第2話 黒ずくめのギタリスト
わたしと九王沢さんに気づいたのか、彼はギターを弾く手を停めてこちらを見た。意外に若い。と言うか、思わず目を見張るほど綺麗な顔立ちをしていた。
美少年、と言うか男の
「えっ…あのっ」
彼は九王沢さんとわたしを見ると、せわしなくギターを抱え込んだ。
観られているのを意識してあんな超絶技巧を見せていたのだと思ったのだが、本人は全く気づいてなかったらしい。声も女の子みたいに、澄んで高かった。
「ごめんなさい、とても素晴らしい演奏だったので」
巧まず、九王沢さんが言った。
こう言う時、この子みたいに率直だと、間が保って助かる。
その瞬間、彼は、はっとしたような顔で九王沢さんを視た。
「あなたが創った曲ですか?とても素敵でした。初めて聴いたのに、どこか懐かしいと言うか、身体に馴染む感じがしました。なぜかどんどん、メロディの先を追いたくなってしまう…そんなような」
彼は今度は、はっきりと息を呑んだ。ごくり、と咽喉の肉が動いたのが、わたしの方からでも見て取れた。まるでご飯を見つけた野良犬だ。しかも、話しかけてるのにここまで無言。うん、変質者だ。
「ねえもう行こ、九王沢さん」
わたしは強引に割って入って、九王沢さんの腕を掴んだ。
危ない危ない。生き馬の目を抜くこの東京でこの子、警戒心が常時ゼロなのだ。自分みたいな女の子に素敵ですねと声をかけられて、勘違いしない男などいない、と言うことが分かってない。だがわたしの警告は遅きに失した。
その男がざっと、地を蹴って立ち上がったのは、そのときだった。立ち去ろうとするわたしたちに全力で走って追いすがって来そうな、そんな勢いだ。ったく、上等じゃないか。
「ちょっ、ちょっと待って…待って下さい!」
「はッ!何なんですか!?」
わたしは、思いっきりつっけんどんに目を剥いてやった。
するとそいつは、夕立に打たれたしおたれカラスみたいにしゅんとした。
「いや、あの、あなたじゃなくて…その…そちらの方に」
だがそれでも、彼は未練がましく九王沢さんを見た。なぜ、もじもじしている。うわっ、いらっとくる。
「て言うか何か用!?だったらわたしが話すから!何かの押し売りとかだったら、要らないからねッ!?」
「いえー!!ぼっ、ぼくはそんなッ!…そんな」
涙ぐんでいた。何かわたしが悪いみたいじゃないか。こうゆうの、人によっては母性本能くすぐるタイプなんだろうけど、騙されるもんか。そもそも九王沢さんに狙いを定めている時点で、あざといんだよ。
「あの、依田さん、ここは穏便にお願いします。…最初に話しかけたのは、そもそもわたしなんですから」
世間ずれしてない九王沢さんは、もう同情している。アート系のこう言う、草食系もどき実は肉食ですタイプが一番厄介だと言う世間の常識を、この子は知らない。
「…ぼっ、僕、こう言うものです!あのっ、怪しい人とかじゃ全然なくて!」
彼は薄汚れた黒コートの中をごそごそやっていたが、いや、まずそれが怪しいから。やがて出てきたのは角が折れた名刺だった。何やらインディーズレーベルの会社の名前が書いてある。
「
九王沢さんは名刺の文字と本人を見比べた。彼はがくがくと頷くと、
「A Past Day Singsと言うバンド、やってます。ご存知ありませんか?」
「ああ」
わたしの方が、思わず声を上げてしまった。
聞いたことがある。確か、男女ダブルボーカルの四人組バンドだ。主に大学生のバンドやってる女の子たちなんかに人気があるらしく、わたしの軽音サークルの友達にも沢山ファンがいる。
そう言えば新しくすごいメンバーが入ったらしく、トーヤくん、の愛称で人気になっていた。えっ、ばっちりこいつじゃないか。
「不思議なお名前ですね。A song for a past day…過ぎた日を歌う…ではなくて?」
英語のネイティヴである九王沢さんは、まずバンドのタイトルに引っかかったらしい。
「『在りし日のことが、いつか僕たちに歌い出す』。そう言う意味で、
「『在りし日の歌』…」
ぽつんと九王沢さんはそう言うと、彼の姿を視た。
「そう言えば、水原さん、
すると水原遠也は、はっとして九王沢さんを見つめ直した。いつの間にか、あどけない瞳が濡れて光っていた。あれっ…泣いてない?
「そうですッ!ああそうなんです!」
ぐっと両手で、彼が九王沢さんの両肩を掴んだのはそのときだった。いやもう、抱きつかんばかりの勢いだ。
「ちょっ、ちょっとあんた何やってんの!?」
「詩歩さんと一緒だ!あなたも詩歩さんのような方なんですねっ!」
「は、はあ…」
九王沢さんは、きょとんとしていた。訳が分からなすぎる。
やっぱ、新手のナンパか。わたしが何とか九王沢さんからそいつを引き離そうとしていると、とんでもないことを言った。
「あなたが好きです。僕、あなたを一生愛します。だから、どうか僕と結婚してください!」
「このお!いい加減にしろおッ!」
そこでついに、わたしは手を挙げた。
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