第6話 はぐれ温泉純情派

 生まれて初めて僕は、誰かを殺したいと思った。


 皆さんごめんなさい。これから誰か殺されるとしたら、犯人は僕である。


「すっ、すうちゃん、おうちは?大丈夫なんですか…?」

 さすがに九王沢さんも、ドン引きだった。


 まさか、あんな捨て台詞を吐いていなくなっておいて。からの日帰り入浴である。


 僕たちはまだ、事態についてくだけで、いっぱいいっぱいだと言うのに。


「涼花ちゃん、皆、心配してるよ。遅いから今日はもう帰りなよ。とにかくさ、まずお家には連絡した方が…」

 と、僕が言った瞬間、笑顔からそのまま、ぼろぼろとこぼれる涙。

「ごっ、ごめんなさいっ、わたしっ…お嬢さまと、まだどうしても一緒にいたくて…」

 まさに迫真の演技だった。


 いや、本心だったかも知れないが、ちょっとこれ、あざとすぎないか。お蔭で僕は、何にも悪くないのに完全な悪者ワルモノである。


「お願い、泣かないで。すうちゃんっ…わたしたちと居たかったんですよね…?迷惑なんかじゃありませんから…だから泣かないで…泣かないでくださいっ」


 世間ずれしていない九王沢さんは、もちろん何も疑いもしない。えぐえぐ泣いている涼花から、ぐしょぐしょにもらい泣きしていた。


「でもっ、でも…あの那智って人が…うちに帰れって」

 名指しで睨みつけられた。つか那智って人かよ。そりゃあ内心、とっとと帰れって思ってたけども。これ、なーんか釈然としないぞ。


「気にしないで下さい。那智さんだって、悪気があって言ったわけじゃないですから。そうですよね、那智さん?」

「う、うん!本当だよ、僕たちと居たかったらさ、もうずうっといてもいいんだから」

 僕はあわてて、心にもないことを口走った。い、胃が痛い。


「本当に…ずっといてもいいんですか?」

「うん、いいよ気が済むまで」


(いいわけねーだろッ!?)

 んなわけいくか。こちとらあと一歩だったのだ。空気読めよッ!?僕と九王沢さんの完全二人きりなのだ。


 たとえ秋山すずかだろうが誰だろうが他人なんて、一秒だって同じ空気を吸ってもらいたくない場面だっつの。


「(小声)…何か、話を聞いてもらいたいんですよ」

 九王沢さんは、どこか済まなそうに僕に言った。


 とても気がつく彼女は、すでにお茶も入れて涼花を迎え入れる態勢ばっちりだ。これじゃ、迎え入れないわけにいかないじゃないか。


「分かってます。…わたしがいないと、あそこに戻らないといけないのは」


 ふんっ。じゃあ帰ればいいのだ。知ってんならさっさと。お前の芸能界のギャラと、お母さんの遺産を狙ってる曲者ばかりがひしめく人外魔境に。


「でもうんざりしちゃって。…もう死んだお母さんのことで、色々言われるのやだし、そのことで家の人と、話をするのもやなんです」

「すうちゃん…お母さんは殺された、さっきそう言いましたよね?」

 こくん、と涼花は頷いた。

「わたし、知ってるんです。…お母さんが死んでた、あの部屋に本当は誰かいたのを。香名子さんも一緒にいたから、間違いないんです」

「香名子さん?」


 お手伝いの女の人だ。確か今日あった面子はすべて、一年前靜子が死んだときにその場にいた人たちだったはずだ。


「でも皆、わたしたちの言うこと、取り合ってくれなくて。結局、自殺、と言うことになったんです」

 そこで何かぴんと来たのか、九王沢さんは生え際の美しい眉をかすかにひそめた。

「…辛いこと聞いてごめんなさい、すうちゃん、お母さんは刃物で刺されて亡くなってたんですよね…?」

 こくん、と涼花ははっきりと頷いた。

「そこら中、血が飛び散っててお母さんも、血まみれでした。わたし、お父さんに刺されたと思った。でも、部屋の入口には鍵が掛かってたんだって」

「鍵が…?」


 つまりは密室、と言うことだ。つまり靜子の死に事件性を感じさせるものはあったとしても、状況的に殺人は不可能であると判断されたから、事件は自殺になったのだ。


「でもその部屋に、誰かが隠れていたんですか…?」

 涼花はまた、頷いた。

「わたしは、そう思ってます。香名子さんも…」


 だが二人の意見は、採用されなかったのだ。もしこれ、本当のことだとしたら、とんでもないことである。



「さっきは変なこと言ってごめんなさい、那智さん」

 気を取り直すと涼花は深く、頭を下げて僕に謝った。


(はっ)

