第15話
「眉月果恵さん…?」
九王沢さんは僕の言葉を反芻した。そして鳥が雛を温めるように両手をそっと自分の胸の前へ当てると、僕が発した言葉の意図を確かめるようにしばし考えた。
「それは、今でも那智さんの大切な人ですか…?」
「分からない。でももう、たぶんそうじゃないと思う。こだわりがあるとすれば、それはただ、自分に起きた出来事の不可解さが呑み込めていないせいだろう」
「元カノですね?」
「か、軽い言い方をすればそうだけど…」
すると、九王沢さんは僕の顔に手を伸ばすと、謎の行動に出た。なぜか僕の頬の肉をぐいっと指で
「なっ、なんですかこれ!?」
「す、すみません。つい発作的に」
やってしまってから九王沢さんは、我に返ったのだろうか。あわてて、自分の手を引っ込めた。この人もやっぱり、不可解な人だ。
「でもなぜか今、少し気持ちがすっとしました」
「気が済みましたか…」
「はい、今の時点では」
それはこれからの話次第では分からない、と言うことだろうか。つまり九王沢さん、元カノの話をしたから、嫉妬したのだ。僕にとっては驚くべき事態だった。あの九王沢さんでも嫉妬するんだ。
「話を続けていいですか」
新たな九王沢さんの一面に未知の恐怖を感じながら、僕は尋ねた。
「はい、どこからでもどうぞ」
九王沢さんは微笑んだ。それはまた、やっぱり完璧な天使の笑みなのだった。僕は残りのジンを九王沢さんと僕のグラスに注ぐと、小さく息をついて話し始めた。
「まず千葉は僕の地元だって、話したよね」
作品に出てくる千葉県は正確に言うと、僕の両親の実家である。
僕は高校に入るまでは、都内にいたのだ。
僕の父親は元々、出版業界にいた。最初は会社勤務で雑誌編集の仕事を手掛けていたのだが、やがて信頼できる人と組んで独立し、自ら小さな出版社を立ち上げた。そこで自分の文芸誌を創刊したのだ。
すでに出版不況が嘆かれて久しい頃の、冒険だった。現在も大手の文芸誌ですらがそうだが、こうした雑誌は会社の売り上げには貢献せず、むしろ赤字が常態なのだと言う。
いわば雑誌を運営する意義と言うのは、作家が作品を完成し、本になるまで稿料を保証するためのシステムなのだ。しかしこれは、出版社が一方的に負担を持つ仕組みになっているとも言えなくもない。
出版社は苦労して作家の原稿を取り、完成するかも分からない作品に分割して原稿料を払い続ける。そうしていざ作った本が刷けなければ、出版社の丸々赤字になると言うリスクを負っているのだ。
しかしそれは、それでも作家を育てて、いい本を作り上げようと言う出版業者の情熱があればこそ、続けられることとも言える。
僕の父は自ら営業に立ち回ってまで、数年雑誌運営を続けたが、たちまち窮した。そこでことが決定的になる前に負債を処理し、会社を畳むことにしたのだった。幸い父に、莫大な負債は回ってこなかった。僕の父親は実に手際よく身の回りを整理した。
そうして出版業界に見切りをつけた父は、僕たちを連れて実家の千葉へ帰ったのだ。そこで同郷の母方の実家で、住職不在になった寺の運営を引き継いだのだった。
お寺は小高い山の上にある中々広い敷地で、正確には銚子市ではなく、近くの
幼い頃から僕も度々遊びに帰ったものだった。進学する頃だったので、僕にとっても悪くはないタイミングではあった。
もちろん、都内に未練がなかったと言えば嘘になるが、長い休みのたびに遊びに行ける田舎が自分の家になることが当時の僕は自然に、喜ばしいことだったのだ。元々千葉の方が、僕には水に合ったに違いない。
進学した高校も、都内のそれよりのんびりとしていて、僕には溶け込みやすかった。今でも帰省すれば、飲みに行こうと言う連中が沢山いる。当時の思い出は、楽しいものばかりだった。
眉月果恵はそんな当時の僕の新しい風景の中にいた。
彼女はクラスメートで、しかも元は幼馴染だった。果恵の家は僕のお寺がある隣の山一帯を持つ大地主で、父親は僕の父と同級生だった。物心ついたときには、僕が実家に帰るのは果恵のいる山へ遊びに行くことと、ほとんど同じ意味になっていた。
そこでは果恵は、
「お城の山の果恵ちゃん」
と、大人たちからも呼ばれていた。田舎の人は地名や屋号で知人を表現することが多いのだが、果恵の場合は中でも特殊だった。
果恵の家が持っている山はそのまま、城跡の風景を残していたのだった。
僕の父によれば、果恵の家は元々房総半島の北西部に
もちろん僕たちにその由緒は判らない。ただそこに集まる子供たちにとっては、格好の遊び場だったと言うに過ぎない。
