第4話 六園家の一族

「涼花ちゃん!勝手に出るなとあれほど!」

 若い女性が二人、伊東さんと息せき切って駆けつけてきた。


 かわいそうに、涼花に振り回されたのだ。

 恐らく黒いスーツに銀縁眼鏡の方は涼花のマネージャー、ゆるふわな三つ編みのトレーナー姿の若い方は、もう一人のお手伝いさんかと思われるが。


「娘です。…涼花お嬢さまの本家のお嬢さまよ」

 伊東さんは、先に娘の方を紹介した。

「いっ、伊東香名子いとうかなこと申します。えとお母さんと…ここで、皆さんのお食事などを作らせて、もらってます…」


 消え入りそうな声だ。普通にしていれば、案外美人なのにもったいない。


 こうみえて香名子さんは栄養士の資格も持っているらしい。二十代後半、一見して腐女子かなあと言う引っ込み思案な感じの人だ。


 いちいち目を合わせないので、ふわふわに編んだ癖のある髪の毛の中に表情が埋もれていきそうに見える。


児玉こだまと申します。うちの涼花を、見つけて下さってありがとうございました」


 対してこちらは一見して、仕事が出来そうだ。綺麗に整えた髪を後ろで束ね、銀縁眼鏡、きりっとしたダークスーツの児玉さんは、広瀬静子と同年代だろうか。


 児玉佐奈恵さなえと、フルネームで書かれた名刺には、涼花のプロダクションらしい会社名と個人事務所の社名が並記されている。


 涼花によると、この児玉さんは靜子の芸能界時代からの知り合いでそのまま、涼花の専属になった人だそうだ。

 当然、九王沢家のこともよく知っている。


「あなたが慧里亜お嬢さま…お話は、亡くなった靜子からよく」


「靜子さんには一度、メキシコに旅行に連れて行ってもらいました。ここ何年かは、ご病気を患ったとかで、わたしの家とも疎遠になっておりましたが、まさか亡くなられていらっしゃったとは思ってもいませんでした」


「故人の希望です…葬儀の類は一切しませんでしたし、お報せもごく少数の方だけに限らせて頂きました。御本家にも失礼かとは思ったのですが、お母様、九王沢夫人にはご諒解頂いた、と靜子本人からうかがっていたのですが」


「そうですか、母が…」


 恐らく、九王沢さんの実家には伝わっていたのだろう。九王沢さんはいたましそうに、祭壇に向かって祈りを捧げていた。


「本当にごめんなさい。ご病気だったことも、わたし、知りませんでした」


「お気になされることは、ないと思いますよ。容態が急変するまでは、ほとんどの方に公表せずにおりましたので」


 そのときだ。九王沢さんが何気なく、言った一言で空気が一変した。


「靜子さんの、最期は安らかでいらっしゃったのでしょうか…?」


「え、ええ」


 どこか不自然なタイミングで、児玉さんは即答した。続く言葉がなかったが、言いよどんだ感じがした。僕はこの場に、不思議な空気が走ったのが分かった。


(何だろう)


 ありのままを言うとさっきまでの居づらさとは別の、言い知れぬ緊張感だった。空気が硬質のものだったとしたなら、それは今、誰かが踏み割ったかのようにびしりと亀裂が走った感じだろう。


 同じ雰囲気は伊東母娘からも、涼花からも感じられた。と、言うか僕は見た。今のは間違いない。


 九王沢さんが靜子の安らかな死を案じた途端、涼花は、こみ上げる何かを堪えるような顔をしてえづいたのだ。何か、事情がある。


 大体、病死から一年も経って急にどうして遺産相続が行われることになったんだ?


 不穏な沈黙が確かにそこにあった。


 そして、そのとき最悪のタイミングで酒席を張っていた男たちが戻ってきたのだ。



「涼花!いい歳をしてお前は、どうして大人の話を、ちゃんと聞いてられんのだ、まったく」


 中年男は明らかな酔っ払いだった。

 白髪交じりの角刈りに、あまり品の良くないスーツ。酔ってくつろげたのか、シャツは着崩れていた。


 水割りのグラスを片手に、ずかずかと入ってきた男は、自分が何もかもを仕切っていると言う風に、わざわざ外に探しに出た労をとった人たちを叱りつける。


「そもそもお前たちが、ちゃんと見てないでどうするんだ!だから、言ったんだ。お前たちのような奴らに、靜子の一粒種を任せちゃおけん!どいつもこいつも、若い奴はなあんにも、なっちゃあいないんだ!」


 なってないのはお前だろ。そう突っ込みたくなるほどにまるで腕白坊主な大トラだった。


 この明らかに酒癖悪い男を介抱するべく、残りの二人が酒宴を切り上げ、どこか別の場所に連れ出していたのだ。涼花が嫌になる気持ちも判らなくない。


「涼花っ、お前だって、分かるだろうが。タレントの仕事だって息子の事務所に最初から来てりゃあ、何もかもが丸く収まったんだ。靜子が死ぬ前だって話してりゃ、もうとっくに済んだ話だろうが。ああ!?」


