第4話

 興味深いから好きですって。

 人生、二十年ちょい生きてきた。

 告白したし、こう言うと依田ちゃんは眉をひそめるけど、一応その逆だってあった。だがそんなアプローチの仕方は初体験だ。


 ともあれまずはみなとみらい線を降りて、赤レンガ倉庫街まで海辺を歩くデートコースを選んだ。風があって結構寒かったし、クリスマスで人手も多かったが、歩いて回るのも悪くない。


 外へ出ると九王沢さんはそれが当たり前だと言うように、ぴったりと僕の左腕に巻きついて身体を寄せてきた。


 そのとき、ふわりと香るのはアップルミントかシトラスか、とにかくよく判らないが果実系の甘い、恐ろしくいい匂い。シャンプーだと思う。どきっとしたなんてもんじゃない。


 しかも心なしか生のままのそれじゃなく、ややミルクがかった円い香りが混じっているのがポイントだ。さすがは英国系クォーターだ。間違いなく九王沢さんの身体からは、自前でマイナスイオンのミストが出ている。


 ではちっとも落ち着かないのはなぜだろう。分かった、肘のあたりにふよふよ当たってくるHカップのせいだ。


「と、ところで」


 よし、と意を決した後で、なぜか九王沢さんはおもむろに話を切り出した。なに?その言葉を口にする前、小さい声で、よしっ、て言った気がしたけど。


「那智さん、わたしのこといつも九王沢さんって呼びますよね。もしかしてわたしの下の名前、ご存じありませんか?」

「えっ、知ってるよ。サークルの先輩だし、チェックしないわけないだろ。うちが代々カトリックなんでしょ。だからお父さんが聖書の中から日本人でも、外国人でも両方通用しそうな名前択んだって言ってたけど。確か」

 するとなぜか九王沢さんは、途端に切なそうな顔になった。え、待って。まずかった?

「…知らないパターンでお願いします」

 ええっ、知ってるし。でも本人の希望だからしょうがない。

「ご、ごめんね。知らなくて。…な、なんだっけかなあ」

「ヒントを出します」

 これが言いたかったんだと言う顔で、九王沢さんは言った。

「高速道路に関係あります。途中にあるやつです」

「いや、だから聖書でしょ」

 娘に道路関係の名前つけるって、日本の議員でもいないぞ。

「知らないパターンでお願いします」

「わっ、判らない。ごめんね、本当にダメな先輩で」


 そしていよいよ何か決め台詞を言うのかな、と思ってたら、九王沢さんはますます悲しい顔に。なにこれ!?僕が悪いの?


「だから、慧里亜エリアさんでしょ。確かElijah、キリストが磔刑に架けられたとき、助けを呼んだ預言者さんの名前からとったとかって依田ちゃんが言ってた」


 うちの文芸部員は気になったことは大体調べるので、慧里亜さんのエリアが何者かは、皆が知ってる。接点少なくても九王沢さんと話せる唯一の話題の一つだ。


 ちなみにエリアと言えば旧約聖書ではモーゼ以来と言われ、キリストが登場するまではもっとも再来を待たれていたと言う大預言者の名前だ。すっげえ。


 しかしそこで九王沢さんは、蚊の鳴くような声で抗議した。


「なんで先に正解言っちゃうんですか…」

「だって何か言うの待ってたけど、何も言わないから…」

 九王沢さんは愕然とした後、なぜか震える拳を握りしめ、決然とした表情で言った。

「くっ、九王沢インターチェンジサービスエリア!」

「それが言いたかったの!?何それ、どんな会話!?」

 九王沢さんだと言うことも忘れ、僕は思わず突っ込んでいた。

「わたし、那智さんと、依田さんが話してるのみてて、ずっと憧れていたんです。まったく打ち合わせもせず、なぜあれほど素晴らしい言葉のやり取りが出来るのかと。ですからわたしもお二人のように、切れがあって、ライブ感ある、そんなスリルと機智に富んだ会話がしたいんです。絶対やってみたかったんです」

「あれさ、別にそんな高尚なもんじゃないから」


 依田ちゃん辺りだと女の子だからと言う、遠慮も会釈もない。男友達とじゃれてるようなもんだ。


「えっと、じゃあ、とりあえず突っ込めばいいのかな」

「そうです。さっきのパスから何か返してください」


 いや、こんなに間空いちゃったし、ぐだぐだだし、なんて突っ込めばいいんだ。


「温泉とか出てそうだよね…」

 九王沢さんはシェイクスピア悲劇のヒロインみたいな顔をした。やっぱだめだよ。

「…やはり、わたし程度の実力では無理なのでしょうか。まだわたしごときでは、依田さんみたいに那智さんの感性を余すところなく引き出せないのでしょうか。今のわたしに、足りないものって何なんでしょうか…」

 九王沢さんは切なそうに綺麗すぎる顔を歪める。いや、それそんな悩むこと?

