第17話 真実の文脈は

 あれ?


 犯人はこの中にいる!


 今、そう言ったのかと思った。名探偵が皆を集めて推理をする時にキメる、定番のあれである。


 だが僕の勘違いでなければ、九王沢さんはこう言った。


「犯人はこの中にいない」

 と。



「ちょっ、ちょっと待て、それはどう言うことだ…?今、犯人はこの中にいない、と言ったのかね?」

「はい、そう言いました」

 恐る恐る尋ねた謙三に、九王沢さんは何の躊躇もなく答える。

「じゃっ、じゃあ私たちは何のために呼ばれたんだ…?」


 三人とも、ぽかんとしてしまっている。確かに、最もな話だ。ここに犯人いないなら、犯人じゃない人を追及したってなんの意味もないじゃないか。


「意味を取り違えてもらっては困ります。わたしが言ったのは、精確にはこの中には、今回の事件を画策した『首謀者』はいない、と言うことです。そしてこの事件の『計画』には皆さんの立場に、深く関わります。最後までわたしの話を聞けば、自分は関係ないと言って、席を立つことは出来ないはずです」

 珍しく押し強く、九王沢さんは主張した。

「その『計画』って言うの、やっぱりわたしにも関係あるんでしょうか…?」

 戸惑いを露わにした涼花の問いに、九王沢さんははっきりと頷いた。

「ええ、もちろんです。その『計画』の骨子が見えて来さえすれば、話は誰にも明快なのです。いわば枝葉としてまとわりついた多くの謎は、本来の『文脈』を惑わせる余計な要素としてしか見えなくなるはずなんです。言ってみればこれは、『間違って埋葬されかけていた遺体』に他ならないのです」

「『間違って埋葬されかけた遺体』…?」


(そうだ)

 前にもこんなことがあった。


 今の言葉に僕の奥底が強く、反応した。

 九王沢さんは、こう言う女の子だったのだ。


 博覧強記はくらんきょうきが過ぎた結果、どんなに不可思議で混乱した物事からも、本来の『文脈』を見つけて正しく読み取ってしまう。それが九王沢さんなのだ。



「『間違った埋葬』を防ぐにはとりあえず、そこに挟み込まれた余計な要素を洗い出して、それを除外して物事を考えるに限ります。第一に考えるべきことは一年前、靜子さんの『密室の死』の不可解な謎は、いかにして構成されたか、と言うことです。この事件は一見、多くの謎と矛盾に満ちています。しかしただ一つの矛盾を除外するだけで、驚くほどすっきりした『文脈』に立ち戻るのです。では少し考えてみましょう。那智さん、この事件のどの点が不可思議ですか?」

「どこって…」


 ほとんどすべてが、である。漠然としすぎている、と言われると思うが、ことがあまりにちぐはぐすぎて、把握できないのだ。


 他の人もそうらしく、戸惑った顔を見合わせてざわつくことしか出来ない。それでも、やがて涼花が手を挙げた。


「あっ、あの…じゃあ、一つ。教えて欲しいんですけど、お母さんが死んだときあの部屋にはやっぱり、誰かが居たんでしょうか…?」

 麗しい唇を綻ばせて、かすかに九王沢さんは頷いた。

「とてもいい、質問ですね。答えはイエスであり、ノーとも言えます。確かにすうちゃんと香名子さんが証言してくれた通り、そこにドアが閉まったからには何者かがいたことは確かです。鍵を掛けたからにはやはり、亡霊ではなく肉を備えた実体の人間なのです。しかしそれは、靜子さんが刺された時から隠れていた人物だったのでしょうか?」

「わっ、分かりません…」

 涼花は答えに詰まった。


 だがそう言えば、全員が血まみれの靜子さんにあったときと、重態の靜子さんが医務室に運び出されてから、この涼花と香名子さんが目撃したときと、確かに密室は二度、開かれたのだ。


「一度目のときは、全員が見ています。あそこには人が隠れるスペースもなく、また逃亡しようとした何者かも存在しえる余地などなかった。しかし、よく思い出して下さい。二度目は?児玉さんが中を開いて見せたとき、二人は中に誰かが隠れているかと言うことを、じっくりと確認する余地はありましたか?」

 そこで涼花は、はっと息を呑んだ。

「なかった…なかったと思います。ねえ、香名子さん」

 涼花に言われて香名子さんは、戸惑いつつも同意を示した。

「あっ、はい…そう言われるとわたしも…よく見たかって言うとそうじゃない気がします。児玉さんが開けて、中を見せてくれた時、まだそこは血まみれだったし…たぶん、そこしか見てないうちにドアを閉められたと思います…」

「中に入らない限り、あの部屋には当然、死角が生まれるのです。つまり二度目にこの部屋が開けられた時、そこには確実に、誰かが潜んでいたのです。その人物は急に現れたすうちゃんたちにびっくりして、とっさにドアを閉めて鍵を掛けてしまった。それがこの事件をちぐはぐで不可解に見せる、最大の要因になっているのです」

