第3話

「那智さん、那智さん」


 九王沢さんの声がやけに近くですると思って顔を上げて、僕は驚愕した。いつの間にか近いのだ。何って、顔が。気づくと九王沢さんの奇蹟みたいに綺麗な顔が、僕の視界のすべてになっている。


「わっ、わっ、なに九王沢さん!?」


 それだけで僕はパニックだ。遠目でも中々直視できないのに、近いのは反則だ。


「あっ、ごっ、ごめんなさい!その…さっきから何もお話ししてくれないので、退屈されているのかと。あの…本当にわたしで良かったのでしょうか?」


 良かったどころの騒ぎじゃない。こっちは、想定外の幸運が舞い込んで、むしろ頭の中整理しないとカオス無限大なのだ。


 ちなみにデートをセッティングしたのは、後輩の依田よだちゃん、と言う女の子だ。


 別に見た目は男っぽくはないのだが、男みたいにさばさばしているのでめんどいことがなく、大体いつもつるんでいる。


 それがどんな特殊能力を持っているのか、あろうことか、九王沢さんをこの、まともに活動してるとも知れないエセ文学サークルに入れた張本人なのだ。


 その子が、

「先輩、クリスマス予定とか入ってます?デートしましょうよ」

 とか、さらっと誘ってくるので、ああどうせ納会のうかい前に暇な連中でどっかぶらぶらしようと言ういつもの誘いだろ、と思って、

「いいよ。じゃあ、何時にどこ集まる?」

 と軽く言ったのが、今思えば運命の分岐点。おもむろに携帯を取り出した依田ちゃん、何を言うのかと思いきや。

「あたし。うん、OKだって。良かったね九王沢さん」

「くっ、くくくっ九王沢さん!?」

 お前じゃないのかよ!?

「あたしのわけないでしょ。馬鹿じゃないですか?」

 僕の突っ込みに依田ちゃんは思いっきり眉をひそめて、

「押しも押されぬ立派な彼氏持ちのあたしが、何が悲しくて、先輩とクリスマスの貴重な時間を浪費しなきゃいけないんですか?先輩と遊ぶのは本当に暇なときだけです。そこは分かって頂かないと」

「お前、何だかんだでいつも僕らについてくるよね…」

 大抵暇なんじゃないか。

「て言うか先輩、あの九王沢さんと二人きりでデートがそんなに不満ですか?」


 あの九王沢さんと二人きりでデート。その言葉が出た瞬間、紛れもない周囲の殺意と敵意に満ちた目が、僕の全身に突き刺さった。視線が弾丸なら蜂の巣と言う例のあれである。


 恐らく日本のほとんどの男が、デートしようと思っても出来ない超優良物件と、頼んだわけでもないのにクリスマスデートなのだ。いや、いいよ。いいんだけどね。


「もっと、穏便なやり方はなかったのか…」

「あたし、エージェントですから。依頼された交渉はここまで。不満があるなら、直接当事者間で、解決を図ってください。さっきから、そこで見てますから」


 えっ。すると携帯を持って、依田ちゃんをリモートコントロールしていた九王沢さんが、壁からおずおず姿を現したのだ。


 それを見たら、断れなかった。断り切れなかった。たとえ、五十嵐先輩のような目に遭うとしても。あんなかわいい女の子が、捨て犬の目をして僕を見ていたら。


 あのとき身の程知らずにも、捨て犬の情にほだされたお蔭で、今の僕はしどろもどろである。


「ああっごめん!その…うかつに話しかけられないって言うか、なんて言うか。でも絶対退屈じゃないから!退屈なんてしてないから!」


 とにかくこの、デートしてて感じたことのない緊張感だけ、何とかして欲しい。

 に、しても納会行く連中は昼間っから誰かのうちでだらだら飲んでるんだろうな。いいなあ。


 しかし依田ちゃん、自分はエージェントとか言ってる割に、仕切りは強引だった。


「あ、先輩納会来なくていいですから。先方はマンツーマンでラストまでコース希望なんで、それでお願いします」

「ラストまでコースですか…」

 依田ちゃんの言葉を反芻していて、僕は気づいた。ん、ラストまで?