 その瞬間、僕の中から、性欲と言う名の魔物が浄化された。自分でもつい(心の中で)大人気ない暴言を吐きまくってしまった。考えてみれば相手は、十六歳の女の子なのだ。


 しかもこんな、普通の人の想像を絶する厄介な事情を抱えたかわいそうな子なのである。


「気にしないで。好きなだけ、いていいんですから。すうちゃん、わたしたち、何でも相談に乗りますよ?」

 そんな涼花に、九王沢さんはいつもの天使の笑みだった。


 僕とはえらい違いである。うう、今日はひと際まぶしいぞ。さっきまでの僕はなんて下劣な奴だったんだ。


「じゃ、じゃあ那智さん、お嬢さま、ご迷惑でなければ…」

 涼花はまだ泣きべそを掻きながら、上目づかいで僕を見た。

「すうと、お風呂に入ってくれますか…?」

(ええっ)

 僕は思わず我が耳を疑った。


 ついでに、さっきまで九王沢さんと混浴しようと思っていた部屋の内風呂まで見てしまった。


 いやっ、そんなことしたらせっかく浄化した性欲の魔物が。だって、さっ、三人はまずいだろ。ぼ、僕は構わないけどね!?でもさすがに。ねえ、九王沢さん。


 そう思って見ると、九王沢さんはなんのこだわりもなく笑顔で頷いた。


「もちろん、今ちょうど入ろうと思ってたところですから☆」

「本当に?いいんですか、わたしなんかがお二人と一緒に」

「那智さんは気にしないですよ。大丈夫です」

「う、うん」

 僕は思わず息を呑んだ。いやまさか!?混浴温泉に九王沢さんと、涼花がついてくるなんて。


 海鮮丼なら伊勢海老にズワイガニがサービスでついてくる感じである。全くなんてプレミアな展開だ。



「こっちはすっごい綺麗です☆紅葉満開ですよう!那智さん!」


 はしゃぐ九王沢さんの声が、はるか遠くの壁越しに聞こえる。


 言うまでもなくここは外風呂の大浴場『清水せいすいの湯』である。


 もちろん男女別。




(ですよねえ)

