第20話 ハリウッド天罰

「おっ、おい…」


 僕たちは、言葉すら喪った。さすがにこれは。これはちょっと、ないぞ。


「るッせえッ!どけコラ!」


 涼花を抱き止めたまま、一成は、刃物を振り回す。白木の柄の長ドスである。

 もちろん、銃刀法違反。どこに隠し持っていたんだろう。

 て言うかあんないかにもなだんびら、今時、本職の人でも持ち歩いていないに違いない。


「馬鹿な真似はやめなさい」

 児玉さんが、落ち着いた声を出す。

「一成社長、今、自分のしていることが分かってるの?そんなことをして、どうなるものでもないでしょう!?」

「後先なんざ、考えちゃいねえんだよ」


 身も蓋もない答えが返ってきた。まさかこんな人が、一般企業の社長である。


「てめえら女どもは何かっちゃあ、裏でこそこそやりやがって。前から気に入らなかったんだよ。つかなんだこの家ッ!?なんで末っ子の娘が本家で、金になる資産をみんな継いでやがンだよッ!義父おやじが納得しようが、俺は納得しねえッ!元は赤の他人様だからな。なめてんじゃねえぞッ、なめてんじゃねえぞオッ!?」



「すうちゃん!」

 九王沢さんが、思わず悲鳴を上げた。


 一成がその長ドスを、涼花の頬に突きつけたからだ。


「それにな、分かってねえのはあんたらの方だ。俺にはなあ、もう喪うものなんか何もねえんだよ。てことはさあ、何をやっても俺の勝手ってことじゃねえかッ!てめえらの言うことなんざ誰が聞くかよこのボケがッ!」


 一成は休み時間の中学生くらい力いっぱい怒鳴ると、やたら嬉しそうに高笑いした。

 もはやヤケクソ、と言う言葉が相応しい。

 が、ケツをまくった人間ほど恐ろしいものはこの世にいない。


「いいか、近づくんじゃねえぞ」


 冷たい刃物を涼花の頬にぴたりとつけると、一成は男の僕を睨みつける。


「どうだよ。ほれよお、こいつで涼花の頬っぺた切ってやるだけで、こいつは終わりだ。分かったら、馬鹿な真似はやめるんだなア」


 何ともまあ、絵に描いたような悪党である。だがさすがに事実、涼花に刃物を突きつけられてしまうと、手の出しようがない。


 何しろその顔に刃物で傷ひとつつけられただけで、涼花は芸能人生を喪うかも知れないのだ。


 そうなったらこれは、涼花だけの問題ではない。全国の涼花に萌える男性ファン全員を奈落の底へ突き落とすことになるのだ。


「来いッ!おらっ、顔ぶった切るぞ」


 一成は涼花の身体を引き寄せ、無理やりに外へ引っ張っていこうとする。


「てめえは、前から気に喰わなかったんだ。虫けらでもみるような目で、おれを見やがって。もう許さねえぞ。これから一対一さしでよ、たっぷり身の程ってやつを教えてやるぜ。来いやあッ!」

「いやああっ!」


 一成の目は欲望でぎらついている。この条例違反者め。まだ涼花を諦めていなかったのである。



「やめてください!」

 九王沢さんが、一成の前に立ちはだかったのはそのときだ。

「連れて行くなら、わたしを連れて行ってください」

「く、九王沢さん!」


 いや!それは絶対だめだ!絶対だめなパターンだよう!


「すうちゃんはずっと、傷つけられてきたんです。…これ以上、すうちゃんを傷つけないで」


 九王沢さんは目に、大粒の涙を浮かべて言った。こう言う子なのだ。箱入りどころの騒ぎじゃないお嬢さまなのに、果敢で、向こう見ずで。



「お嬢さま、そんなっ!おやめ下さい!」


 児玉さんと香名子さんが九王沢さんを制止したが、彼女はその手を笑顔で振り払う。


「いいんです。わたしが、そう決めたんですから」

 あっさりと九王沢さんは言った。


 こうなるともう、理屈では彼女を決して留めえない。



「ははッ!こりゃあ、面白くなってきたぜ」


 一成は毒々しい笑顔を、九王沢さんに向けた。


「いいぜ。だったらあんたが来な。俺はよ、俺の気が済めばどっちでもいいんだ。ガキを殴るのも面白いが、本家のお嬢さまとやらのあんたなら、もっと楽しめんじゃねえのか。来いよ」



「ふざけるなッ!!」

 僕は、二人の間に立ちはだかった。


 よりによって九王沢さんをそんなちゃちな刃物で脅迫して自由にしようなんて、この野郎ッ!こっちはどれだけ努力してアプローチしてると思ってるんだ!?


 おれのおっぱいだッ!