「でもわたし、がんばりたいんです。今日はそう思って来ました…」

「そう思って来ちゃったんだ…」

 本当にこれデートなのか?

「わたし、どうしても諦めたくないんです。那智さんにもっと突っ込んでほしいんです。…那智さん、依田さんとあんなにしてるのに、わたしとは出来ないんですか?」

「いやそれは…」

 そんな切ない目で見ないで。勘違いしちゃうじゃないか。

「今日は沢山、お時間を頂きました。わたし、少しでも満足して頂けるよう、もっとがんばります。初めてだからなんて言い訳、したくないんです。ちゃんと、教えてください。だから那智さん、今日はわたしにいっぱい突っ込んでください!」


 これ、ワシントンホテルの近くだった。


 当然、そこにいたカップルや家族連れが全員怪訝そうな顔で振り向いた。誰ひとり、ボケと突っ込みの方だと思わなかったに違いない。


 端目には完全に、僕は依田ちゃんと二股かけて、経験のない自分の彼女にホテルの前で淫語いんごを叫ばせてる、最低な彼氏だった。


 しかしこれで分かった。九王沢さんが僕をデートに誘ったのは、いわゆる別の意味で僕に突っ込んでほしかったからなのだ。依田め、だましやがって。何がラストまでコースだ。本当はこれ、知っててわざと焚きつけたんじゃないだろな。


 にしても、さすがは、難攻不落を誇る九王沢さんだ。大坂城や小田原城など目じゃない。数多の城攻め巧者が、突破できなかった理由がしたくもないのに痛感できる。


 ちなみにケースその二。


「無理だ…あんなの、あんなの、おれらの手に負えねえよ…」


 と、涙を呑んでつぶやいたのは同級生の天野だ。


 いわゆる合コンで女性を落とすことに人生を賭けているパーティ系肉食男子この男は、最近までやくざのヒモに追いかけられて雲隠れしていたほどの使い手だ。


 実家は北海道の乾物屋である。乾物屋で決して悪くはないが、五十嵐先輩と違って出自はあまりアピールポイントにならない。


 さらに言えば実は自分で言うほどルックスも良くない。そのため出席を取るような授業にはまったく出ず、軍資金稼ぎのバイトに日々奔走している。


 そんな彼が、これほどまでの地位に昇りつめた秘訣は、ひとえに合コンのセッティング力なのだ。


 とにかくお持ち帰りが主眼と言う、分かりやすいやりコン一直線の天野の合コンには、同じ目をした狼たちが毎回集まるようになっている。


 毛並みのいい有名医大生からイケメン留学生、モデル、さらにはまだあまりテレビに出てないけどイケメンな若手芸能人すらが顔を出すと言う噂もあると言う。


 この天野、構内で九王沢さんに目をつけ、そこから文芸部の部室に入ったのを見て、普段ほとんど接点のない同級生の僕に伝手つてを見つけたと言うからものすごい追跡力だ。


 僕の方は突然、話しかけられもしない人に話しかけられたのでびっくりしたくらいだ。今後はその情熱をぜひ社会の役に立つ方向に向けて、頑張って頂きたい。


 ちなみにそんな狼の巣へ好奇心だけで飛び込んだ、果敢過ぎる九王沢さんだが。

 これが全然無事に帰ってきたと言う。それで先の敗退宣言につながるわけだ。


 問題は、お持ち帰り以外では帰れない魔窟から、九王沢さんはどうやって無傷で生還したのかと言うことだが。


 ちなみに天野は、近年稀に見る大物の到来を前に鉄壁の布陣を構えて待ち構えていた。スポーツ系、アイドル系のイケメン男子から、九王沢さんに話が合いそうな教養溢れる医大生、三ヶ国語話せる留学生までとよりどりみどりだ。


 実際九王沢さんはそうした人たちと楽しくおしゃべりしたと言う。天野が揃えた中ではやはり教養チームがぐいぐいやってきて、かなり専門的な話などもしながら、時間はどんどん経っていったらしい。ちなみに開始から、他の女の子はいないも同然だ。


 もちろん言うまでもないが、ここにいる男子の目的は九王沢さんを酔わせることである。当然、教養溢れる専門的な話は九王沢さんの席を立たせないためだけなので、別に何にも意味はない。むしろそう言うの、早く理解できなくなって欲しいのだ。


