!へーたくん、相変わらずツッコミの間完璧だねえ!才能あるよ』

「嬉しくねー…」


 二人とも深夜突貫工事だから、妙なテンションだ。眠気をおして、付き合う方は中々追いつけそうにない。


 僕は小あくびを漏らして、深夜笑いの神が立ち去るのを待った。


「じゃ、切るよ。仕事忙しいんだろ」

『あ、待って』

 まだあるのかよ?

『食後は、へーたくんのコーヒー忘れずに』


 みくるさんは、大きく息をつくときっぱり言った。


『あーれが美味しいんだ』


 不覚にも。そのしみじみしたみくるさんの声に、僕は言葉に詰まってしまう。この人、たまに真面目になるから、油断できない。


「忘れてないって。さっき自分で淹れたけど焼いた豆、もう飲み頃になってるから」

『ひゃっほう。藤野ちゃん、極上のブツだってよ』


 誰がそこまで言ったんだ。そう突っ込もうかと思ったら、なぜか急に相手が替わった。


『あ、藤野ですう』

「え、藤野さん?なんですか?」

『コーヒーも、特盛でお願いしますう』

 ジョッキで淹れてやろうか。


 そのとき、林原さんが買い出しから帰って来たらしく、電話はお祭り騒ぎのまま切れた。辺り構わず爆笑していた近所迷惑な二人は、たぶん、叱られたに違いない。



 この分だと、みくるさんは憶えていないに違いない。たかだか僕との約束なんか。


「僕と、ちゃんと付き合ってほしいんだ」

「にゃっ」


 僕としては、一世一代のつもりで思い切って言ったつもりだった。


 しかし考えてみれば、にゃっ、って答える大人の人に、真顔で話しかける勇気を振り絞らなきゃならない僕の身にもなって欲しい。


「みくるさんが、好きだから本気で付き合ってほしいんだ」


 まだ恥ずかしい。でも、今だって店で一人考えていると、そのときのみくるさんが問いかけてくる。


「へーたくん、本気で言ってる?わたし、大分年上だよ?普通に先におばーさんになるよ?」

「知ってる」

 とてもそう見えないけど、分かってる。

「毎日仕事だし、お店にだって中々来れないし、へーたくんほっといてヨーロッパ行っちゃうよ?」

「それでもいい」

 それでもいいんだ。

「お料理も洗濯もお掃除も出来ないし、迷惑かけちゃうよ?」

「そう言うのは、全部僕がやるよ」

「結構いい年だけど、仕事ミスるしドジっ子だよ?」

「仕事は自分で何とかしろ。でもいいよ、僕といるときは」



 ぴったりあのときと同じ、一問一答を再現する。


 うん。それでも答えは一緒だった。


「とにかく僕は、みくるさんと真剣に付き合いたい。だめかな?」


 最後の問いかけは、返ってはこない。だって、みくるさんは、黙り込んでしまったからだ。


 言葉に詰まり、切なげに瞳を泳がせたみくるさんは、いつものみくるさんじゃなかった。


 僕が、人生で初めてきちんと見た女の人の顔だった。

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