第3話

 僕も男だ。プライドがある。女の子の九王沢さんに行こうと言われて、これ以上は拒否出来なかった。だが、言わせて頂きたい。この企画、僕が考えたわけじゃない。


 九王沢さんの好奇心を炎上させるだけ炎上させて皆、逃げやがったのだ。僕が、何をしたって言うんだ!



「まずは夏深野浜から行きましょうか?」


(ぼっ、僕たちに今夜何事もありませんように。お願いします何事もありませんように…)


 それほど信心深くない僕が、神仏相手にこんなに真摯しんしな祈りを捧げたのは、これが初めてだった。


 いや、地元の人が出ると言ってるのである。皆、降りたのだ。それなのになぜ、行っちゃいけない場所に行こうとする?その神経が理解できない。


「どうやらここが、夏深野受難の地のようです。旧い地名が『髪洗かみあらい』。あっ、藪の中に小さなお社が建っていますね」


 と言いつつ、好奇心を爆走させる九王沢さん。まーた厄介なものに火をつけてしまった。九王沢さんはこうなると止まらないのだ。


「いわゆる奇談を含む怪談話は、やはり江戸期の流行がその起源と言えるでしょう。さらにルーツをたどるなら、落語らくごの源流がそれに近かったのではないか、とわたしは思うんです」


 古今の物珍しい話を、主君が聞く。いわゆる『耳学問みみがくもん』として、このような話が始まったのは、安土桃山時代だと言う。槍一本でのし上がった諸侯たちはすすんでそのような話が上手い人を招きよせて、座談させた。


 代表例はなんと言っても、豊臣秀吉とよとみひでよしだ。


 彼が召し抱えた『御伽衆おとぎしゅう』と称する座談相手は、そのジャンルも多岐に渡った。昔のいくさ講釈をする武将たちが多かったのだが、とんちの曽呂利助左衛門そろりすけざえもんをはじめ、巷の面白い話をする御伽衆も多かったのだ。


 落語の原型とも言われる『はなし』が始まったのも、この頃と言われる。現在も落語のジャンルの中に四谷怪談をはじめ『怪談咄かいだんばなし』があるのも落語と怪談が起源を同じくするためではないかと言うのが、九王沢さんの持論だ。


「江戸期になり、それは座談をするサロンとして、発達していくのです」


 座談は最初は武家貴族のたしなみだったのだが、江戸時代に入り、商人文化が華ひらくと、江戸の文化人の間で、そうした怪談・奇譚の集まりは一種のサロンを形成した。


 それは例えば、片見月かたみづきの呪い、八月の十五夜に人を招いた客は、九月の十三夜にも人を招かないと、良くないことが起こる、と会が続くような社交的なしきたりも出来て、江戸人独特の文化になった。


 そうした催しのあらましは例えば、森鴎外もりおうがいの『百物語』などに著わされていたりするが、江戸の通人つうじんのたしなみでもあったのだ。


「最初期の武士たちが集まる座談では、白玉しらたまが出されたそうです。白玉のお団子に、井戸で冷やした甘酢あまずをかけて出すのが、定番だったようです。怪談は江戸の昔から、日本人に愛され、親しまれてきた催しだったみたいです」


 この手の話になると、九王沢さんを阻むものは何もない。さくさくと止め処なく話が続いていくのだが、良かった。九王沢さんと歴史の話をしていたので、怖いと思う暇がなかったぞ。


「じゃあ、次は廃アパートの方に行きましょうか」

「う、うん」


 思わず答えてしまった。なんだよ、帰ろうと言うタイミングを逸しちゃったじゃないか。




 問題のアパートは、その夏深野と言うお姫様が殺されたと言う浜から、さして遠くない距離にあった。


 ハイツ仏送ほとけおくり、と言ういかにもな名前のアパートだ。ただ名前はあれにしても鉄筋コンクリート造りの屋上付き二階建て、築十五年経っていないと言うことで、まだまだ外観は新しく、外壁も基礎もしっかりしていた。


 海岸も近いし下手な曰くつきでなかったら、さぞや人気の賃貸物件だったのだろう。家主の無念が偲ばれる。


 僕たちは虎ロープをくぐって雑草とつたで荒れ放題の駐車場から中へ入った。行く手の雑木林の中にぽつんと建っているのだが、ひと目見てそれが廃屋と分かる。サッシも小窓も、念入りにコンパネ板で塞がれていたからだ。


「中には、入れそうもありませんね」

 何が楽しいのか九王沢さんは、含み笑いしながら僕に言う。

「ちょっと、裏へ回ってみましょうか」


 一体どこまで果敢なのか。僕の返事も聞かずに九王沢さんはぐいぐい、心霊スポットに喰いついてくる。


 すでに夜中の一時を回った。観光地とは言え田舎町なので、この時間は車の通りさえほとんどない。


 古びた街灯がジジジ、と音を立てる以外は、辺りは完全に無音である。それでも繁茂するセイタカアワダチソウの群れを掻き分けて、僕たちは玄関口のある建物裏手へと回る。


 姿は視えないが、やたら藪蚊やぶかがいる。お酒を飲んでいた僕は、ここへ来るまでに何か所も刺されてしまった。


「何もありませんね」


 当たり前だ。無人になって大分経っているのだ。こちらも浮浪者などに侵入されないよう、しっかりと入口が塞がれているはずだ。


「では二階へ行きましょうか」

 錆でペンキの剥がれた階段をさして、九王沢さんは言った。さすがにうんざりした。

「事件が起きたのは、二階の角部屋だったと聞きました」


 奈須葉さんが言っていたのである。よりによってOLが絞殺された、と言うのは、二階の一番奥の部屋なのだ。


「…じゃそこ見たら、危ないから帰りましょうよ」

 僕は、そこで断固として言った。


 幽霊云々より、真夜中にこんな場所をうろついていたら、何があるか分からない。男の責任として僕は、それだけは承知させた。


 しかし二階へ行ってみてぎょっとした。奥の部屋である。なぜかそこだけ玄関ドアが開け放たれ、中へ入れるようになっていたのだ。


「一番奥の部屋でしたよね?」


 九王沢さんが興味を持ったのが、運の尽きだった。

 あんなに瞳をきらきらさせて僕の腕を引っ張るから。禁断の場所へ僕は、ついに足を踏み入れてしまったのだ。


「見たらすぐ帰りますよ?」



 正直、部屋に入った瞬間、独特の違和感があった。いわゆる霊感が来る、と言うやつで一刻も早く出たかった。


「何もありませんね」


 当たり前である。

 部屋は1LDK、どこに遺体があったのかもちろん判らないようになっていたが、心なしかリビングの中央に不自然な凹みがある気がする。サッシにはカーテンがなく、駐車場の明かりが、かすかに入り込んでいるばかり。


「きゃっ」


 突然だ。僕たちは二人とも室内にいるのに、勝手に玄関ドアが閉まった。


 ここで僕の心拍数は急上昇した。あわててドアを押し開けようとするが、立てつけが悪いのか、分厚い鉄扉はコンクリートの床面に引っかかって、なぜかびくともしない。



「閉じ込められた…?」

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