第2話 誰か来た


アイツが車屋をやりたいと言い出したのは昨年の夏だった。


俺の親父が経営していた店を貸してくれって電話が最初だったかな?


親父はとっくに他界して廃業してたんだが取り壊しに金がかかるんで半ば放置していた物件。


今や荒れ放題になってるだけの廃墟だが、それでも税金はかかる。

毎年の固定資産税に頭を抱えていた俺にはありがたい申し出だった。


だが、お互い五十過ぎだろ?


あと十年待たずに退職な訳でさ、今さら起業しなくても良いんじゃないのか?

と聞いたんだが車屋の説明で輝いていたアイツの目が暗くなるのを感じて

それ以上は聞けなかったな。


家賃は月に二万、要するに固定資産税を払ってくれで話は決まった。


それからアイツは毎日の様に店へ通っているらしい。

廃墟を店に作り直すんだとかで、費用を安くする為にホームセンターから資材を買い込み自分でやってると

共通の友人から聞いた。


今日、退職しました。


そうメールがあったんでコンビニで差し入れの飲み物を買い

アイツの新しい職場を見に行ったわけさ


綺麗になってて驚いたよ。


破れていたシャッターや割れた窓は直され

店内に不法投棄されてたゴミの類いも片付けられてた。

床や壁も塗装されている。


俺は建造中の事務所に通されて今後の展望を聞いたわけさ


だが、アイツは店を如何に作るかばかりで商売の話はしない。

ホームページでも作ったらどーよ?

と聞いたら、いきなり立ち上がり


「誰か来た…」


と言って部屋から出て行った。




「ありゃ、店作るのが楽しいだけで商売なんざ全然考えてなくないか?」


数日後、共通の友人に会う機会があったので近所の中華料理屋でラーメンを食いながら

アイツの話をした。


「だなぁ、俺も先月くらいに見に行ったんだけど客を紹介する話をしたら急に立っちまってさ…」


「なんで?」


客を紹介してくれるならありがたい話なはずだ。

俺は餃子を摘まむ箸を止めて友人を見た。


「誰か来たとか言い出してさ…部屋から出てそれっきりさ」


面倒がられて二人とも追い出されたわけだ。


馬鹿らしくなって暫く放置してたんだが

さすがに開店には顔を出したよ。



満面の笑みでアイツは迎えてくれたよ。

幸せだったんじゃないかな?


新旧の中古車が店の前に並んで壮観だったよ。


特に仕事をしてる感じでも無かったんだが

仕事が無くて困るのは本人

何かしら考えているだろうと思ってアイツに頑張れよとだけ言って帰った。



「お、久しぶり~」


年明けにコンビニで立ち読みをしてると背後から声をかけられた。


中学の同級生だ。

アイツの元同僚でもある。


「お前、貸したの?」


突然聞かれて返答に窮したが、やはりアイツの店の話だった。


「あぁ…貸したけどさ」


「そっか~大変だな…」


含みがある言い方だったので呼び止めてコンビニの駐車場で話をした。


アイツはノイローゼで会社を辞めたのだと同級生は言った。


昨年辺りから言動が怪しくなり、担当している仕事の進捗を聞かれると


「誰か来た」


と言って出て行ってしまったらしい。


末期には更に症状は酷くなり、会社はアイツを休職にしたのだが

本人たっての願いで退職してしまった。


毎月、家賃は振り込んでくれてたから心配はしていなかった。


「なんてこった…」


俺はアイツの店に車を走らせた。


「あー来たのか」


真新しいままのツナギを来たアイツが奥から出て来た。


「あぁ、オイル交換してもらおうと思ってな…」


アイツは車にジャッキをかけると下へ潜った。


俺は店の周りを見回す。


店の前にある中古車は開店の時のまま一台も売れてはないようだ。


店内もうっすら埃が積もっている。


「出来た」

振り返るとアイツが立っていた。


「ゆっくりしてってくれよ」


アイツは俺に椅子を勧めて自分の席に座った。


工具箱も机も埃が積もり使われている形跡は無い。

お互い何も喋らず、その一時間ほどの間に電話一つ無い。


アイツは何をやるでもなく座っている。


「仕事はどう?上手く回ってる?」


沈黙に耐えられず俺は聞いた。


「突然始めたから嫁さん怒ったんじゃないの?」



だがアイツは返事をせず、立ち上がると外に向かって歩きだした。


「誰か来た」


後を追ったが店の前は中古車が並ぶばかりでアイツの姿も見えない…

俺、1人が立ってるだけだった。



俺は店を出ると近くの飯屋に入った。

大将とは親父が店をやってた頃からの知り合いだ。


「おー久しぶりだな。」


昼飯時は過ぎてたので店内は大将だけだった。


「親父の店の跡地に車屋出来たけどさ…」


「あ、ありゃアカンぜ!お前、出資とかしてねーだろな!?」


大将は大きな体を揺らして忌まわしい物でも見るような視線でアイツの店を見た。


「俺もな、最初は挨拶がてら店の軽バンのオイル交換頼んだのよ…」


オイル交換された軽バンはセルをいくら回してもエンジンがかからなくなった。


大将はアイツに文句を言ったのだが


「誰か来た…」


と言って出て行ってしまったらしい。


1人残された大将は仕方なく近くのガソリンスタンドに頼んで車を調べてもらうと

オイルはキャップ口から溢れんばかりに入っていた。


これではオイルが抵抗となりエンジンは動くはずもない…


「ありゃ、ヤバイな」

大将は、そう言って笑ったが目はアイツの店に向いたままだった。



店を出た俺はアイツの店に停めたままの自分の車のボンネットを開けた。


点検ゲージを抜きティッシュで拭ったあと

再びゲージを差し込んだ。


ちゃんと入っていてくれ…

友人がおかしくなったとは思いたくはなかった。


俺が店を貸したのが失敗だったのか?

俺は祈るような思いでゲージを抜いた…


オイルは…


入って…


無かった…


店内にアイツの姿は無い。

俺は適当なオイル缶を手に取りエンジンに注ぐと店を後にした。



近くにあるデパートの駐車場で俺はアイツの家、つまり嫁に電話をした。


もう、一刻の猶予も無い

ハッキリしたのは、このままじゃダメだと言うこと。

このままでは、アイツの一家は破滅してしまう…


だが、電話には誰も出ない。


嫁の携帯は知らないので仕方なく夕方まで待ってかけ直したが、やはり誰も出ない。


夜になってアイツが帰宅する前に嫁さんと話して…

店を辞めさせて…場合によっては入院させないと…


俺はアイツの家の前に居た。


夕日を浴び真っ赤に見える家屋

雑草が延び、長い間放置された空き家の様だ。


「ごめんください…」


返事は無い


「こんにちは!」


ポストには入りきらなくなった新聞紙が溢れている。


ドアのノブに手をかけると、それは簡単に回った。


真っ赤に照らされた玄関は荒れ果てていた。


廊下には洗濯物やコンビニ弁当の空が散乱している。

もう、アイツ以外は誰も居ないと俺は理解した。


携帯が鳴り出し俺は慌ててポケットから取り出した。


アイツだ…


「勝手にオイルを使うなよ」


アイツは笑いながら俺がオイルを使った事を咎めた。


「まぁ良いけどな、次から気を付けてくれよな?」


明るい俺の知っている声が廃墟となったアイツの家に響く。


「お前…嫁さんは…」


俺は聞いてしまった。


「あ、誰か来た…」


それが、アイツとの最後の電話になった。







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工場作業員の死(短編集) @zone1943

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