第12話
そして僕たちはついに、ホテルに泊まることになった。入ったのはもちろん、ラブホではない。横浜港が間近に見える観光客用のホテルだ。そこは僕が九王沢さんを見つけることが出来た場所からほど近いところにあったのだ。
「先にチェックインしておいたのでコンビニで買い物をしてたんです。那智さん、まだお酒飲むかな、と思って」
と、九王沢さんはお酒を乾きものを買ったビニール袋を掲げて見せた。
これ、じわっときた。九王沢さん、僕にあれだけひどいことされたのに、自分は手配したホテルで段取りをとって、僕が戻ってくるのをずっと待っていてくれたのだ。元・特殊部隊なSPがいるとかあんなにお嬢様なのに、なんていい子なんだ。
ちなみに部屋はダブルを一室。え、僕たち夫婦じゃないよ?いや、待て。ベッドが二つあるってことは、九王沢さん的には夜は別々に寝る、ってこと、だよね…?
「飲み直しましょう。ここなら酔いつぶれても後は寝るだけですから」
九王沢さんはお酒の用意をしながら言った。ルームサービスも頼んでくれたのか、アイスペールにグラスまで置いてあった。
「まだ、わたしたちのお話は終わっていませんよね?」
それからは本当に色々な話をした。テレビをつけてみたり、他愛もない話をしながら、九王沢さんとずっと話し続けた。焼酎のボトルも買ってきてくれたのだが、飲んだのは彼女と同じお酒だった。
九王沢さんが選んだのは、ウイスキーと並ぶヨーロッパの地酒、真水のように透き通ったジンだ。円筒形のダンジョンに頭から尻尾まではまり込んだドラゴンのロゴ。一八七五年創業のギルビー社のジンだった。
「このデザイン、個人的に好きなんです」
まるでハンドガンの銃把のように無骨で肉厚なガラス瓶のデザインに、九王沢さんは並々ならぬ愛着があるようだった。
ちなみにジンと言えば、近代労働者のお酒だったとされる。
「イギリスでは不道徳の象徴、と言うイメージがありますね」
九王沢さんは悪戯っぽく笑った。
ジンがイギリスに持ち込まれたのは十七世紀に入ってからだ。
安価で製造・入手出来るせいか、永らく貴族階級や表街道を歩く資本家たちからは敬遠されてきた。
マティーニやギムレットなど誰もが知ってるカクテルに使われることでも分かる通り、強いアルコール度数の割に口当たりのいいお酒なのだが、そのポピュラーさが仇になったのだろう。
ちなみにジンはウイスキーと同じ、麦を原料の一つとしている。口にしたとき香る、レモンに近い柑橘系を思わせる匂いは、セイヨウネズの球果によるものらしい。ヨーロッパでは本来、癖の強い
「しかし、かの地ではジンも紛れもない『精霊』のお酒なのです」
アルコールを純化するために余計な不純物を気化させて作った強烈なお酒を、蒸留酒と言うが、英語ではこれにスピリッツと言う表現を使う。spirits,大地に住まう精霊を意味する言葉と同じスペルなのだ。
そもそもラテン語では、『大いなるものの
「そう言えば世界でもっとも多くの文化圏で飲まれているとされるワインも、人が『作った』ものでなくシュメール語で『出来た』が語源と言います」
この辺りは酒に神意が宿るとし、神棚を祭って奉納の文化を固持し、現代科学が発展した今でも酒は神の『授かりもの』であるとする文化を守る日本の酒造りにも通底する。
日本語で酒は、『
そこにある空気や雰囲気を醸し出す、と言う表現としても使われるように、醸す、と言うのは計画通りの完全な製品を、間違いなく産み出す、と言うものでは決してないのだ。
極端なことを言えば、世界中のあらゆる酒は、同じ酒であっても、わたしたち人間のように年々違う顔ぶれが産まれ、その年に産まれたものと全く同一のものは厳密には二度と産まれないと言ってもいいのだ。
「生まれてきたその違いを、これほどに感謝して愛する世界共通の文化は他にないのではないでしょうか」
