第24話

 すべてがあるべき場所に。


 そう言えば。

 果恵は、すべてがちぐはぐな女の子だった。


 いつも不要なものはすぐに見つけて排除するが、それでも必要なものは一切見つけることが出来なかった。


 好きなことは絵を描くことで才能もあったはずなのに、それを浪費しようとするように頑なに普通科を択んで、無理やり僕と人生を過ごそうとしていた。


 思えば彼女が一心不乱にしていたことは、どこにも届かないことだったのだ。果恵は鍵穴もノブもない扉をまさぐって、どう考えても的外れな方法で必死にこじ開けようとしていた。


「そもそも眉月家には遺伝的に、果恵みたいな人が代々、いたらしいんだ」


 ついで僕が見せられたのは、僕の実家のお寺に伝わる文書集だった。


「お寺の、記録ですか?」

 日本史に詳しくない九王沢さんは、目を丸くした。

「日本では中世の武家、特に没落した家の研究には、お寺の日記や年代記が参考にされることが多いんだ。例えば千葉氏のように江戸期に喪われてしまった名家などは、末孫の家には、公式記録が遺っていないことが非常に多い」


 直孝さんによると、眉月家は鎌倉以来、千葉氏に代々連なる家系のようだ。


 現在、千葉県の名前の由来となった千葉氏は、源頼朝の挙兵を助けて、歴史の表舞台に立った家だ。その後、中世を生き抜いたが、関東戦国史の群雄割拠に阻まれ、あえなくその家は江戸期に至って絶える。


「現在の千葉市から以東の北西部は、戦国時代には駿河の北条氏、常陸の佐竹氏、安房の里見氏が奪い合う激戦地帯だったんだって」


 その情勢が一変するのは言うまでもなく、徳川氏の江戸入りである。豊臣秀吉に関八州を譲られた徳川家康は、これらの諸勢力を排除して各地に譜代大名を赴任させる政策を推進した。その時に邪魔な大名家は、徹底的に廃絶されたようだ。


 例えば有名なのは、将軍家の鷹狩りに挨拶に来なかったと言う半分言いがかりのような理由で取り潰しにあった安房里見氏だが、すでにそれ以前に没落した千葉氏も再三、再興を願い出るも、幕府にすげなく握りつぶされると言う憂き目にあっている。


 これは彼ら土着勢力を排除した上で、空いた封地に徳川氏の家臣を就職させるための、意図的な大リストラと考えると判りやすい。


 遠地に赴任した大名がするべきことを、徳川氏も万難を排してやったわけだ。そのため旧弊勢力は土民として徹底的に弾圧にされ、その記録すらほとんど抹消されたようだ。


「しかし、眉月家は武家として江戸期を生き残っている。実はこれを研究するのが、僕が大学の研究室にいたときの最大のテーマだったんだ」


 直孝さんが本を出すために、編集者時代から親父もずっと援助を続けていたのだと言う。


「寺を譲ってもらってやっとかな。ここの記録も自由に見れるようになってな」


 それによると突然、眉月家の娘が徳川家の直参と縁続きになった、と言う記録があるのだと言う。


「その娘は五年失踪していた。そしてふらりと連れて来た夫が、さる事件を起こして出奔したままになっていた徳川直参家の三男坊だったと言う」


 その男の家は、家禄は低いながら徳川家が三河岡崎にいたとき以来の功臣の末裔すえであり、願い出て、眉月家を継ぐことを許されたと言う。


「家を飛び出して奉公構ほうこうがまい(いわばクビだ)になった武士が、復職できるなんて言うことは、江戸期も進んでくるとありえないことだが、当時はまだ戦国以来の気風が残っていたんだろうねえ」


 罪を得たとは言え、見聞を広めた武士は使い物になる、と言う考え方は、家康ならではのものだと、直孝さんは言う。


 確かに家康晩年の無二の参謀だった本多正信ほんだまさのぶも、家康を裏切って失踪し、出戻りしてきた人だ。


 ともあれ眉月家はこうして、千葉氏の支族として滅ぼされずに、徳川時代にも武士として生き残ることが出来たのだ。


 恐るべき偶然だが、戦国時代のような諸国往来が盛んだった時代には、そのような嘘のような本当の話と言うのは、少なからずあるものだったそうだ。


 しかし特異なのは、家の当主が徳川家に知縁をつないだのではなく、なんとその娘が実家を飛び出してその相手を見つけた、と言うことだ。


「問題はその娘が、眉月家を去った理由だ」


 直孝さんはそれを、公式な記録ではなく、寺の奇談覚書の中から見つけたと言う。


「彼女は偶然見つけたのではなく、はっきりと婿を探しに行くと言って出て行ったそうなんだ。五年後に危急に陥るはずの眉月家を救う相手を探しに」


「その女の人の名前は残っていないんだけど、果恵のような人だったらしい」


 御伽草子には、涙でネズミの絵を描いた、と言う雪舟せっしゅうさながらの、彼女の画才を喧伝するエピソードが収録されているが、これはまあ、話を呑み込みやすくするためのよくある誇張に過ぎないだろう。


