第2話

 ちなみにケースその一。


「あんだけ何でも知らなきゃ、部屋引き込んだ時点でOKだと思うだろ!こっちがしたいことなんでもやりたい放題だと思うだろ!!」


 と、先輩としても人としても最低な玉砕例を残してくれたのは、四年の五十嵐いがらし先輩。


 サークルいちの留年率を誇る五十嵐先輩は、いまだに一年次の必修授業に出ている古強者ふるつわものだ。恐らくは毎年、そうやって新入生を狙い撃ちするために出ているに違いない。出席率のせいで留年してるとは、口が裂けても言えない。


 二十五過ぎて苦み走った感まで加わってきた甘いルックスと、実家は健康食品でテレビにCMも出る大農場と言う好条件は、何も知らずに都会に出てきた新入生の女の子を、楽々撃墜してきた。


 必殺技はなんと、『先輩の癖に授業の内容を、後輩に教わる』である。常人には真似できないスゴ技だ。


 この先輩として最低だが、肉食系男子のかがみとも言える捨て身のアプローチ、これが女の、母性本能を刺激するのだそうだ。


 特にだめんず好きには、ど真ん中ストライクに違いない。ちなみにやはり実際、高学歴で育ちのいい、高スペックな女の子が引っ掛かるそうだ。


 先輩曰く、

「おっかしいなあ。ああいう我がままじゃなくて、世話好きの、世間知らず系お嬢様だったら百パーキメられると思ったんだけどなあ」

 だが九王沢さんはその一般的なお嬢様像の、さらに斜め上をいっていた。


 ちなみに先輩がダシに使ったのは、近代英国詩の授業である。

 この授業はうちの大学でも名だたる老権威な教授がやってる、マニアックな授業だ。出席はとらないが、課題レポートや筆記試験に綿密な下調べと勉強時間が要求されるので、楽に単位が欲しい学生はまずとらない。


 それがなぜずぼら無計画不勉強の先輩がとっているのか、サークル内七不思議だったのだが、その話を聞いてやっとその謎が解けた。


 イギリスですでに博士課程まで究めた九王沢さんを落とすのに、格好だったわけである。


「パーシー・B・シェリーって知ってるかなあ。そうそう、十九世紀英国ロマン派の。おれ夏目漱石なつめそうせきとか好きだからさ、取ったんだけどどうやって書いたらいいか迷っててさ。いやうん、考えてることはあるんだけど、中々まとまらなくて」


 この時点で解説しよう。右のように考えるふりをする先輩はちなみに、英国詩への興味は全くなく、九王沢さんにアプローチ出来れば、ぶっちゃけパーシーでもケーシーでもどうでもいいわけである。


 調べたのは、あの夏目漱石がパーシーの詩に感銘を受け、詩だけじゃなく書簡すらも集めたほど、傾倒したことだけ。漱石なら多少知ってるし、文芸サークルの先輩のプライドでちょっと通ぶれるわけでもあるのである。


「パーシー・B・シェリーがお好きですか…」


 ちなみにそんな通ぶりな先輩の話を黙って聞いていた九王沢さんだが、それからなぜか眉をひそめてじっと考えていたと言う。


 そして顔を上げたかと思ったら、

「パーシーと言えば…」

 と、出し抜けにこんなことを訊ねてきた。

「人工知能で人間の感性は再現出来るでしょうか?」

「えっ?」


 先輩はこの時点で対応に詰まった、と言うことは言うまでもない。


 あと先輩が知ってることと言えば、『冬来たりなば、春遠からじ』と言う有名過ぎるパーシーの詩の一節だけなのだ。


 基本的にそれ以外パーシーのことは九王沢さんに丸投げしたい考えなのだ。って言うか、最先端科学の人工知能の話題と、十九世紀に生きたパーシーに関連性なんかあるわけない。どんな応用問題だっての。