九王沢さんが言うワインにしても、ボジョレーヌーボーに代表的だが、お酒の原料となる農作物の産地はシーズンには大々的にその年の酒が大地に産まれた感謝祭を行うことになっている。
例えばもし、現代の
どころか、あらゆる文化圏の人間の
人類を超えた人工知能が産み出す、世界で唯一のいわば
人智の及ばぬあらゆる疑問に解答を出してくれる人工知能が誕生したならば、自然現象を
でもこれ、酒飲みとして考えてみれば、これほど寂しい話はないと思う。
「イエスかノーか。不全か、完全か。必要、不要か。わたしたちは果たして、その二元論で全てを決めて本当にいいんでしょうか?」
まるでそれが完全に唯一無二であるかと思えるような美しい眉をひそめ、九王沢さんは僕に、訴えかけるのだ。その言葉は強く、確実に僕の中の不全を溶かしていった。
「わたしたちは相対的に、調和的に考えるからこそ、想像力を発揮させることが出来たんではないでしょうか」
ちなみに当時の厳格なキリスト教の階級社会から飛び出して、日本に大地に住まう精霊の本来の姿を求めてやってきた男が一人いる。
それがラフカディオ・ハーン、日本名は『
のっぺらぼうや、ろくろ首と言った、今では日本人なら誰もが知っている日本の妖怪を生み出した八雲は、大地の精霊が息づくケルト文化の中で産まれた。
この小泉八雲こそが、九王沢さんが日本にやってきた本来の研究の対象なのだと言う。
「八雲にはすでに文字によって学ぶ前から、自分の周りに確かに存在する精霊の姿が見えたと言います」
それが周囲の人との感覚の違いに、ただただ戸惑う思春期を過ごさせたようだ。
プロテスタントにして軍医少佐だった父と、地元でギリシャ人系の名士だった母親に育てられたハーンは地元で有力な神学校に入学させられ、生まれ持ったその感性を尊重されるどころか強制的に矯正されそうになったのだ。
ちなみに彼が名乗ったラフカディオ、と言う名前はファーストネームではなく、生地だったレフカダ島から採られたものだったのだが、キリスト教の聖人になぞらえてつけられた、パトリックと言う本名を彼は生涯、忌避したためだとされる。
無論、それほどに躍起になってキリスト教そのものを否定したのではない。彼は自分の生まれた感性にあった地霊を愛し、求めたがこそゆえ、いわば本能的に日本に渡ったのだ。
「神学校から逃げ出した彼は考え続けます。那智さんが話してくれた、ゴッホのように。自分が生きるに適した場所を求めに求め続けて、彼はついに江戸期からの迷信の闇がまだ冷めやらぬ、明治の日本にたどり着くのです」
「この日本には、私が幼い頃にみた精霊たちがいる」
八雲はことごとに、周囲の人にその感動を語ったと言う。
自分は白人など見たことない日本人の農民たちに、本当は化け狐で、裸になったら尻尾が生えてるんじゃないか、とまで疑われ、入浴までのぞかれてなお、である。
「ケルトの自然信仰と、日本の古神道には共通点があります。彼らはいずれも今ある自然の風景を愛するばかりではなく、自分が気に入った風景を、手をつけずに尊重しますよね?」
近代世界の植民地主義を反映し、偶像崇拝の気配さえまとった神道の本来は、ごく素朴で単純な
それは例えば今の僕たちで言えば、気に入った風景を写メしてずっと保存しておきたくなるようなごく分かりやすい感動から発生したものなのか。
つまり洋の東西を問わない、古き信仰の風韻とは。
他を圧する征服理論を持たず、いたずらに唯物偶像主義を主張せず、世界が相対的に在ることを望む、人類がお互いに自分が住まうのと違う世界を認知し、相対的に考えたからこそ獲得した平和への祈りなのではないか、と九王沢さんは言う。
