第7話

「那智さん、那智さん」


 そんなことを考えながら一緒にクリスマスイルミネーションを見ていると、ふいに九王沢さんが改まって言ったので、僕は途端に身構えた。


「どうかしたの」

「那智さんの男性としてのご意見をうかがいたのですが」

 あ、また何か思いついた顔だ。

「ちょっとあそこを見て下さい。カップルさんがいらっしゃいますよね」

「うん…いるね」


 レンガ街の海岸端はベンチが置かれていて、休憩スペースになっている。当然カップルの姿も多いのだが、その中に背の小さなポニーテールの女の子を連れている組み合わせがあったのだ。まだ高校生だろうか、少し背の高い彼氏と腕を組んで楽しそうに笑っている。


 九王沢さんはそれを、サバンナの夜行性動物を暗視するときのような真剣な表情で見ると、


「あちらの女性の方はどうでしょうか?」

「どう、って普通にいいんじゃないかと思うけど」

 九王沢さんにはもちろん劣るが、表情が豊かで親しみやすい感じの子だ。

「容姿はいかがですか?年齢は?体型は?那智さんの好みに合いますか」

「いやだから、かわいいんじゃない?」


 と、言ってから僕は気がついた。そうださっきの話の続きだ。今度は人間の側から何か話するとか言ってたような。そう思って言葉を待っていると、九王沢さんは途端に愕然とした表情を作り、


「ひどいっ、わたっ、わたしと言うものがありにゃがら!」

「ちょっと待て今それ、言いたかっただけだろ!」

 どんな誘導尋問だよ!?て言うか今、セリフ噛んだし!

「すみませんっ。そろそろ対外的にも、いかにもな恋人トークが必要なのではないか、と思いましてっ」


 と、さっきまで人工知能と人間の感性と近代英国文学の関連について縦横無尽に語っていた同じ口が言う。なんて油断ならない人だ。


「ふっ、不安なんです。もしかして、やっぱりうんざりされたかな、とついつい思ってしまい。…わたし、誰とお話ししてもこんな感じなんです。依田さんにも言われました。男の子はみんな、わたしと話すとき、そんな話題は全然望んでいないんだよって」

「そ、そんなことはないよ」


 ってすぐ言いたかったが、白状します。確かにごめんなさい。さっきまで初めて間近で見る九王沢さん神級にかわいいと言うことと、Hカップのことしか考えてませんでした。


「遠慮しないで正直に言って下さい。わたし、那智さんを振り回していませんか?」


 うわっ、上目遣いだよ。しかもこんな近くで。なんでこの子は、意識しようがしまいが、僕をどきどきさせようとするのだろう。


「正直に言っていいの?」

「はい、わたしのためになりませんから」


 僕は、考えた。この子、良くも悪くも真っ直ぐ過ぎるのだ。純粋培養な癖に、下手に相手の懐に飛び込む度胸があるからこっちは戸惑ってしまう。どうしよう。


「じゃあね、言う。すっごい戸惑った。九王沢さんがいちいち予想外で面倒で。でもね」

 でもねを言う前に、ひっ、と泣きそうな顔を九王沢さんはした。大丈夫?

「だっ、大丈夫です。続きを」

「分かった。じゃ、無修正で話すね。…正直、予想外でびっくりしたけど、結構納得したんだ。あれっ九王沢さんてこんな子だったんだなあって。


 九王沢さんのこと、さっき僕は好きだって言ったけど、本当に何も知らない。

 まあ依田ちゃんいるけど、結構会って話したりしてるのに、どんな子だか見た目以外は全然予想もつかなかった。


 それでもさ、さっき会うまではそんなことすら考えてなかったんだ。なのにどうして君を好きだって言えたんだろう。予想外だ、めんどい、なんて言えたんだろう?」


 九王沢さんは僕が話すのを、真剣な表情で聞いていた。


「思うんだけど人はさ、誰かに好意を持った時、自分に都合いいとこばっかり見るんだ。こんなかわいい子、彼女にしたらおれすっげえ、とか、わたしのこと気遣ってくれる、一緒にいて安心だから、わたしに優しいから好き、とか。