確かに千葉氏の末裔と言うと、どこか大仰に感じるが果恵のお父さんも林業を営む普通の地主さんで、よく物語に出てくるような閉鎖的な名家のイメージとは全く異なる。伐り出した材木を運ぶ大きなトラクターや荷運び用のパワーシャベルなどを扱う農家のおじさんだ。
でも僕には果恵の住む場所が、自分たちが日常住む空間とはどこか違うな、と言うことは、ずっと以前から肌に感じていた。
三百年近い樹齢の大木が、山頂にある果恵が住む家の棟々を覆っていた。今でもその風景を思い出す。大きく掘り込まれた堀跡の底から見上げると、果恵の家が確かにまるで城の主郭のように見えたものだ。
そんな巨大な家には三人の子供がいて、果恵はその末っ子だった。年の離れたお兄さんと、二歳ほど年上のお姉さんに、僕も可愛がってもらったものだった。
上の二人はお父さんに似て社交的な方だったが、果恵はどちらかと言うと元々内向的で、あまり表に出たがらないタイプだった。
しかし芯に、誰よりも鋭い感性と強い気持ちを秘めているところがあり、ご家族もそれに一目置いている風が感じられた。いわば一見内気なのに、言いたいことは思い切ってはっきりと言ってしまうそんな女の子だったのだ。
僕は今でも憶えている。越してきたその日、果恵が血相を変えて新しい家になる僕の家へやってきたのを。何かと思ったら彼女は、自分と同じ学校を受験させるべく、わざわざ僕の願書を持ってきたのだった。
「絶対、
分かった?と、眉根を寄せて睨みつける果恵は、自分の胸で握り締めてくしゃくしゃになった願書の封筒を、僕に押し付けてきたのだった。
「いや、その…これ持ってるし。て言うか、もう願書書いたよ?」
「いいから受け取って。豊はこれで願書書いて、高校に提出するの!」
はい、と言うしかない剣幕だった。
元々果恵は美術的な才能にずば抜けていて、果恵のご両親は美大に行かせるべく、そうした勉強をしやすい学校に入れさせたがったのだが、彼女は頑として聞かなかった。あとあと僕のせいにされたことは言うまでもない。
「美術的才能…ですか?」
九王沢さんはかすかに眉をひそめた。
この人も、世界的なヴァイオリニストにその感性を認められるような人だ。その言葉の意味を、深く知っているからこそ、その言葉が表現する多様性を知っていて、それをどのように判断したらいいか、考えあぐねているのがよく分かった。
「特に絵が物凄く、上手くてね」
僕は率直に言った。今でも憶えている。
果恵が描くと、ほんのスケッチでも目の前にきちんとその風景が持つ雰囲気がそのまま出現した。
それ以上にどこか、何気ない風景が異様な力を持って人の目を留めさせるのだ。幼稚園の頃、ただの上履き一つ描いただけで、県から特賞をもらったほどだ。
以降も独学で、彼女は絵を描き続けていた。
「誰かに習ったりはしなかったのですか?」
「したけど、長くは続かなかったみたい」
果恵の才能は美大の先生に認められるとか、いわゆるアカデミズム的なものからは、大きく外れていた。果恵のそれは、ともすれば異能と言われる、いわば厄介な才能だったのだ。
高校生の時、大きな賞をとった絵を見せてもらったが、それは僕みたいな素人が見ても確かに一歩、気圧されるような迫力を持っていた。油絵や水彩画の描き方を、果恵は先生について学びはしただろうが、本当の意味で、彼女に指導者と言うものは、必要なかったのだ。
彼女が見るのは特定の画集ばかりだった。結局、素直に認めたのはカラバッジョ、フリーダ・カーロ、本邦では
彼らが描いた色彩は、いわば血肉の『赤』である。本来は警告色である血液の赤を、彼女は何の躊躇もなく愛したのだ。
そうした傾向は、他に受け入れられがたかったに違いない。例えばレオナルド・ダヴィンチがそうしたように、果恵は死体をスケッチすることまでした。
交通事故で道路際に跳ね飛ばされている、雨露と泥と乾いた血で毛を汚した野良猫の遺体までも、彼女は描いた。果恵はそれをきちんと葬る代わりに、そこに見た生命の赤を克明にスケッチしていたのだ。
実際普通科に入学しても彼女は、四六時中絵ばかり描いていた。もちろん普通科の授業はそっちのけだ。
僕を同じ学校に誘ったくせに、普段の素行はひどいの一言に尽きた。そもそも気が向かないと学校に来ないし、話しかけられても、自分の気に喰わなければ無視するなど、皆の間で孤立するようなことを度々繰り返していた。定期テストの問題の問い方が気に喰わないと言って、答案をびりびりに破り捨てて帰ってしまったこともあった。