「古神道の考え方は違う宗教世界の違う行為にこめられた同じ祈りへも、つながると思います。鹿児島、出雲、熊野、奈良、まだ、それと知られた地ばかりですが、わたしは日本の人がそれと尊重する、愛された神の宿る風景がある場所に行きました」
九王沢さんが言ってるのは僕たちの間でも話題のパワースポットと言われる場所ばかりだが、本来地霊の住まう土地は、日本のそちこちにある。
日本の田舎家が点在する区画の一角、地元で管理を任された宮司や有志の人たちが、季節のことごとの行事の中で清げに保ってきた、それこそが本邦の精霊が住まう場所なのだ。
そこにあるのは数百年年経た森の大木、または河川の痕、そして僕たちが生きる世界を途絶さえさせる河岸を象徴する大きな海に臨む岬の風景。
「そこへ行って思いました。旅行に行って携帯の写メやデジカメで風景を撮る人って、海外共通ですよね。わたしたちは皆昔からそうやって、そういう場所に出会ったら気に入った風景を必死で心に保存しておくんです。
古くからあった信仰のやり方でも、その場で思って構えたカメラや写メでも。方法は違えど、気持ちの出発点は、同じことではないしょうか。
わたしたちが気持ちを留めるのは、何らかの形でそこに気持ちを『とっておく』ことで実現するのです。なぜなら愛することで、そこに自分が生きている、これから生きるわたしたちの人生への祈りがこめられているから」
九王沢さんは自信たっぷりに言う。
「だからこそ、わたしたちは
ここまで話した時点で、すでに午前二時を回っていた。眠らない開港、横浜と言えど、今は束の間の静寂に沈む時間帯だ。
それでも全く眠気を帯びない僕たちは、まだずっと話し続けていた。
話の跡切れに気まぐれな静寂が訪れるのを恐れるまでもなく、お互いの下手な気遣いが、相手の気持ちを
そうして僕たちは、どちらからともなく、言語で表しがたい共感を、言語によって結びつけようとしていた。
午前三時になろうとするときだ。
「わたしそろそろ、那智さん自身の、本当のことが聞きたいんです」
ついに言うと九王沢さんは僕にあの小冊子を預けてきた。僕の最低の駄作、『ランズエンド』が掲載されたあの会報誌だ。
「これ…」
さすがに尻込みした。
僕はちゃんと、こいつと向き合って九王沢さんと話が出来るのか。
今もって判らない。
確かにまだそこにあるはずの気持ちと言葉の容量への不均衡を、僕ははっきりとまだ心の中に感じてはいた。
でもそれは不思議なことに、折角ここまで寄り添ってくれた九王沢さんを前にしたなら、その提案を蹴るほどに、不可解でいて頼りないものではなくなってきているのだ。
僕は即座に決意した。
(話そう)
それしかない。
いやむしろ、僕は語りながらでこそ、九王沢さんと向き合わなくちゃならないのだ。
論理と直感を積み重ねて、地の果てから。
こんなていたらくの僕にまでたどり着いた、九王沢さんのために。
「じゃあ、まず、二人で読み合わせをしましょうか。いつもする、サークルの合評会みたいに」
初めからそのつもりで用意してきたのか、手提げの中から九王沢さんはいそいそと同じ一冊を取り出す。それから本当に嬉しそうに身震いすると僕の隣に座りこんだ。そこはベッドの傍、カーペットの上のほんの狭いスペースだ。
テキストを持つ自分の肩越しに、九王沢さんの存在が確かにあることを感じ、思わずそれが信じられないように見返すと、彼女はその驚愕ごと受け止めようとするように、ふんわりと笑った。
「読みましょう」
そんな九王沢さんに言われて。
僕は実際はそこに存在しない、二度と開くことはないはずのないその一ページ目を、心の中で開いたのだ。
全く、何から何まで九王沢さんの言う通りだった。
この世ならぬ
今、そこへもう一度。
僕はもう一度、物語をこころみた。
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