九王沢さんに誰も突っ込めない
橋本ちかげ
九王沢さんに誰も突っ込めない
第1話
あれは絶対に、爆弾処理班とかそんな感じの人の顔だ。
普通の日本人なら、ファミレスに来てたかだか注文を頼む段になって、そんな思い詰めた表情をすることはない。絶対ない。
間違いないのだ。
だからさっきから、海外ドラマに出てくる爆発物を扱う処理班みたいな人の目で、それを突っついている。
九王沢さんにとってはこれ、未確認卓上物体なのである。うかつに触ると爆発するのである。だからおっかなびっくり、指で縁を触ってはあわてて引っ込めたりとか、してるわけで。ってんなわけない。
おいおい。
いっくら帰国子女だって。イギリスの名門大学で飛び級重ねて僕より年下なのに博士課程を二つもとり、近代の日本文学研究のため日本に来たからと言って、こんなに日本の文化について、極端な隔たりがあるわけがない。
噂は決してデマなんかじゃないのだ。
この人。本人は頑なに否定するが、今どき絶滅危惧種級の超がつくお嬢様なのだ。きっとお店に行くと必ず他に邪魔の入らないVIPルームに通されて、えらい責任者が挨拶に来た上で一から十まで、給仕が付きっきりで世話を焼いてくれるのが普通、としか思ってないんじゃないか。
て言うかそんな店しか行ってない。そう言う文化圏の人なのだ。だからだ。初めて遭遇したファミレスの卓上スイッチに、それほど異様な警戒感を示すのだ。
「あっ注文…いやっ怖い怖い…やっぱりこれ違う?…」
違うはずがない。一個しかないスイッチに手を伸ばしかけた九王沢さんは、意味不明の心情描写を早口で口走ると、火傷したように手を引っ込めた。
て言うか今、違う、って言った?
ここは聞いてみるべきだろうか。さて押すのは赤いボタンか、青いボタンでしょうかとか。言わなくても九王沢さんの指先が迷っている。
ボタン一つしかないのに!
九王沢さん以外の方はご存知ファミレスで店員を呼ぶ卓上スイッチは、二者択一とかそんなスリリングなサービス機能はついていないし、そもそも押し方を間違えたところで爆発したりはしない。絶対しない。
仕方ない。僕は意を決して、それを九王沢さんに判らせようとした。
「あの、九王沢さん…自分の注文決まったなら、いいよ、押しても」
九王沢さんは僕が言った瞬間、ばね仕掛けみたいにのけぞった。
「えっ、ええっ!?わっ、わたしが?自分で?だって…いいんですかっわたしが自分で自由に頼むなんて?そんなことしても!?」
九王沢さんはそこで、ある意味こっちの期待通りの超反応をみせた。いや、あんたが自分で欲しいもん頼まなきゃ誰が頼むんだ。むしろ何の疑問もないが。
「食べたい物、なさそう?」
メニューのパンフを見ながら、僕がそう尋ねると、九王沢さんは欧米のアニメのキャラみたいにぶんぶん、水平に首を振った。
「なっ、何を言ってるんですか!ここっ…わたしの食べたい物ばかりです!一度でいいから自分でっ、頼んでみたいものばっかりでっ!ほらこれっ見て下さいっ(メニューのパンフを見せる)、この、季節の野菜をあしらった彩りカレーライスとかっ、とろふわ半熟デミハヤシオムライスとかガーリックローストとイタリアントマトが香る大人のパスタとか…あっ、あと、このスペシャルプリンアラモードも日替わりケーキの盛り合わせも!」
「全部頼む気ですか?」
「はいっ、やはり実物を見なくては、経験になりませんから!大丈夫、費用は、
「いっ、いや僕もちょっとずつ食べたいから。相談して割り勘にしましょうよ…」
決然たる九王沢さんに僕は恐る恐る言った。思わず敬語だ。こうなると宇宙人のレベルだ。普段、一体どんなもん食ってどんな生活をしているんだろう。そう思っていると彼女は僕をきっと睨んで言い放った。
「那智さん、今わたしのこと、何にも知らないお嬢様だって思いましたね!?それ、とんでもない誤解ですよ?絶対違いますからね!?」
いや、あんた救いようのないくらいお嬢様だろ。
って、普通の後輩の女の子と違って、そうやって遠慮なく突っ込めないのは、九王沢さんがお嬢様なだけじゃなく、超絶かわいいからだ。ちなみに今の強がりも、言うときちょっと涙目で思わず胸キュンしてしまう。やばい。冗談抜きでかわいすぎる。
九王沢さんは、僕が所属する大学の文芸サークルの一年生だ。さっき述べたトンデモ設定がなければ、ただの後輩の女の子。いやカッコつけないで断言してしまおう。誰もが一度は狙い撃ちする超優良物件だ。
外形描写に心を砕けば身長、一六八センチ。国際派モデルにはちょっと小さいが、びっくりするほど足が長くて、しかも魅惑のHカップ(なんと左右整った型崩れなしの美乳だ)。むしろ薄らでっかいモデル志望より、一般の需要は激しくあるプロポーションと言っていい。
今日も寒さ極まるこのシーズンに合わせたのか、高そうなコートは今年流行りの控え目な深いグレー。下は、身体の線が出やすいシックな黒のチュニックを着ていて、これがまた裸眼で直視できないほど神々しい。
顔も、かわいすぎる。
明治期からスコットランドに住み着いた日本人の血を引くクォーターだと言うので、長い睫毛にいこわれた大きな瞳やほどよく高い鼻(白人に多い魔女系の鉤鼻とかとは違うぞ)などその顔立ちにも、僕たちが日常接する女性との隔絶感はある。が、何より際立つのは、乳白色に煙る肌の麗しさだ。これがただ白い、などと言う貧困な語彙では表現できない。
その芳醇、さらには照明もなしに淡い気配すら放つ光沢のお肌に、ごく自然にカールしたゆるふわの長い黒髪に覆われた、頭蓋を覆う卵型の完璧な
それは空気との境目にマイナスイオンすら醸し出す、かすかな
そしてその魅惑の肌を微妙に色づかせている唇の淡い色合いと言ったら、もはや匠の手や現代の科学技術でも絶対、再現出来そうにない。何度見ても奇蹟。自分と同じ空間に実在していることすら、信じられないほどだ。
この内容で今でも、僕とのクリスマスデートに踏み切ったことがどうしても信じられない。来年僕、運勢
だってだ。僕がここに至るまでに名だたる使い手が、お嬢様設定より何より、年下なのに思わず敬語になってしまうほどの神々しいとも言えるその容姿に狂わされ、あまた挑んで玉砕したからだ。
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