 もとい僕の九王沢さんだッ!!こんな横暴許せるわけない。こればかりは絶対、許すわけにはいかなかった。



「なんだッ刺すぞッ!?」

「上等だアッ!刺してみろよこの野郎ォッ!て言うかこんなのずえッッッ…たい、絶ッ対認めねえッ!納得行くかッ!納得行くか畜生オオオッ!!!」

 渾身の叫びが出た。心からの絶叫である。

 一瞬、一成がたじろいだほどだった。


「那智さん…」

 九王沢さんが、潤んだ瞳で僕を見た。

 うう、何度見てもかわいい。そう、こんなにかわいい九王沢さんは、僕だけのものなのだ。


「お気持ちは嬉しいんですが、すうちゃんが顔を切られちゃいます…」

「あっ」

「涼花の顔ぶった切るぞッ!芸能人生終わりだぞッ!それでいいのかア!?それでいいかって聞いてんだよッ!」

「いやあああっ!」


 ふりだしに戻った。


「じゃあ…間を取って僕を連れて行く…ってことでどうすかね?」

「アホかてめえはッ!?」

 ですよねえ。

「じゃ、しょうがないすね…」

 自然な結論が出た。

「しょうがないってなんですかッ!?わたしが顔を切られてもいいんですかっ!?信じらんないッ!変態ッ!役立たずッ!」


 涼花は足を挙げて、僕を罵った。あ、生足。でもさあ、しょうがないじゃん。生足よりおっぱい、僕が至上とするのは、神の頂なのである。


「あの、那智さん、わたし大丈夫ですから…」

「九王沢さんが大丈夫でも、僕が大丈夫じゃないんです!」

 そこは僕は力説した。


 あんな勘違いやくざに、美味しいとこ持ってかれてたまるか。しかし九王沢さんはすでに天使の笑みだ。


「ありがとうございます」

 彼女は僕の首に腕を回すと、唇に軽くキスをした。

「嬉しかったです。わたしも、愛してますから。…大好きです、那智さん」

 ぼそっと、それから九王沢さんは何か僕に耳打ちした。


 一瞬、よく聞こえなかった。だが確かに何か言ったのだ。九王沢さん、本当に大丈夫なのだろうか。



「わたしが行きます。すうちゃんを離して!」

「上等だあッ!へへッ!こっちでも悪くねえや。たっぷり教え込んでやるよッ」


 涼花を突き飛ばし、一成は九王沢さんを手に入れた。こいつ、いくらなんでもやりすぎじゃねえか。


「慧里亜お嬢さまを離してッ!」

「だったらてめえが犠牲になれよ、涼花ッ!つか、次はてめえの番だからよ。この女の顔、滅茶苦茶にされたくなかったらてめえもついてこいや!」


 なんてやつだ!最初から両手に花の魂胆かっ!?