 酒臭い説教と恫喝どうかつを浴びて涼花は、不愉快そうに顔を背けた。


「まだ、酔いが醒めていないようですね」

 児玉さんの声も硬かった。


 後で分かったのだが、この酔っ払いが六園家の長兄で、六園グループの名で事業を展開する謙三けんぞう、介抱した片割れが、弟で建築デザイナーの征之助せいのすけだった。


「まあまあ兄さん、少し落ち着いて。何なら部屋で寝てきたらいい。お客様もいるみたいだし」

「客だ?」

 怪訝そうな目で、謙三は九王沢さんと僕を見た。

「なんだ客ってのは!余計な人間を中に入れるなと、あれほど言っただろうが!おい誰だお前ら!」


 酔っ払いの矛先がこっちに向いてきた。だが九王沢さん、そんなのに、動じる人ではない。


「九王沢慧里亜と言います。靜子さんには、生前かわいがって頂きました」

「九王沢ア?」

「ほっ、本家ですよ、兄さん。例のロンドンの…」

 征之助が耳打つと、謙三の態度はみるみる沈静化した。


 精しくは判らなかったが九王沢はこの男の展開する事業に、多大な貸しがあるらしい。げっ、と言った瞬間、顔が青ざめていた。ざまあみろ。


「あん?何黙ってんだよ親父」

 そしてガラの悪い白スーツがもう一人、児玉さんに突っかかった。

「こっちは忙しい中、来てやってるんだ。大体、相続に一年もかかるってのがおかしな話なんだよ。東京から弁護士が遺産分割協議書持ってくるまで、仕事ほっぽり出して、ここで二日も三日も待てって。親父が怒るのも、無理はねえんじゃねえのか?」


 これは謙三の息子で例の芸能プロダクションを経営する入り婿の一成かずなりと言う男らしかったのだが、涼花がいやあな顔をするのも分かる。

 一昔前のドラマの勘違いしたやくざである。


「一成さん、ご存知だと思いますが、故人は画家です。その所蔵作品や蒐集品は資産ですが、すべて個人が相続すると莫大な相続税が掛かります。そのため死後、財団を造ってすべての作品の価値と消息を把握する作業が必要なんです」


「叔母さんはがんだったんだろうがよ、何年も前に告知受けてさ。その間、準備しておきゃいいんじゃなかったの?」


「これが故人の意思です」

 一成が凄んだが、児玉さんは冷たい目をしたまま、それを圧し返した。


「最初にご説明しましたが、我が国の現行の法規では兄妹の遺産相続について、法廷遺留分ほうていいりゅうぶんを認めていません。本来なら靜子さんは、あなたたちに遺産を分配する法的義務はないんです。ですが相続権を持つ涼花さんは、未成年です」


「何が言いたいんだよ?」


「じゃあ、はっきり申し上げましょう」

 児玉さんは堂々と言いきった。

「涼花さんの後見を希望しない、またそれに相応しくない方は即刻、ここからお帰りになって結構です。それだけの話です」


「くっ…」

 一成は反論に窮したのか、酔った顔がさらに真っ赤になった。

「なんだよ、脅す気かよ」


 児玉さんはわざとため息を吐くと、反対に一成を睨みつけてみせた。


「お金が必要なのでしょう、涼花さんの?」

 うわ、かっこいい児玉さん。向こうは、それでぐうの音も出なかった。



「涼花のデビューの時、揉めたんです。あの、一成さんの会社とは」


 涼花は子役としてすでに小学生のときから大手の事務所に所属し、いくつかオーディションを受けて仕事をしていた。


 それがある大きな役が決まった時、強引な横槍で移籍させられそうになったのだと言う。


「でもわたし、伯父さんの事務所は嫌だった。だから意識して避けてたんです。友達が言ってた。大きくなって売れなかったら、アダルトビデオに出させられるんだって」


 給料の天引きや未払い、果てはパワハラ、AV出演強要まで一成の事務所は悪い噂が絶えなかったそうな。


 そこで靜子は一計を案じ、旧友の児玉さんを引き抜いてきて、自分の事務所を作らせたらしいのである。


 ここまでで大分、聞いてはいけない業界の裏話を聞いてしまった。


「那智さん、那智さん」

 くいくい、と九王沢さんがなぜかそのとき、僕の袖を引いてきた。

「アダルトビデオ、ってなんですか?」

「…ごめん、後で説明していい?」

 この年齢で涼花の方がよっぽど、どっぷり大人の世界だ。



「…わたし、あの人たち大っ嫌い。何かと言えば、もう大人なんだから分かるだろう、とか、子供なんだから黙って従いなさい、とか。わたし、大人なの、子供なの?本当は、わたしの考えなんかどうでもいいんでしょ?ただ自分たちの都合いいように、わたしを利用したいだけ」


 涼花がかわいそうになってきた。


 本人のいる前で何だけど、僕も涼花の映画、観たのである。


 あんな天真爛漫てんしんらんまんに演技する子が、こんだけ頑張って生きてるんだ、と思うと、居たたまれなくなる。



「…ちょうど、一年だよね」

 涼花が、うつろな声で言ったのはそのときだ。

「皆、ここに戻ってきた。お母さんが死んで、やっぱり皆、お母さんのお金が欲しくて集まって。教えてよ、児玉さん。これから本当は何があるの?」

 涼花の目は、恐ろしく澄んでいた。


 十六歳の女の子とは思えない表情を、涼花はした。あの児玉さんの顔色が途端に変わるほどにそれは劇的だった。


「涼花ちゃん…何があるって?何もないわ。大体、なんでそんなこと急に言うの?」


「本当は誰かに殺されたんでしょ?お母さん」


 その涼花の発言が、一瞬、この世界の時間を停めた。今度こそだ。あの不穏な空気と得体の知れない緊張の正体。


 児玉さんも、伊東母娘も、目を剥いて黙っていた。涼花は涙をこぼし、そこで苦しそうにまた嗚咽した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る