「やっぱりあの部屋に誰かいたんですか?じゃあ、一体誰が…?」

 涼花は訴えるように言うと、そこにいる全員を見回した。

「すうちゃん、思い出してください。わたしは、犯人はここにはいません、そう言ったのです。あなたたちが二回目にあの部屋に上がってきたとき、マスターキーで内鍵を開錠した児玉さんを含め、全員にアリバイがあります。つまり、二人が目撃した部屋に籠った人物は物理的に、ここにいる人たちではありえないわけです」

「わっ、分かりませんよう。て言うか怖いです。じゃあ、本当に誰なんですか…?」


 涼花が投げかけた問いに、答えを返す者はいなかった。ただ一人、九王沢さんを除いては。


「では、葬るべき棺を納むるべき場所へ、納めていきましょう。本来の文脈に、立ち戻るのです」

 九王沢さんは言うと、ごとりとそこに何かを取り出した。


 それはなんと、靜子のアトリエの金庫に安置されていた源清麿の霊刀、『家籠』である。


「靜子さんはこれに、命を奪われました。発見時は腹部を刺され、瀕死の重傷でした。ですが警察が他殺を疑わなかったのは、侵入不能な状況と、靜子さんの関係者全員に、完全なアリバイがあったからです。それがただ一点、拭いがたい矛盾を生じたのは、今、検証したすうちゃんと香名子さん、二人の証言でした。…ですがもし、その証言がなかったものだと考えたなら?」

「それは…」


 自殺である。靜子を殺せる人間は、午前中に怒鳴り込んできた夫の乃木雅人も含め、あのとき誰もいなかったのだから。


「と、言うことは涼花、香名子ッ!やっぱりお前らッ!」

 そのとき謙三が顔を真っ赤にして、涼花たちを怒鳴りつける。

「わたしたち、嘘なんかついてませんッ!」

「その通りです。すうちゃんも香名子さんも、嘘なんかついてません。いやむしろ、暴かれざるからくりの裏側を、心ならずも暴いてしまったのです。皆さん、よく考えて下さい。確かにあの部屋には、外部の人間が出入りする余地など、ありませんでした。しかしです。あの中から誰にも怪しまれず、しかも堂々と正面から出ていった人物がいるのです。それは誰の目にも明白です。あの部屋は、最初から密室なんかではなかったのです」

「え…まさか、と言うことは…?」

 僕に皆まで言わせなかった。


 すらり、とそこで九王沢さんは妖しく光る短刀を抜きはらうと、厳かな声音で言い放った。


「この事件の首謀者は、靜子さん本人です」


 一気に満座がざわついた。まさか、いや、まさかだ。瀕死であの場を運び出されたはずの靜子が犯人!?いや、そんな馬鹿な!?



「まず大きな誤解は、靜子さんが瀕死の重傷なんかではなかったことです。これを見て下さい」

 九王沢さんは言うと、短刀を逆手に握った。


 なんと切っ先は、自分のHカップの神乳だ。あっ!と僕が制止する間もなく、九王沢さんは『家籠』をそこに突き立てた。


「えいっ!」

「くッ九王沢さんッ!?」


 刃が神乳に埋もれていく。な、なんてことするんだ。九王沢さんが死んだら、僕はなんのために生きて来たんだ。


 あの奇跡の神乳は、決して到達してはいけない幻の頂きだったのか。



 果たして、奇跡は起きた。


 跳ね返したのである。霊刀を神乳が。神乳最強説は今、裏付けられたのか?九王沢さんのおっぱいって、その存在自体が奇跡だったのか。そう思っていると。


 曲がったのだ。ぐんにゃりと。

 幕末から伝わる、生粋の名刀が。


「えええっ!?」

 その場にいる人間全員が悲鳴を上げた。


 いやこれこそまさに霊刀に勝る、おっぱい様の御力おちから!?



「特殊樹脂で作ったレプリカです。素材は丈夫で、刃物そっくりに加工出来ます。しかしもちろん、刃物の硬度はありません」

 と、言うと、九王沢さんはまた胡散臭いものを取り出した。


 それは、同じ樹脂で出来ていると思われる特殊なチューブである。まるでトンネルのようなそれを、九王沢さんは自分のお腹に巻いた。そして再び短刀を、今度はお腹に突き立てて。


 ええっ!?


「マジックなどによく使われる仕掛けです。刃物が貫通したように見えますが、樹脂製の刃は実はこのチューブを通っているだけなのです」


 九王沢さんはそこで出来得る限り激しく刃物を抜き差しし始めた。


 あの九王沢さんの柔らかな肉体に刃は、入ったり出たりしたが、確かに霊刀のレプリカはチューブに入り込んで、刺さったのではなく、ぐにゃりと曲がってその身体を避けただけだった。



「今は仕掛けを見えるようにしていますが、カーディガンはじめ身体の線を隠せる裾の長い服を着ていると、もっとそれらしく見えます」

「お嬢さまっ!じゃあ、お母さんは…?」

「殺されていません。そして、六園家の家籠にかかって死んでもいないのです。霊刀に、なんの責任もありません」

 九王沢さんは天使の笑みを見せると、その贋作の刀を鞘に納めた。

「非常によく出来た仕掛けだと、思います。この仕掛けの最大の利点は密室になると言うことより、もっと現実的なものです。それは瀕死を装って現場を脱出することにより、『警察の検証を逃れる』ことが出来ると言うことです。あの現場に靜子さんの『死体』があれば、警察は例え誰もが犯行が不可能な状況であっても、必ず『他殺』の検証を行ったはずです。靜子さんの『変死』は、司法解剖を行ってからの結論になったに違いありません」