それでも変ないじめの対象にならなかったのは、ひとえに当時のクラスメートが寛容で、半ば諦めてくれたからに他ならなかった。
「あの子の面倒見れるのは、本当に那智くんだけだから」
先生には面と向かって言われた。周囲にとって理解不能の彼女への唯一の窓口は僕だったのだ。
さらに厄介なのは果恵の方もそう思っているらしく、僕はよく彼女に付き合って学校をサボらされた。
例えば、
「今日は別に学校行かなくていいでしょ?」
が、三日続いたことが、ままあった。
そんなとき僕たちは電車に乗って、犬吠埼や飯岡海岸、九十九里浜と言った千葉東端の海辺の風景を巡ったのだった。
デートと言えば聞こえがいいが、これ昔の画家がよくやるスケッチ旅行だ。果恵は終日、色んな場所で心行くまで絵を描き続け、僕の都合その他は、まったく気にも留めなかった。強行軍も多く、白浜や勝浦、館山にまで一日で足を運んだこともある。
ほとんどの場合、果恵はスケッチブックに描きこむ線に没頭していて、僕と話もしない。
ひとけのない電車に揺られて、平坦な海辺の風景が続くのも退屈なものだ。
そこで僕も仕方なく、文庫本を持ち込んだり、メモに小説のプロットや文章を書き込んだりして時間を潰したのだった。
雑誌社を潰した父親の影響を受けて、思春期から僕も作品を書き始めていた。親父のつてでちょっとした賞などにも投稿したことがあったが、もちろん相手にされるレベルとは言えない。
果恵もほとんど本を読まなかったが、僕が書いたものをみていつもいい顔をしてくれなかった。
「よく出来てるけど、逆に何か嘘くさい」
あなた自身の言葉が感じられない。そう言われたのは、ちょうどその頃だ。父の影響でそれらしいものを書いていたのだが、当時の僕は本当にただの形だけだったのだ。
「ごめん、これ無理」
鼻の頭にしわを作って、痛烈そうに顔をしかめる彼女の表情を今でも思い出す。
「それでも那智さんは、彼女のことが好きだったんですか?」
うん、と僕は素直にそれを認める。
「すっごい不器用で不都合だったけど、果恵は自分の言葉しか話さなかった。僕はいつもただ器用に用意された言葉で、彼女からすれば中身のないことを話していた」
実際、恋人として考えるのであれば果恵は、ごく自然に僕の大切な人だと言えた。果恵が周囲にもうちょっと配慮さえしてくれれば、僕たちは普通に年齢相応のカップルだったのだ。
「豊は、ずっとわたしの傍にいなきゃいけないの」
なければいけない、と言う言い回しを、果恵はよくした。他のこともみな、そうだった。
「ただそれだけ。それ以外のことは、考えなくていい。後はみんな違うから」
違う、と言う言い方も多かった。彼女はまるで問答無用の託宣を受けたように、確信的に僕との関係を、確実なものにしたがった。自分が信じているように、僕にも盲目的にそれを信じてもらいたいようだった。だから以外はみな、違う、と言うのだった。
それはとても身勝手で強引な愛情だった。
束縛が強い、と言えばごく一般的なイメージになるが、果恵はそうした人が不安から相手を束縛するようには、僕を束縛しなかった。
ただただ疑いもなく、自分が僕を必要とするように、僕も彼女を必要としていると確信し、それに身を委ねている感じだった。
普通はこう言う人と関係を持つと、重たいと感じる人の方が大多数に違いない。
しかし僕は不思議と、その関係にしっくりきていた。
彼女の言うことは偏っているし、盲目的でいつも身勝手過ぎたが、本人を前にすると、確かにそれがなぜか、自然なことのように思えるのだった。事実、僕たちはいかなるものからも不思議と、制約や妨害を受けない関係だった。
「結婚とか、そう言うことは考えなかったけど、何となく果恵からは一生離れることが出来ないんじゃないかって、ずっと感じてた」
そして彼女がそう思っていることにも、何の疑いもなかった。
ちょうど果恵自身がそう、確信していたように。
「でも僕たちの世界に、ある日突然、予期しない確変がやってきたんだ」
「確変…ですか?」
その語感に耳慣れない違和感がして、九王沢さんは目を丸くしたに違いない。
だが確かにあれは、確変なのだ。
それは常識の範囲内の出来事じゃない。
まさにこの世界自体が書き換えられたようなことだった。
「誇張じゃない。ただの事実を話すよ」
それでもあえて大げさな表現を口にしてしまう、それほどに。
そのときの僕たちにやってきたのは、想像を絶するような不可解な出来事だったのだ。
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