第15話 一路、謎解きへ

「だ、大丈夫だった?」

 僕はすぐ九王沢さんを気遣った。

 彼女に何かあったらと思ったら気が気じゃなかった。

「わたしは大丈夫です。それよりすうちゃんを、ありがとうございます」

「あ、うん」

 僕は涼花にまだ、しがみつかれていた。と言うかシャツで鼻をかまれた。

「すうちゃんも、那智さんが大好きになったと思いますよ」

 と九王沢さんが言った瞬間だ。ばっと顔を離すと、涼花はやっと僕に抱きついていたことに気づいたみたいだ。

「へっ、変態っ!?」

「えええっまだ!?」

 てゆうか抱きついてきたのお前だろ!?

「それに、僕は変態じゃない!」

 今のところ、人に嫌がられる性癖は持ち合わせていない。…はずだ。

「変態です!この人っ!お嬢さまがノーブラだって喜んでました!」

「わあああっ」


 やめろっ。ここで言うことか?今言うことか!?


「わたしが…ですか?」

 九王沢さんは自分の胸元に手をやると、目を丸くした。

「昨夜です!変な雑誌みて、一人でにやにやしてました!て言うか、慧里亜お嬢さまに限ってノーブラなんて(鼻で笑いやがった)そーんなわけないじゃないですか!」

 と、涼花が言うと九王沢さんは、はわわわわ…とか顔を真っ赤にしながら、溶けそうな顔になった。

「なんで!?なんで、そんなこと知ってるんですか那智さんっ!?」

「い、いやそれはそのう…ほら、裾がはだけてて」


 まさか裾をめくって生乳なまちち見ようとしたとは、口が裂けても言えない。


「みっ、見たんですか!?」

「そっ、その!見えたって言うか不可抗力って言うか!とにかくごめんなさい!」

 ばっ、と九王沢さんは両腕で神乳をガードすると、じわっと涙をにじませた。

「いつもはしないで寝るんです。…寝苦しいので。でも、一人の時だけなんですよう」

「え、じゃあ昨夜は…?」

 つい、聞いてしまったが、九王沢さんは火でも噴きそうな顔で、

「だっ、だからっ…昨夜はその、(小声)忘れてて。…那智さんとわたし、初めての二人きり旅行だから、ちゃんとしないと、って思ってたのに。はしたない真似はするな、と、お母さまにもきつく、言われてたのに…」

 ぼろぼろ涙をこぼして泣いてしまった。

「うわあああっ、泣かないでっ!本当にごめん!全部見てないから!ちょっとだけだから!本当に、こう…下の方だけだからっ!」

 と言う弁解も焼け石に水である。


 うわああ、ついに一番の地雷を踏んでしまった。と、それを涼花が鬼の首を獲ったみたいにはやし立てる。


「見たのは見たんじゃないですか!ほら、変態!」

「だから変態じゃない!」


 恋人のおっぱいだ。そりゃ黙ってみたのは悪かったけど、本来、見て悪いと言うものではないはずだ!


「この人、おっぱいなら誰でもいいんです!それからスマホでわたしの写真集、検索してました!」

「見たのはおっぱいじゃない!」


 顔である。そりゃあするだろ。近くに本物がいるのだ。どれだけ本物か、写真集見て確かめたくもなるだろう。


「嘘!いやらしい!やっぱり変態です!」


 涼花まで、ばっと胸を隠しやがった。がきんちょめ、子供のお茶碗くらいしかない癖に。


「そもそも自分で出してるおっぱい見て何が悪い!」

「出してませんよーだ!ちゃあんと水着着てましたもん!」


 全く何たる不毛な言い争いである。僕は、泣いている九王沢さんを前にして、何をやっているんだろう。


 自責の念に駆られていると、なぜか九王沢さん、あっ、と泣き腫らした顔を上げた。


「そうです!おっぱいです!」


 えええっ!?九王沢さんが、おっぱいって言ったぞ?