 ですが、と九王沢さんは言う。


 病院に搬送されたことにより、現場の状況から『自殺』であると言う結論が、警察からは早めに出された。


 そのため遺体の解剖を求められず、病院側の死亡の確認のみで、靜子さんの自殺による死亡が認定されたと言うのである。


「日本の警察では、司法解剖を全国の大学病院に委託している関係上、よほど不自然な『変死』でない限りは、司法解剖は行いません。記録によると靜子さんの死亡は、応急処置をして緊急病院まで連れ添った担当医師がしていますね?」

 九王沢さんは、児玉さんに尋ねた。


 一気に全員の注目が集まった。

 だが果たして児玉さんは、小さく、ではあるがはっきりと頷いて見せたのだ。


「つまり首謀者は靜子さん、そして共謀者はこの児玉さんと、靜子さんの在宅医療を担当していたお医者さまの二人です。さっきお話ししたように靜子さんが致命傷を負っていない以上、死亡の認定にお医者さまの存在は不可欠です。さらに言えば偽装のため現場じゅうに撒かれた靜子さんの大量の血液、それは長年靜子さんの担当医だったその方以外は、調達することが出来ません」


 靜子は刺されてはいなかった。では、現場に撒かれた靜子の血は、刺されて出たものではなかったのだ。なんとそれは、靜子の担当医が長い時間をかけて採血して保管していたものだったのだ。


「はい。この状況はわたしがスイスに電話を差し上げて、ご本人から直接確認したので、間違いありません」

「スイス!?」


 じゃああのドイツ語は、スイスへの電話だったのか。


「スイスの公用語は、ドイツ語です。電話したのが勤務先だったので別の方が出ました。やむなく外国語で対応しましたが、ご本人は日本のお医者さまです。この方は靜子さんの、小学校時代からの幼なじみなのだそうです。その方に、靜子さんのたっての頼みで行った、あの晩のことを話して頂きました。やはりあの日、靜子さんは、死んではいなかったのです」


 なんてことだ。余りの意外な真相に、僕たちは言葉もなかった。



「この仕掛けの存在に気づいたのは、実際、『家籠』を拝見したときです。わたしが見るところ、あの刀に使用の形跡がまるでなかったのです。この現代、確かに修復技術が発達し、血なまぐさい謂れのある刀も驚くほど綺麗に修復できます。だから血や脂の曇りがなかったことは、理由にはなりません。しかし、微妙な刃こぼれなどの形跡はやはり、残るのです。まして、靜子さんの傷が臓器に達したと言うなら、彼女は『切腹』しているはずなのです。数百年前のことならいざ知らず、そこには何らかの形跡が遺らなくては不自然です」


 史記録、ときに腹は『く』と言う。


 九王沢さん謂う。


 今でも『寝首を掻く』と言う慣用句が存在するように。


 日本刀が人間をはじめとする生き物の命を奪う時、それは筋肉と脂肪の間を刃が掻き分けて、臓器を損傷する、と言うことに他ならない、らしいのだ。


 人に急所を撃たれて『斬られる』ときはともかく、自害の場合、人は日本刀で『刺す』のではなく、『肉を掻いて臓器に挿し込む』のが正しいのだそうな。


「人の身体は通常、表皮と脂肪、そして筋肉に護られています。ましてお腹に刺す場合、刃はまず大腸に達しますが、この大腸と言うものが意外に弾力があり、致命傷を防ぐケースが多々あるのです」


 そのため切腹者は、日本刀をのこぎりのようにしてぐいぐい動かし、臓器を傷つけるのだと言う。これがまた正気を喪うほどのとんでもない苦痛だとか。


 また、他人を刺す場合も同様である。胴体を狙う場合は、骨の少ない場所を狙って体重をかけて入れ込み、その刃をねじり上げるようにして掻き回し、止めを刺すのだ。


 当然、刃は骨に当たり、角度が悪ければ、たとえ日本刀でも切っ先が損傷すると言う事態があり得る。


 そのためあまりに見苦しい事態になるのを避けるため、江戸期になると『扇子腹せんすばら』と言って、実際は腹を切らず、扇子を腹に当て作法通り切腹したことにして、介錯の斬首を受けると言う武士たちが一般的になったそうな。



「ともあれ、靜子さんは死を装いました。ここまではよいでしょうか?」

 九王沢さんは満座を見渡した。


 もはやすでに毒気を抜かれきったのか、それに反論したり、異論を叩きあげる人間は、まったく見られない。ざわつき一つなく、全員が九王沢さんの一挙手一投足に注目していた。


「ではそこまで画策して、靜子さんは何を成したかったのでしょうか?今度は、そのお話をしたいと思います」

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