「ラストだってえっ!?ラストってなによ!?」

「うるさいなあ。ラストっつったらラストまでです。言っときますが、先方はかなりその気です。後は先輩の腕次第、昼と夜の頑張り次第にかかっています」

「いやっ…(絶句)昼はまだいいけど夜は自信が…」

 と、言う僕の口を依田ちゃんは強引に塞ぐ。

「見りゃあ分かります。先輩がもさっとしつつぼさっとしてて気が利かなくておまけに天文学的にもてなくて夜の経験がないのは、あたしにもよく分かってます。だから心配でここまで御膳だてしてあげたんです。あくまで、九王沢さんのためです。男なら、ばしっと決めて下さいよ。最初に言っときますけど九王沢さんをがっかりさせると、あたしまで敵に回しますからね?」

 依田ちゃん、目がマジだった。

 エージェントの脅迫つきクリスマスデート。

 そうかこの緊張感は依田ちゃんのせいだったのか。


「あ、来ましたよ。お昼、食べましょう」


 ファミレスのメニューがどっさり到着する。九王沢さんは、宝の山を見つけた子供みたいな目だ。


 ちなみに待ち合わせしたのは、横浜だ。


 この日に備えておしゃれで話題なお店とか、中華街の名店とか一応調べて来たのだが、九王沢さんは断固ファミレスを譲らなかった。下手に名店とか行くと、世界的に著名な知り合いにあったり、VIPルームに通されたりするからだろうか。


「キャンパスの近くに、ありますよね。那智さん、たまに、依田さんたちと集まって色々話してるの見てたから、一度入ってみたかったんです。いつも、皆さんでどんなお話してるんですか?」

「うん、まあそろそろ納会の話とか、会報誌の相談とかしなきゃだしね」

 それ以外には、ほとんど内容がないのが内容と言う感じだ。

「冬の会報誌にも、何か書かれるんですよね?今、どんな原稿書いてるんですか?」

「う、うんまあ適当に短編を」


 僕が書くのはどうせ、ページを埋めるための間に合わせだ。こう言うサークル文芸誌って、みんな最初は書く気まんまんなんだけど、蓋を開けてみると書き上げるとこまで行く人が実に少なく、結局は同じ顔ぶれが似たようなことを、書く羽目になってしまう。


 まあ最初に講評会くらいはするけど、作ってもほとんど誰も読まないのはそのせいだ。だから打ち合わせ段階からぐだっぐだなのである。と、お茶を濁してて、僕は気づいた。そう言えば、九王沢さん僕の原稿なんか読んでたのか。


「部室にいっぱい置いてありましたから。那智さんの小説、わたし好きなんです」


 と言われて正直、飲みかけた水を吐きそうになった。


 いや、それリップサービスだろ。なにしろ相手はパーシーだ。


 しかし九王沢さんはぞっとするほど邪気のない笑みを僕に向けると、手提げの中から前回の会報誌を取り出す。その時点で僕はめまいがした。それ、ここ最近で一番やっちゃった作品を書いたやつだ。


「これ、ここへ来る間、何度も読んでたんです。那智さんの文章って、見通しが良くて入ってきやすいですよね。人物の造形にも癖がないし、わたしみたいにあまりこの国に慣れてない人にもよく判り易いです」

 と、傷口に塩をすりこむ九王沢さん。

「皆みたいにさ、平坦で内容がなくて、盛り上がりに欠けるって言っていいんだよ…」

「なんてことを。そんなこと誰が言うんですか。そう言う方がいたら、わたしがきちんとお話します。なんの問題もありません」


 問題だらけだ。九王沢さんとデートした上にそんなことされた日には、僕は本格的に友達を失くすだろう。


「と、ところで九王沢さんさ、なんで僕なのかなあ。正直、あんまりお話したことないよね?」

「ありますよ。とても意義のある会話ばかりでした。お忘れですか。歓迎会で一回、依田さんの寮の近くで一回、前期の納会と講評会で二回ずつ」

 うん、まったく記憶にない。酒が入ってたからだろうか。

「あ…泥酔もありました。依田さんと二人、駅まで連れて行ったんですけど、那智さん、子供みたいになっちゃってボク帰りたくないって言いだしまして。仕方なく二人で漫画喫茶のブースに押し込んで大声でミスチルを朗唱する先輩を依田さんが力づくで黙らせて。それからはわたしが、おねむになるまで子守唄歌ってあげて」

「それっ、うわあああっ」


 かすかに憶えてる。その後依田ちゃん、怒って二日は口を利いてくれなかったやつだ。ひ、ひどすぎる。この時点ですでに、パーシーの五十嵐先輩より、僕の方が重傷だった。


「そんな九王沢さんはなんで僕を選ぶんですか…」

「先輩は興味深い人です。だから好きだし、日本で初めてのクリスマスだし、デートしてみたかったんです」


 完全無欠な天使の微笑みで、九王沢さんは言った。

「今日は、いっぱいお話しましょう」

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