「しかし、その方はよほど直感力の鋭い方だったことは確かなんですよね?」

 九王沢さんは眉をひそめると、豊かすぎる胸を押し潰すように腕を組んだ。

「そうだね。だってまさか、自分の地元が顔も見たことのない徳川氏に占拠されるなんて、当時よほどえらい武士だって予想がつかなかったはずだからね」


 言うまでもなく、天正十八年に小田原北条氏が秀吉の裁定に背いて真田家と諍いを起こすことに端を発し、関東争乱が激化することも、その秀吉が家康に関八州を封じることも、地方の草賊たちには遥か雲の上のことで想像すらしなかったことに違いない。


「おいえをすくいに」


 婿を取りまする、五年いつとせお待ちくだされ、と断言し、まさにその通りに家を救ってしまったその女性はつまり、神懸っているとしか思えない。


 眉月家には時々、そんな女性が生まれたのだ。直孝さんは果恵がごく幼いうちから、そうではないかと、すでに察してはいたのだ。


「実はその女性には、縁談があった。いずれ、徳川氏と敵対することになる縁だね」


 さらにはっとすることを、直孝さんは言う。なんと、その女性の婿探しを優先して、ときの眉月家の当主はその、すでに成りかけていた縁談を反故にしてまで後押しをしたようなのだ。


「だがその当時は、そんな予測は全く立てられなかったはずだ。一方的に縁談を断るなんて、武家の間では一大事の約定違反なんだ。そんな家の危機をおしてまで、当主が娘の婿探しに協力したなんて荒唐無稽にもほどがあるだろう?」


 直孝さんによると、眉月家にはもっと以前の代から、そうした女性が家名存続の危機を救ってきた可能性が高いと言われる。でなければ眉月家の当主が、そのような危険な選択を採るはずがないのだ。


「千葉氏は妙見信仰みょうけんしんこうの徒だ。そのため、千葉氏の氏族は必ず城の一角に、社を祀ることになっているんだ」


 今でも千葉県北西部には、無数の古城跡が残るが、千葉氏の名残は祭祀を確認すれば、一目で分かる。妙見神社、ほし神社と言うお社があれば、そこは千葉氏の息のかかったお城なのだ。


「ちなみに妙見菩薩は、北辰信仰、いわば大陸を渡ってきた星を祀る考え方から来ているんだって」

「確かに星を祀る考え方なら、日本以外にも広く伝わっていますよ」

 そこで九王沢さんはさすがにぴんと来た。

「北斗七星を祀る信仰はルーツは古代バビロニア、インドを経て仏教と習合した教えですね。古代中国では北斗七星はそのまま、天帝を現したとされています。妙見には『優れた視力』と言う意味があったと思います」


 直孝さんによると、眉月家の妙見信仰は祭祀の起源が不詳なほどに古く、古代中国の星宿信仰に連なるとされる。


「恐らくは眉月家は、大陸王朝と朝鮮半島の騒乱から亡命してきた、渡来人の末裔すえでしょう」

 不確かながら、直孝さんは推測を口にする。


 恐らくは眉月家は、妙見さながらの未来の可能性を見抜く恐るべき直感力を持った女性の誕生で長きに渡る家名存続を乗り切ってきた稀有の一族なのだ。


「もちろん、僕たち自身にはずっとそんな実感はなかった。今さら妙なしきたりもないしね。果恵以外にも二人子がいるけど、どちらもごく普通に育ってる。果恵だってもしかしたら、と思ったけど、さすがに学問上の興味の範囲を出ることなんてなかったよ」

 だが果恵が目覚めてしまったことで、直孝さんもそれが事実であると、感じざるをえない事態に陥ってしまったのだ。

「果恵がああなって程なくだよ。僕はそこらじゅうの親戚に詰め寄られた」

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