第13話 容疑者ランチ

 それから僕たちは香名子さんたちが用意してくれた昼食にお呼ばれしたのだが、居づらいったらなかった。


 涼花を救いたい九王沢さんのためだ。表に出して文句は言わないが、まさに何を食べても味がしない。紙を食べてるみたいである。


 僕たちがテーブルについた時点で、長男の謙三は苦虫を噛み潰したような顔になったし、それを取り繕うかのように笑う征之助の端正な顔は、引きっていた。


 極めつけは、あのガラの悪い一成だ。社会人の癖に明らかに僕にガンを飛ばしてきて、露骨な舌打ちである。


 しかし客が、本家の九王沢さんである以上、声に出して文句は言えない。

 しかも、酒も抜きだ。

 それでも往生際悪く謙三はワインだけでも、と食い下がったが、児玉さんに、

「弁護士さんが到着してもうすぐ相続のお話が、始まりますので」

 と、にべもなく断わられていた。ざまあみろ酔っ払いめ。


 和やかな会話は最初から期待していないが、ただ、静かな昼食になったのは救いだった。絡まれる心配がなくなった涼花も、九王沢さんの横でにこやかにご飯を食べていた。



「とても、美味しいです☆」

 九王沢さんのお墨付きで、香名子さんは嬉しそうに頭を下げていた。


 確かに、謙三たちの方向を見なければ、食事は高級ホテルのフルコース並みである。


 地元の産直野菜のサラダに、ふっくら肉厚のすずきのポアレ、胡桃入りのパンも手作りの焼きたてだ。


 そしてメインはまた鶏かと思ったが、これが意外に悪くない。奥久慈軍鶏をトリュフ入りのホワイトソースで和えた煮込みである。

 お酒が飲みたい。ワイン、とは言わないけど、せめてビールくらいは。


 だがあの土建屋のおっちゃんが児玉さんにへこまされた後なので、さすがに言い出せなかった。いつもは絶対にお酒を飲む九王沢さんも、酔っ払いが嫌いな涼花と楽しそうに歓談してるし。



「先生は午後二時ごろ、都内をお出になるそうです。なので、夕方には遺産相続についてご説明を頂きます。内容に異存がないようでしたら、書面に、涼花と決定された成年後見人の署名・押印を頂いて、手続きは完了です」

「へえ」

 一成が鼻を鳴らした。


 実質上、書類上の手続きは涼花と、もう一人の後見人の二人で行うことになるようだ。


 つまり後見人の選に漏れた人は、ここまで待たされて、手ぶらで帰らされる、と言う血も涙もないサドンデス展開である。


「後見人、と言うのは、その靜子の遺言で明らかになるんだな?」

 謙三が歯に挟まった鶏肉を気にしながら尋ねた。

「そう言うことになります。もちろん最終的には涼花が希望する人間に、ということになりますが」

「…つまりは涼花が自分の意志で選んだのなら、必ずしも靜子の遺言通りでなくてもいいわけだ」

 征之助の不穏なつぶやきに、応えるものは誰もいなかったが、他の二人も同じことを考えただろう。


 残り時間でどんな手段に訴えても、涼花に強引にでも後見人を承知させる肚なのだ。


 何だかなあである。正直、涼花がこの三人の中から、成年後見人を選ぶとは思えない。証拠に涼花、これでもかと言う仏頂面である。


「誰も選ばないと、どうなるの?」

 そのとき、涼花が冷たい声で訊いた。

「涼花、あのねえ…」「そりゃあねえだろ」「涼花ッ!我儘わがままもいい加減にせんか!」


 三人が三人とも、それはないだろうと言わんばかりに目を剥いた。傍観者から見ると十六歳の女の子相手に、ちょっと見物ではあった。


「その場合も、法的には涼花の相続は確定なので、遺産は涼花のものです。相続だけは行われますが、成年するまで遺産は凍結状態になります。涼花、あなたが自腹で相続税を払う、と言うならその道を選んでもいいと思うけど」

 あなたには払いきれるわけないでしょ、と児玉さんはまともに相手をしない。


 人気芸能人とは言え、涼花のギャラは月俸らしい。まさか相続税を払いきれるほどのお金をもらっているわけがない。


「もちろんそれでもどうしても誰にも後見人になってほしくない、と言うなら、あなたが成年に達するまで財団の管理にする、と言う道もあるわ」

 と言う児玉さんの言葉に、僕は初めて引っかかった。


(あれ…?)


 広瀬靜子の財産を管理する事務所のスタッフは、ほとんど児玉さんが引き払ったはずである。と言うことはその実質は児玉さんが運営していると言うことだ。


 つまりだ。涼花が断固として後見人を選ばなかった場合、涼花が相続した広瀬靜子の遺産を管理するのは、児玉さんになると言うことになる。


 待てよ。すると、

(児玉さんも、候補者の一人なんじゃ…?)