 でもそれ実は、相手そのもののことじゃなくてただの自分サイドの都合なんだよね。九王沢さん、心理学でやるでしょ。生物は、自分の周囲の環境から自分に都合のいいものだけを抜きだしてみる性質があるって」

「『環境の利用可能性』…のことですか」

 半泣きでもさすがに九王沢さん、即答した。

「そう。でもこれ生物の本能だから、どうしようもない。だって自分は絶対に他人になれないから。だからさっき九王沢さん、自分が僕を振り回してませんか、って聞いたんだよね?」

「はい。わたし、那智さんの都合も考えず、一方的に話したいことを一気にお話ししてしまいました…」

「じゃあ、僕もごめん。正直、九王沢さんみたいなかわいい女の子とデート出来たらすっげえな自慢できるなくらいの感じで、さっきまで付き合ってました」


 僕が手のひらを合わせて、九王沢さんにぺこりと謝ると、彼女、きょとんとしていた。


「どう?つまり僕たちはさっきまで、お互いがお互い、自分が利用できる部分だけ見て、相手を利用し合っていただけなんだ。でもさ、それってちゃんと分かってたら、全然悪いことじゃないんだよ。どうだった?九王沢さんはそんな僕とそうやってデートして話してて。退屈じゃなかった?」


 九王沢さんは、はっとした表情をした後、またアニメキャラみたいに水平に首を振った。


「いえ、全っ然!今までの人生で一番、楽しかったです」

 それだ。それが訊きたかったのだ。平静を装いつつ、僕は微笑んだ。

「じゃあ、僕も楽しかった。さっき思ったんだ。九王沢さんて、僕が思ってるより、ずっーと、『興味深い』って」


 生物にとって環境は、利用されるものだ。それが例え、自分と同じ別の個体であっても同様なのである。


 九王沢さんの天使な笑顔に癒されつつ、心なしかさっきより近い距離感の身体を感じながら関内駅周辺を歩いているとして、ここで男なら感じることはただ一つだ。


 やれるのか。


 ごめんなさい、最低である。でもさ、それ考えないの男として無理。こんなに密着されて、それが好きな女の子のHカップだと感じ始めちゃったら、もっと無理だ。出来ることならその面で目いっぱい、九王沢さんを利用してみたい。


 仕事帰りのサラリーマンさんで溢れる関内の中心で、


「やらせてください!!」


 と、愛より欲望を叫びたい衝動に駆られる下衆ゲスの極みな僕だった。まだお仕事中の皆さんごめんなさい。


「そろそろお酒が飲めるところに行きましょう。那智さん、どこがいいですか?」


 ううん、そりゃ横浜湾の夜景が一望できるラウンジとかお洒落なバーとか調べてきたけど。いや、九王沢さんならきっとこう言うだろう。


「駅近のビルの中に串焼き屋さんがあるんだけど」

「はいっ、そこ絶対行きたいです!」

 ほらね。

「那智さん、今日はこの後、ご都合はありますか?例えば課題とか門限とか」

「どっちも大丈夫だけど」

 いや、門限はそもそもないですよ、男だし独り暮らしだし。

「それなら、もっともっと、お話出来ますね。あ、今日は泥酔しても大丈夫です。わたし、ちゃんと、那智さんのためにお部屋をとっておきましたから」

「えっ」


 九王沢さんが、自分から、部屋を、とってある、だってえ!?

