工場作業員の死(短編集)

@zone1943

第1話 工場作業員の死

その夜も巾五メートルを越える巨大なリールは唸りをあげて紙を巻き上げていた。


僕、島辻翔希はこの会社に入って三年になる。

毎日毎晩、紙を作っているだけの仕事。

今日の紙は肉マンの裏の紙らしい

明日の紙は値札シール、昨日の紙は何の紙だかは知らない。


僕の仕事は紙の原料を水に混ぜすり潰し一定の細かさにまでしてから次工程に送る。


一定の細かさを調べるには測定器具を使うんだけど

今夜は、その器具が不調で使えない。


同じ物が別棟の試験室にあるから計りに行けってマジ?


誰だよ壊したの!?


「お?島辻、計りに行くのか?オバケに気を付けろよ」


休憩所に入って来た先輩、佐山さんが手を前に垂らして舌を出す。


「俺が入社した頃の話だけどさー」


「あー!あー!聞こえーなーい!」


僕は耳を塞いで声をあげた。


うん、僕はオバケが怖い。


毎年夏になると友人達が、やたら心霊スポットに行きたがる心理が理解出来ない。


友人達は、何も無いよと言うけど

何も無いなら、ますます行く意味も無いじゃない?

あちこち壊れた廃墟は危険だし、建造物に無断で入るのは法律違反だ。

そう言うと決まって皆「島辻はチキンだなぁ」と鼻で笑う。。


なんでだよ!?


皆、遊園地にでも行く気持ちなんだろうけど

リスクが高いって!



「おー騒がしいなぁ」


ドアが開きデップリ太った先輩、渡辺さんが入って来た。


「ナベさんコーヒー砂糖入れすぎだって~」


佐山さんが呆れた顔で渡辺さんを見る。


渡辺さんは滅茶苦茶な甘党で、コップ一杯大さじ二杯な感じで砂糖を入れる人だ。

デップリ太った腹は砂糖で出来ていると班員の殆どが思っているだろう。


「すぐ砂糖無くなるって係の奴が泣いてたかぁ?」


渡辺さんは佐山さんにニカッと笑うと砂糖でドロドロになっているだろう流動体を喉に流し込んだ。





夜の工場は苦手だ。


職場から一歩出ると世界はシーンと静まり返り

その静粛さは作り物に似た違和感を感じさせる。

暗闇を等間隔でポツリポツリと照らす街灯も

暗闇の彼方側には何も無いような気持ちにさせるほど

そこだけ不自然に明るく見えた。


充電式懐中電灯で暗闇を照らすと別棟がボウッと姿を現す。


以前テレビで見た海底のタイタニックを僕は思い出し

背中に汗が浮かぶのを感じた。


建築されてから一世紀近くになった工場は

その広大な面積の中で建て増しと廃墟化を繰り返し

今や不気味なダンジョンになってしまっている。


転勤して来た奴が地下の水路を確認に行って出口が分からなくなり

半日行方不明になった笑えない話もある位だ。


この別棟の近くのベルトコンベアーに何十年か前

整備中の作業員が袖口を喰われ、あり得ない狭さの穴に引き摺り込まれた。


発見された時は人の形をしていなかったと聞く…


ギイィ


金属を軋ませ鉄製のドアが開く

電灯のスイッチを入れると試験室に続く長い廊下が現れた。


嫌な汗をかいた為か妙に口が渇く

帰って冷蔵庫の中のコーラを飲もう


「うん、それが良い」

試験室で測定を済ますと僕は足早に部屋を出た。


結果は良好。

僕は安堵の声を漏らす。


測定が不合格なら、サンプルを持ち何度も職場と試験室を往復する破目になるからだ。


「ん…?」


試験室を出て先を進むと事務所なのだが…部屋には灯りが点いていた。


(来た時には…点いて無かったような…?)


覗くと、部屋の電灯ではなく無数に並んだ事務机の一つのデスクライトが入りっぱなしだった。


「誰か居ますか…?」


僕は恐る恐る声をかける。


戦時中に大学を卒業したばかりの社員が徴兵され

悲観した彼は事務所の梁で首を吊った。


今でも彼は毎夜、試験室の事務所で仕事をしているのだ。


と、佐山さんが言ってた。


「佐山さんでしょ!」


佐山さんが僕を脅かす為にコッソリ付いて来たんだ!

暇人、仕事しろ!


だが人の気配はない。


僕は事務所に入る勇気も無く出入口に足早に進んだ。

背中に気配を感じるが振り返る気にはなれない。


ガタリ…


事務所の引き戸が開いたような音が背後に響く

(聞こえない、聞こえない、聞こえない!)


試験室を出るや僕は全速力で走ると職場に転がり込むように入った。


早く誰かに会いたい、生きている人に僕は会いたかった。


だが、休憩所には誰も居ない。


制御室にも乾燥室にも人影は無かった。


ただ、巨大なリールが唸りをあげて紙を巻き上げているだけだ。


「おい!島辻!」


佐山さんだった。


班員は巨大なドライヤーの裏に集まっていた。

班員の輪の中心に渡辺さんが倒れている。


「ど…どうしたんですか!?」


見回りの最中に渡辺さんが倒れているのを班員の1人が見付けたらしい。


らしいと言うのは、その班員と班長は救急車を呼びに行ったままだからだ。


佐山さんは上着を脱ぐと冷たいコンクリートの床に倒れている渡辺さんに

かけてやっていた。


じきに担架を担いだ緊急隊員が入場した。


「通して下さい、通して!」


彼らは渡辺さんの隣に屈み様子を見ると


「これはアカンねぇ…」


とだけ言って、渡辺さんにかけられていた佐山さんの上着を床に置いた。




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