「教えてください。すうちゃんがおっぱいを出したのは、いつのことですか?」

「出してません!」


 出したのは、写真集だ。

 だが、涼花の突っ込みなどものともしない。


「答えて下さい、いつですか!?」

 九王沢さんは真剣な口調で問い直した。


(なんだ…?)


 僕と涼花はそこでやっと、我に返った。九王沢さんが、真剣なのである。


 これだ。

 九王沢さんが本気になるとき。

 いつに増して、魅惑の瞳から溢れるような好奇心の輝きが、湧き上がってくるのだ。


「は、はい。た、確か」

 涼花もさすがにそれに気圧されたようだ。

「去年の秋です。映画のあと、写真集出そうねって言われてて、中々決まらなかったんですけど」

「お母さんに、そのことは…?」

 涼花は、長い睫毛まつげを伏せた。

「間に合わなかったんです。発売が遅れて、すごく残念がっていて。あの日は少年誌のグラビアが出るので、ちょうど代わりに、それを持って行こうと思って準備してきたんですけど」

「それです!」

 九王沢さんが、快哉を上げたのはそのときだ。いや、本当に訳が分からないぞ。

「九王沢さん、あの、それってどう言う…?」



 意味を尋ねる間もなく、九王沢さんは靜子のアトリエへ。ついてくのがやっとの僕たちは困惑するばかりだった。


「あっ、あのお嬢さまっ!?」


 直感がロケットスタートしたときの九王沢さんは、誰にも止まらない。まるで解き放たれた留守番犬のように、アトリエを駆け回ると、いやもう辺りをしっちゃかめっちゃか。

 僕たちは、唖然とするばかりだ。



「ありました!」


 やがて探し出したのは、一枚のビニール袋。書店で何冊か本を買うと、持ち運び用に入れてくれる少し大きなやつである。


「見て下さい」


 九王沢さんはそれを無造作に引っ繰り返して、中から大判の画集だの新書だのを容赦なくほっぽりだす。そして奥にくしゃくしゃに折られた一枚の紙片を取り出した。


「レシート…?」

「この一番下、雑誌じゃないですか?」


 何千円単位の買い物の中に、ぽつんと手頃な価格帯の品が。品目は確かに涼花のグラビアの載った少年漫画誌だ。


「日付を確認してください」


 涼花は、レシートの購入日時を見た。確かに靜子の事件があった日だった。


「那智さん、そこのプリントアウトを取ってください!」

「ええっ!?これっ!?」


 九王沢さんに言われて僕は、放りっぱなしの中から外国語らしい文字がびっしりと書かれたプリントアウトの束をとった。


 ふんふんと、九王沢さんはその英語でない文字列を追っていたが、

「分かりました」

 と、自信に満ちた口調で言った。


「これですべて繋がりました!靜子さんの死の謎も、すうちゃんがどうして襲われたのかも!」

「本当に!?」


 僕の中には、九王沢さんがおっぱい、って言った事実しか残っていない。なのに今ので、事件の謎がみんな分かったなんて。


 九王沢さん、どこまで行っちゃったんだ?



「那智さん、すうちゃん、皆さんを集めてきてください!」

 ついに出た。本格ミステリで名探偵がやる、あれである。

「あっ、すぐじゃなくていいです。…一時間後くらいに!」

 と九王沢さんは時間まで区切ると、自分のスマホを取り出した。

「お嬢さまっ、どこへ行くんですか?」

 悲鳴を上げる涼花に、九王沢さんは答えた。

「最後の確認です」


 いや、どこに!?つか誰に!?

 とか言う間もなく、九王沢さんはどこかへ電話をかけ始めた。国際電話である。それも英語じゃない。


 あれは恐らく、ドイツ語である。まさか犯人はドイツ人とか、言い出さないだろうな。


(本当に、犯人が分かっちゃったのか…?)


 信じてないわけじゃないが、あまりにも途方もない。


 僕はただ、その背中を目で追うしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る