 もう九王沢さんと混浴が頭にこびりついていたから、これに涼花まで入ってきたらどうなっちゃうんだ!?とか思ってた自分が恥ずかしい。


 たとえ伊勢海老にズワイガニの海鮮丼だろうが、見れも触れもしないんじゃ何の意味もない。音声だけでお楽しみ下さいってか。けっ、とんでもないオチである。


 これなら時間帯ずらして、ゆっくり入った方がまだしもだっつの。ちっともリラックスしない。どうにもこうにも、隣が気になって仕方がないじゃないか。


「お嬢さま、おっぱい形が綺麗で大きくって羨ましいです☆わたしも、こんな風に生まれたかったなあ…」

「心配することないですよ。すうちゃんだってもっと大きくなったら、大きくなりますよう」

「えー、すう、小っちゃいですもん。お嬢さまみたいになれないですよう。あっ、そうだ!すうと洗いっこしましょうよ!ああっ、お嬢さま足も綺麗なんですねえ☆」

「ああっ…もうっ、すうちゃん!だめですよう、ひゃうっ…突然そんなとこ…触ったら」



 あっ、鼻血。

 くっそう。これじゃあ生殺しもいいところだっつの。まさしく拷問である。


 溶岩のように噴き上げる性欲と妄想を殺しつつ、僕はお風呂を上がって先に戻ることにした。


 部屋に帰るとなんだか寒くなってきたので、暖房までつけてしまった。温泉になどほとんど浸かってなかったのだ。


 温泉行って、風邪ひいたら間抜けもいいところだ。あれもこれも涼花のせいである。


 これは飲まなきゃやってられない。冷蔵庫の販売機から僕は、缶ビールを取り出すと、何気なくテレビをつけた。


 すると折悪しく涼花が、チョコレートのCMに出ていた。ブレザーの制服姿で先輩、である。


 くっそう、なまじかわいい。こんな子が、あの九王沢さんと二人でお風呂で、生まれたままの姿で洗いっこしているわけである。


 そして僕は部屋でくしゃみ。くしゃみをしても一人、とはこのことだ。


 寂寥感せきりょうかんすら抱えて寝転がると、涼花の浴衣の上着から、私物が転がり出てきた。


 小さいバッグの金具がちゃんとしまってなくて、お化粧品から、スマホやら、ぴかぴかのラメのシールを張ったスケジュール帳やらが一気に飛び出した。こういうとこはやっぱり、年齢相応の普通の女の子だ。


(ん…なんだろ、これ)

 その中で僕が、異質なそれを発見したのは、本当に偶然だった。


 こぼれおちたものの中にトルコ石のように滑らかな光沢を放つ、青い円盤状のものが入っていたのだ。首飾りの類いだろうか。


 通してある紐も粗末で古びていて、どこか外国の民芸品のようだ。持ってみると意外な重量感と厚みがあり、中でコロコロと何かが音が鳴った。こうしてみると風鈴みたいだった。


「なっ、何するんですか!?」

 涼花のひきつった声が、僕に降りかかったのはそのときだ。


 楽しげに九王沢さんと返ってきたのが一転、涼花は血相を変えて僕からそれを奪い取ったのだ。


「触らないでっ…これ、大切なものなんですっ」

 いそいそと涼花は、洗い髪をまくりあげて、首に紐を通す。


 何だよ、そんなにあわてるほど大事なら、お風呂に持って行けばいいじゃないか。


「それに!…ああっ!バッグ、勝手に開けたんですか!?」

「開けてるわけないだろ!?」

 勝手に口が開いてたのだ。これじゃ僕、変態みたいじゃないか。



「お母さんの形見みたいなんです。わたしと旅行したときのメキシコのお土産で、涼花さんはずうっと、それを大切にしているみたいで」


 それはメキシコの彩陶さいとうで作った土鈴どれいなのだと言う。


 もう十年近く前にもらったそのお土産を涼花はとても気に入っていて、オーデイション前の緊張したときや、落ち込んでいるときなどにいつも助けてもらっていたらしい。


「さっきのことがあって、部屋でずっとそれを見ていたみたいなんです」


 それで急に僕たちと、お風呂に入りに行こうと思い立ったから外したままバッグに入れてたのを忘れたのだと言う。


 普段の涼花はそれを、靜子の身代わりだと思って、お風呂に入るときも、脱衣場に持って行くそうな。


「さっきはごめんなさい、那智さん」

「いいよ、そんな事情だったら」


 一時は変態扱いされたが、九王沢さんのとりなしで、濡れ衣は晴れた。涼花も、感情的になった自分に気づいたのか、僕に謝ってくれたし。



「お母さん…」


 湯上りで温まったのか、涼花はそれからすぐに座布団に突っ伏して寝てしまった。


 手にしっかりとお母さんの形見を握り締めていた。九王沢さんと僕で、そっと布団に移してあげる。うう、こんなシーン、観ちゃったらこっちだってじんとしてしまう。許さないわけにはいかなくなるじゃないか。



「秘書の児玉さんには、わたしの携帯電話の番号、教えてありますから」

 さっき、連絡があったと言う。


 たぶんまた涼花がいなくなって、向こうも心配してるだろう。


「涼花さんが起きたら、迎えに来てもらいますね」


 何度も思い直してしまうが、まだ、十六歳だ。それなのにどれだけ重たい荷物を、ここまで背負っていたのだろう。


 涼花の寝息は安らかだった。

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