 ちなみに先輩の出した答えは、こんな感じだった。


「やっぱりそれは無理でしょう。例えば詩を書いたりする人間の感性って言うのは、その…人間本来の、人間にしか、備わらないものじゃないかなあ。機械みたいにただの知識の集積だけじゃない?自然の感情から来るもの、って言うか天与のものって言うかなんて言うか」


「つまり感情は知識の集積から来るものではない、と言うことですか?」


「う、うん…それはさ、だって違うでしょう。ただの知ったかぶりのひけらかしじゃ人は感動しないって言うか感情って言うのはさ、機械みたいにパターン化して用意されたものなんかじゃなくて、て言うかその場で感じ取るもの?表面的な反応じゃ無くてもっと深いところ直観的から来るって言うかて言うか」


 どうでもいいけど、て言うか多いな先輩。


「しかしわたしたちの感情は生まれもって与えられたものを、経験や知識の集積によって改編してきたものではありませんか?だから実際の状況に応じて、整合性高いものから検索して導き出すことができるのです。つまり感情表現は反応であり、判断の賜物なのです。感情とは、そのときその時点ですでに備わっていなければ、その場の状況から導き出すことが出来ない。いわば『用意されたもの』なのではないでしょうか。それって、人工知能がデーターベースを増やして判断を更新する過程で得たものと構造的に違いはありますか?」


 ここで先輩は答えに詰まった。


「知識の集積から判断を導き出すことなら、現在の人工知能、いわば機械にも可能なことはすでによく知られています。つまりはわたしたちで言う知識や経験を踏まえて判断すると言うシステムを、彼らはデーターベースで補完して行っている、ただそれだけのことではありませんか?


 例えば今世紀最高の知能と言われるホーキング博士がこれから人工知能の発達によって人類は絶滅すると宣言しましたが、それはまだその人工知能の判断が人間よりただ『未熟なもの』なので、わたしたちから見て『機械的』に見えるだけで、わたしたちに匹敵する情報処理量が整ったとき、わたしたちは『感性』や『人間性』の面においても機械に圧倒的に凌駕される可能性が出てくる、と言うことなのではでしょうか?


 ちなみにホーキング博士に反論を寄せた開発研究者の一人は、『まだ数十年先の話だ』と本音を吐露しています。しかしそれがたったの数十年先のことなら、各国の無数の人文科学の体系によって数千年をかけて模索されてきた『感性』や『人間性』は、これから何を持って定義すればいいのでしょうか?」


 そのときの九王沢さんは、真剣そのものな表情だった。


 それですっかり先輩の方が陥落した。こんな話、あと五分も続けられたら誰だってたまったもんじゃない。


 先輩の目的はセックスだけだ。て言うかHカップであり、(主に性的な面で)やりたい放題なのだ。


 このまま部屋に誘い込んで、弱みを見せつつも母性に訴える甘めの恋愛トークからベッドインの合わせ技に持っていく計画だったはずが、初手から完全に毒気を抜かれた。


 そのときのげんなりを引きずりつつ、先輩は言う。


「いや、部屋には来たよ。でもさ、それから徹夜でレポート書かされて…」


 午前一時にあえなく寝落ちした先輩に代わって、九王沢さんがレポートを仕上げてくれたそうだ。


 かくして、出来あがった。五十嵐先輩が絶対書いたはずのない、恐ろしいまでの完成度の分厚いレポートが。欲しいのこれと違う。


「まあ、無理だと思ってた英国詩の単位取れたからそれはそれでいいんだけどさ」


 いや、世の中そんなに甘くないだろ。僕だって知ってるが、九王沢さんはその教授の食事会とかにちょくちょく招かれるほどの大の仲良しなのだ。


 案の定そのレポートを一見した教授本人によって先輩の単位は即座に取り消し、権威ある老教授は九王沢さんの書いたレポートをテキストにして、自分の授業の持ち時間いっぱいを使って、朗々と読み上げたと言う。

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