 想定パターンにない極限状況に判断を放棄し、僕は人工知能のように硬直した。

 だって鴨がばっちりネギを背負ってやってきてたなんて。いやいやそうじゃなくて。


「嘘でしょ?この辺のホテル?」

「はい、那智さん、酔うとひどいから面倒みてあげてって、依田さんが言うので」

 依田ちゃんナイス!!ごく自然にホテルへ誘う手間が省けるなんて。ここへ来てなんつうミラクルファインプレーだ。

「それに…」

 と、九王沢さんはそこまで言うと、なぜか暗い顔で口ごもった。どうしたの?

「あんないいお話頂いた後で、こっ、こんなこと本当は言いたくなかったんですけど、依田さんから那智さんの目的、を聞いていたので。…でも、わたし那智さんのこと好きですし、もっと知りたいですから。わたしが出来る範囲で理解はしてあげたいと思うんです」

「どう言うこと?」

 依田ちゃんが何か言ったのだろうか。心当たりがなさすぎて僕は首を傾げた。

「…那智さんは、性的にやりたい放題だから気をつけろって。ヨーロッパでも昔から性的に倒錯されている作家さんの作品は多いので、文献上は理解が出来るんですがわたし、まだその、実際の男性経験がないもので。だからもしあの…そう言うことを、したくなっちゃったら遠慮なく言って下さい。お話だけは、聞いてあげられると思いますから…」


 ここへ来て、あの九王沢さんのドン引きを僕は初めて見てしまった。い、いやそれ違うからね!?


「九王沢さん、冷静に聞いて。それはね、あの、別の先輩の話!九王沢さんも会ったことあるでしょ!別の先輩の話、なんだけど…」

 と、僕は必死に弁解を試みたが、九王沢さんは全然話も聞いてくれない。

「わっ、分かってます。わたしの性が那智さんに比べればまだまだコドモなの、分かってますから!」


 そんな言い訳、このリアル聖処女な九王沢さんに通用するはずないじゃん。

 台無しだよ。依田め、やってくれたな!!


「那智さん、見て下さいっ!ここにも、またあのスイッチが!あ…わたし、お飲物の注文うかがいますね!」


 じゃ、ビールの人。っていないからね今、ここ二人しか。


 気を取り直して再び、ご満悦の九王沢さんである。


 ここは、横浜湾が一望できるラウンジが最上階にあるビルの二階、サラリーマン御用達の串焼きダイニングバーだ。


 お馴染み黒塗装の木製バーカウンターや畳のあるお座敷ブースや個室まであるこのお店は、スウィングジャズとかが流れる都内でもどこにでもある飲み屋さんであり、ぶっちゃけ観光客が横浜にまで行って入るようなお店でもない。


 だが九王沢さんにとっては欲しいものがみんな揃った、まさに鉄板なお店なのである。


「焼き鶏の盛り合わせは頼みましたから…あとはこのナスの一夜漬けと、合鴨のロースト冷製盛りと、川エビの唐揚げと、かれいの姿揚げを頼みましょうか。那智さんは、ビールの後はすぐ焼酎ですよね。ここ、麦もお米もおそばも芋もありますよ?」

「う、うん。後でどれにするかは考えるから」


 今さら気づいた。この子、食べるのが好きなんじゃない。頼むのが好きなんだ。と言うことは、これ食べるの全部僕?


 ちなみに九王沢さんだが、さすが洋酒党だ。ビールで乾杯の後はサワー類など頼まず、いきなりワインやウイスキーのレパートリーを物色する。


「九王沢さんもお酒、大丈夫なんだよね?」

「はい、スコットランドで、蒸留所を経営している叔父がいますから。ワインやウイスキーなどは、昔からよく」


 ちなみにイギリスでは、一人でお酒を購入して飲んでいい年齢は十八歳からなのだそうだ。しかし保護者の同伴があれば十六歳からパブで飲めるし、さらに両親の同意があれば五歳以上の子は家でお酒を飲んでいいと言うお国柄なのだ。


 酔い潰し作戦が通用しないわけだ。て言うか、本場スコットランドに蒸留所を経営してる親戚がいるって、どんな家!?

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