 しかし九王沢さんはさっぱり酔わなかった。彼女的にはそれどころじゃなかったのだ。


 むしろ話が合いそうな人たちに囲まれてスイッチが入ってしまったのか、談論風発、議論になると熱が入って目がらんらんとし、専攻の欧米文学のみならず宗教学、文化人類学、心理学、歴史学、果ては古今の医学や美術史芸術論に至るまで縦横無尽に語り出し、むしろ一向に泥酔する気配がなかった。


 そんな調子だから元々無理くり話に付き合ってる、イケメンたちはみるみるげんなりした。


 結局、お酒に目薬を入れてみるなどかなり卑劣な手も使ったらしいが、九王沢さんにはまるで効果がなかったと言う。ラスプーチンみたいな女の子だ。


「つ、次のお店に行こうか」


 しかも顔の引きつったイケメンたちが半ばうんざりしながら、お店の出口までしっかりした足取りの九王沢さんをエスコートしているとだ。


我がいとしのアモーレ・ミオ・エリア!」


 謎の外国人が馬鹿でかい声で話しかけてきた。みんな驚いたが肝心の九王沢さんは声を上げその人と、嬉しそうにハグしている。天野たちはぽかんである。そんなイケメンたちを尻目に、九王沢さんはその外国人とイタリア語で話している。もちろんぺらぺらだ。


「恩師です。昔、ヴァイオリンを教えて頂きました」

「ああっ!」

 と、教養溢れる誰かが叫んだ。知ってる顔らしかった。


 ちなみにその濃ゆい顔のイタリア人は、十年ぶりぐらいに来日したその道での世界的巨匠だったそうだ。


 これが気難しい、扱いにくい、怖い、の三拍子揃った巨匠らしいのだが、そんな人が信じられないくらいの満面の笑みで、


「なんてことだ!こんなところで会えるとは、私は本当に幸運だ。神が与えたもうた奇蹟だ。ああ麗しいエリア、また君に会えて私は一日に二度、この美しい日本の太陽を浴びた気分だよ。妻も君に逢いたがってる。娘も来てるんだ。すぐそこのホテルだ。さあ、行こう。すぐに行こう」


 とか本場のイタリアンナンパトークで、ぐいいぐい手を引っ張ってくるので、九王沢さんも断り兼ねたらしく自分の会費をさっさと払うと、


「すみません。皆様これで失礼します」


 あわただしく、そのおじさんの迎えの車に乗って居なくなったと言う。誰も引き留める間もなかった。まさに完敗である。


「つーか巨匠ヴァイオリニストのイタリア人にお持ち帰りされたなんて、合コンのネタにもなりゃしねえよ!」


 まったく、なんってひどいオチだ。


 だめだ。これまでの玉砕例を振り返っていると、自分はそれ以上の痛手を被る気がしてきた。いや、僕的にはだめでもいいんだけど。後日からの依田ちゃんの、人格否定につながりそうなほどのバッシングとパワハラが怖い。


 腕組んで歩いていると余計、切なくなってくる。僕たちは、なんだかカップルを装って潜入してるみたいだ。この、後ろめたい気分。思わずぼやきたくもなる。


「こうしてると、本当の恋人同士みたいなのにな…」

「えっ…」


 すると、九王沢さんは突然身体を離すと、はっとしたような顔で、僕に言った。


「わたしたち、もう本当の恋人同士、じゃなかったんですか…?」


 その切ない視線で僕の中の時間が数秒、停まった。待て冷静に考えろ。例えば孤独な数字、一とその数でしか割れない素数とかを数えながら。三、五、七…よし、理性を保てた。


「…それ、もしかしてネタじゃないよね?」

「ネタでした、すいません…」

 ネタなのかよ!?

「でも、こうやってデートして、那智さんと二人きりでお話が出来るのは嬉しいです。それは本当です」

「そ、そう」

「依田さんがいたら、わたし、那智さんに突っ込んでもらえないじゃないですか。だから今日はいっぱいわたしとお話しして、沢山突っ込んでください。その代わり、那智さんの行きたいとこどこでも着いていきますから」

「僕の行きたいところ…?」


 ラブホ?じゃない、家だ。家に帰りたくなった。依田ちゃんの言うゴールでもなんでもなく。今、一番行きたい場所は一人で閉じこもれる場所だった。


「わたし、ずっと憧れだったんです。依田さんみたいに、那智さんと二人、仲良くお話出来ることが」

「そっか」


 でもそれ、恋人にならなくても出来るよね、と言う言葉をあわてて呑み込んだ。


 なぜならその後で九王沢さんが、僕に聞こえないようにそっとつぶやいたのを、ちらりと聞いてしまったからだ。気のせいじゃなかったら、彼女はこう言っていた。


「…今はわたしだけ、わたしだけの那智さんだ…」

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