「だめです、離れて下さいすうちゃん!」

「嫌ですッ!」



「きゃああああっ」

 最後のは香名子さんの悲鳴だ。あああもう、収拾がつかない。この男には絶対、天罰が必要である。


 しかし肝心の家籠は、金庫の中だ。九王沢さんが、六園家が、こんな事態になっていると言うのに。宝刀の天罰は、やはり幻なのだろうか。


 そう思っていたときだ。絶好調の一成の後ろに、音もなくひと際高い影が立った。


「じゃてめえも来いッ涼花!てめえらも文句はねえな!?俺に逆らったら、こいつの顔切るぜ!?」


「F××k you FAAAGGG!!(ふざけんな××野郎)」


 獅子の咆哮ほうこうが立った。いつか聞いた英語のスラングである。



「えっ」



 その瞬間、一成の顔面に容赦なしの右ストレートが叩き込まれた。身体が空中で二回転するかと思われるような、掛け値なし、渾身のストレートが炸裂したのだ。


 ハリウッド映画並みの天罰である。


 ボーリングのピンのように一成は吹き飛び、受身も取れずに墜落した。


 映画と現実が違う点は、ああやって殴られたら普通の人は二度と立てないと言うことだ。顔面から床に激突したので鼻骨はへし折れ、欠けた歯が飛び散った。あーあ。


 もはや再起不能だ。


 果たして九王沢さんはその麗しい身体を抱き止められた。


 ライオンを思わせる金髪が、たてがみのように棚引いている。


 言わずと知れた九王沢さんの最強SPだ。確か、名前はロジャーさん。僕と初デートしたとき、横浜で絡んできたちんぴらを怒号一発で追い散らした人だ。



「那智さんっ」


 その瞬間、九王沢さんはその逞し過ぎる肉体を突き飛ばして、僕に向かって飛び込んできた。


「まさか今、ロジャーさんを待ってたの!?」

「違います」


 なぜか九王沢さんは大きく首を振ったが、いや、この人待ってたに違いないよ。正直タイミングが良すぎだ。


 ロジャーさんはまるでモニターで一部始終を見ていたように、やたら堂々と入ってきたじゃないか。


「あの、ロジャーのことは見なかったことに…」

「出来るかっ!」

 思わず突っ込んでいた。


 今回こそは、無視しちゃだめでしょう。ばっちり見てしまった。ロジャーさん、強いなんてもんじゃない。やっぱり特殊部隊の人だ。



「おジョサマ」

 しかも今回は、片言ながら日本語を話した。自分の腕時計を指さしたのは、時間がない、とかそう言うことを言ったたのだろうか。


「あ、そうです。お話の途中でしたね…」


 何事もなかったかのように九王沢さんは話を戻そうとしたが、皆、話が聞ける態勢ではなかった。


 涼花は泣きじゃくっているし、児玉さんと香名子さんは青い顔で絶句している。そして一名、ドアのところで再起不能である。



「まだ、何かあるんですか…?」


 あまりにショックが続いたからか、涼花は憔悴しょうすいしきっていたが、九王沢さんはまだ話すことがあるようだった。


「最後にまだ一つ、謎が残っています。すうちゃんがここで襲われた事件のことです」


 思わず表でのびている一成を見てしまったが、もちろんその話ではない。涼花が自室で襲われた事件のことだ。


「部屋ですうちゃんを襲ったのは、貴崎さんと言うストーカーでもあそこに転がっている一成社長でもありません。言うまでもなく彼らは、すうちゃんに実際、危害を加えてもなんの利益もないからです。彼らに出来るのは脅迫が関の山でしょう」


 そのときまた、ぞろぞろと黒スーツの人たちが入ってきた。先頭はポニーテールの、金髪碧眼きんぱつへきがんの美しい女性である。



「お待たせしました」


 彼女たちは一人の男を拘束していた。

 灰色のダウンを羽織り、ジーンズ姿の大男。…こっちも顔に、明らかに殴られた跡があったが見なかったことにしよう。見覚えがあった。ストーカー化した涼花のファンだ。


「貴崎さんっ…」

 涼花は思わず、悲鳴が漏れそうな口を自分で抑えた。

「付近に宿を取って潜伏していました。一成社長の指示です。いざと言うときは、涼花さんを襲え、と言う命令をされていたそうです」


 流暢な日本語で、彼女は九王沢さんに報告した。


「ありがとうございます、スージーさん」


 どこか聞き覚えのある名前だった。そうだ、九王沢さんのお父さんの秘書である。


「恐らくは後見人指名が上手くいかなかった場合、非常手段として、一成社長は貴崎さんをそそのかしたのでしょう。凶器の所持も確認しました。彼はいざと言う時、これで涼花さんに危害を加える気だったようです」


 スージーさんは、貴崎の所持品である長ドスを取り出した。うん、完全に誰の指示か分かる持ち物だ。


 また裏で色々画策していたわけである。鼻血ぼたぼたのまま、蘇生した一成もそこへ連れて来られた。


 すっかり観念した貴崎を見て、思わず、うげえっ、とか、うなっている。こりゃ、語るに落ちたと言うやつだ。



「一成社長に涼花ちゃんを襲えば、新しい会社で雇っていずれ涼花ちゃんの専属にしてやるって…」


 支離滅裂の供述だが、派遣先をクビになった貴崎は、そのどうしょもないでたらめを信じたわけだ。


「ふっ、ふざけんな!俺は何もしてねえぞ!?」


 この期に及んでしらを切る一成の足元に、スージーさんはばさばさと大量のビニールのパケをぶちまけた。


「この貴崎と言う男の所持品です。純正のメタアンフェタミン、日本では覚醒剤、と言う呼称が一般的ですね」


 往生際の悪い一成は、今度こそ絶句した。ついに動かぬ犯罪の証拠が、現物として目の前に出てきたのである。えづきそうになりながら、一成は言い逃れしようとした。


「おっ、俺が渡したものじゃない…」

「と、言う弁明は法廷でして下さい。すでに警察には通報してあります。この純度から言っても調達先は、ごく限られたものになるでしょう」

 冷徹なスージーさんの言葉が、まさに止めを刺した。


 ほどなく警察が逮捕状を持って踏み込んできて、一成と貴崎はその場で逮捕された。威力業務妨害いりょくぎょうむぼうがい及び覚醒剤取締法違反かくせいざいとりしまりほういはん、そして銃刀法違反である。一成の所持品からも、覚醒剤及び合成麻薬が多数発見されたそうな。



 九王沢さんが待っていたのは、ロジャーさんじゃない。警察だったのだ。


 かくして三人目の候補者が退場した。


 すでにもう、涼花は一人である。


 まあ、あの三人に頼るつもりはなかったとは言え、残った涼花の背中はぽつんとして、やっぱり寂しそうだった。



「お嬢さま、教えてください」


 涼花はまた泣きそうになるのを堪えながら、問うた。

「あの貴崎さんが、わたしを襲ったんじゃないんですか…?」

「違います」

 きっぱりと九王沢さんは答えた。はっとして涼花は、九王沢さんを振り返った。

「じゃあ、誰が…?」

「ここに残った人物です。もう、答えは限られています」

 九王沢さんはにべもなく言った。


 そして、だ。次の瞬間、涼花にとっては最も残酷と思える一言を放ったのだ。


「すうちゃんを襲ったのは、児玉さんです」

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