 食事が終わった後、僕は九王沢さんと話しながら手持ちのリングノートに人間相関図を作った。


 よくサスペンスドラマとかで刑事がホワイトボードに書くあれである。


「…つまり、広瀬靜子が殺されたとして、あの中で金銭面では四人に動機がある可能性があるわけですよね?」


 謙三、征之助、一成、そして児玉さん。彼らはいずれも一年前の事件で全員、あのアトリエにいた靜子に接触できた可能性があった人物である。


「でも、それは全員がすうちゃんの後継者として、遺産相続を望んでいた場合ですよね?」

「児玉さん別に、お金には困ってないです」


 涼花が言うには、児玉さんは涼花のマネージャーを辞めようが、財団が解散しようが、別に困ることはないらしい。


 何でも弟と輸入アロマオイルを扱う会社を経営していて、靜子の生前から、独立したがっていたようなのだ。


 そう言えば児玉さん、自分にも『第二の人生がある』とか言ってたような。


「いや、恐らく弟との会社経営に行き詰ってて涼花の遺産を横領しようと事件を…」

「…二時間サスペンスドラマの見すぎじゃないですか?」

 涼花にすんごい冷ややかな目で見られた。

「児玉さんがいたからやってこれたと、母はいつも言っていたくらいです。だから、那智さんが言うようなことがあれば、母は惜しみなく、児玉さんにお金を貸したはずです」

 しかし、そんな事実は全くなかったと涼花は言うのだ。

「それに児玉さんは、とっても仕事が出来る人なんです。口うるさいし、押しつけがましいけど、そこだけは、認めます」

 普段は反発しているが、涼花は最後のところでは、児玉さんを頼りにしているようだ。

「それより、謙三伯父さんたちの方が動機があると思います。知ってるんです。お嬢さま…(小声)ここだけの話、お父さん焚きつけてたの、あの一成社長」


 涼花が注目されてきたとき、一成の会社からかなりの強引な引き抜き工作があったことはすでに聞いた。


 何でも靜子は児玉さんに事務所を立ち上げさせ、一成側からのアプローチをシャットダウンしたらしいのだが、ことはそれだけでは済まなかった。


 一成は腹いせに乃木に靜子の居場所を報せて金の無心に行かせ、最終的にはその件で脅しつけて来たのだそうな。


「週刊誌にネタ売るぞ」


 ブレイクしかけの涼花には、大スキャンダルだ。さすがに大手が仲裁に乗り出し、いくらかの便宜を一成側に図ることで収束を見たらしい。


 靜子側から少なくない額の口止め料を、ふんだくっていったとの話もあるらしい。



「つまり謙三と一成、この二人の目的は遺産以外に涼花自身でもあるわけだね?」

「なんでわざわざ言うんですか気色悪い!」

 僕が言うと、涼花は怖気おぞけを奮って身震いした。

「こうなると直接は関係ないのが征之助さんですが、この方も謙三さんの土地開発に関わっているようですね?」


 九王沢さんはロンドンのお父さんに電話して、詳しく話を聞いたのだと言う。


 彼らがやっているのは宅地開発、昨今の不動産投資ビジネスの流行りを見込んでのいわゆる投機ビジネスだが、彼らは資金繰りも怪しい状態でやり口もやや強引だと言う噂のようだ。


『あー慧里亜さん、彼らの様子ですねえ、もう少し詳しく聞かせてくれますか…?』

 九王沢家の総帥たるお父さんは、娘の報告を聞いてしばし考え込んでいたらしい。



「二人はいわば一蓮托生ってやつだね?」

「それが、一枚岩でもないようですね。父から聞いたのですが、征之助さん、謙三さんの投資とは別に、個人的に借金を申し込んでいたようです…」


 征之助は、謙三に黙って関連株の投資に手を出していたようである。


「それってちょっとまずいんじゃ…」

「インサイダー取引ですね」

 さらっと九王沢さんは、とんでもないことを告発する。

「征之助さんも、あわよくば謙三さんや一成さんを出し抜いても、すうちゃんの遺産を流用したい、と言う動機があると言うことですね」


 つまりお金目当てとは言え、彼らも彼らなりの理由がそれぞれあるようだ。


「しかし、奇妙なことがあります。それは今ここで、起きた事件のことです。靜子さんが殺された、とするならば、それは靜子さんの遺産を横領するため、と言うことに目がいきます。でも、すうちゃんはなぜ襲われたんでしょうか?」

 僕と涼花はそこで初めて、はっとした顔をした。

「そう言われてみれば…」


 遺産を相続するのに別に、涼花は邪魔ではないのだ。誰がなるかは知らないが、後見人にさえなれば、遺産は丸々、その人のものになるのである。


「いやもちろん、成年後見人が完全に遺産を好きに出来るというわけではないですし、すうちゃんがいなくなれば今度は法的には、兄弟の相続になるのですが」

「あ、つまり涼花が死ねば、遺産は兄弟で山分け…?」

「死んで欲しいんですか?」

 涼花の視線が凶器のようだ。さっきから僕、地雷踏みまくっている。

「法律上はそうです。でも実際、それを行うには、リスクが大きすぎますし、得るものも少なすぎます」


 考えてみればそうだ。確かに黙っていれば遺産が丸々手に入る可能性があるのに、涼花を殺して得られる遺産は満額より、ずっと少ないのである。


 まして涼花は有名人だ。殺されたら、蜂の巣つついたような大騒ぎだ。マスコミ関係者が殺到して根掘り葉掘り暴きまくられ…まあ、遺産相続どころじゃない。


「すうちゃんたち六園家の人々は、靜子さんのことはともかく、今年は何も起こるはずもなく、これ以上の事件の起こり得ることはないと思って、一年越しに集まって来ました。しかし事件は起きた。一番殺される理由のないすうちゃんが、部屋で首を絞められて殺されそうになったんです」


 確かにこれは大きな謎だ。そもそも話の流れでいけば、後見人の候補者たちが殺される可能性はありこそすれ、涼花が害される理由はない。


 つまりあのおっちゃんたちが池の中で逆立ちになっていたり、菊人形の首とすげ替えられている展開でも不思議ではないわけで。


 が、涼花はそうされる理由がない。死ねば、むしろ不都合が多い状況なのだ。


「ですが、それは金銭面が動機と考えれば、と言うのを前提にしての話です」

「じゃ、じゃあそれ以外の動機で靜子さんを殺して、涼花を狙う人間がいる、と言うことですか?」

「どうでしょうか…」


 九王沢さんは答えを出さなかった。


 神のごとく明晰な九王沢さんにしても、この事件の綾はまだ、解きほぐせてはいないようだ。

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