くずとり列車

 近鉄奈良線は商業と娯楽の町「難波」から古の都「奈良」に至る郊外路線である。登録上は奈良側の終点である近鉄奈良駅から大阪側の途中駅である布施駅までとなり、以西は近鉄大阪線、近鉄難波線に乗り入れている。とはいえ、奈良―難波間というように、運行は一体的である。近畿日本鉄道の前身、大阪電気軌道が最初に開通させた路線であり、その歴史の長さは語るべくもない。営業路線の総延長は500kmを超え、近畿東海2府4県に跨る、名実ともに日本最長の私鉄。その中でも奈良線は屈指の輸送人員を抱えている。朝夕の混雑など、目も当てられない。


                  

 

 キリオ助役率いる第11列車区保安係は、02時02分、近鉄奈良駅から<くずとり列車>の乗務を開始した。保安係規定の濃紺の制服を着た5名の社員は、先週に座学を終えたばかりの見習いである。キリオ助役は白髪交じりの短髪を掻きむしりながら、名簿を開き、プロフィールに目を通し始めた。

「君らは、もう知り合ってそこそこかネ」

 助役の問いかけに神代拶几社員が答える。

「ハーイ。4月イッピ付で入社ッ。一般座学のち、<プラス鉄器の素性アリ>と認定されてェ、5月イッピから特殊座学に移されましたァ。それ以来、1か月くらいの付き合いになっちまってますノ。ね」

 およそ職場で使うとは思えない、神代の砕けたスピーチスタイルに、通路挟んで向かいの席に座っていた几島義輝が突っかかる。

「ねぇねぇうるせいねん、神代。言葉遣い、てめぇどーにかならへんのか」

「てめェにゆわれたくないの。キッチャン! ね」

「キッチャンちゃうわ、キジマや」

「音形と意味の関係は恣意的だヨ。ワタシが決めちゃえるノ。<キジマ=ヨシテル>ッていう概念にはね、ワタシは/キッチャン/を与えたいのネ!」

 几島はそれ以上言い返さず、窓の外に流れる景色を目で追い始めた。

 神代は淡いピンク色のショートヘアだ。几島は否が応でも視界にそれを入れたくなかった。心臓に鳥肌が走って、自分を支えてきたなにがしかの決め事が積み木崩しの憂き目に遭うように思われてならなかったからだ。目の前でネイルを弄りながらへらへらと口元を緩ませている神代拶几のことを、彼はまだ理解できないでいた。

 二人の様子を見て、助役が口を開く。

「成る程。仲良さそうだナ」

「いやどこがやねん!」

 的外れにもほどがある助役の言葉に、几島は思わずツッコミをいれてしまう。焦りを隠せないその横顔を、神代はただニタニタと見つめるばかりであった。

 どこか緊張感のかけた車内の雰囲気に飲まれまいと、安藤美沙几は運転台の方に首を向けてじっとしていた。<くずとり列車>は地上に出て最初の駅である新大宮駅を通過していく。駅の照明は薄くなっていて、駅前の踏切の音色はどこか乾いたものに聞こえた。 

「助役……、<魑魅魍魎>はいつ現れるのでしょうか」

 ふと、そんな問いかけが彼女の口からこぼれる。安藤の向かいで脚を組んで座っていた巴几巳斗は銀縁の眼鏡を掛けなおし、会話に耳を傾けた。

「アンドヲ。それに君は……トモエ=キミトか。君ら好奇の目を持つ輩だネ。まァ結構だよ。他の者も、この際説明してしまおう。君らが処理してもらうのがどんなヤツラかということダ」

 神代と几島もそれぞれ視線を斜めに向けて、通路真ん中に立つキリオ助役を見る。一人、離れたところに縮こまって座っていた江井几暦はハッとして身体ごと向き直った。助役は胸の内ポケットに差していたノック式ボールペンを取り出し、カチカチと音を立てながら、上滑りの、酷くズレた抑揚で話し始めた。

「<魑魅魍魎>は初めは<気配>として実現スル。言ってみりゃァ、畑から牛の糞が匂い立つようなものサ。これはほッといたッて構わない。線路面から染み出してくるそういう<気配>は大気に触れた途端に雲散霧消ダ。ただ、有象無象の<気配>の中に、ひときわ濃いヤツがいる。そいつは実体を伴ッて、レールとレールの間や線路内のバラストから滲みだしてくるときた。先ずはこういうのを処理しなくてはならないヨ。残念ながら、いずこで出くわすかは予測不可能ダが、しかしこッちは朗報ネ。発生箇所に偏りガ見られる」

「どこなんです?」

几島が前のめりになって訊いた。モーター音とレールノイズが一瞬、消え去る。

「奈良線における第一危険区域は平城宮跡内。……今走ッているとこだヨ」

 瞬間、闇を切り裂く電子音警笛。車体が横方向に揺れる。

「全員、その場から離れないことダ。うちはOJT教育が基本だけどネ、ここは私の仕事を見学するだけでいいサ。見て覚える。これが常道だヨ」

 キリオ助役はドアの前に立つと、上部に設置されている横長の停車駅案内図を手で押した。ガコッという鈍い音がして、反転する。裏面には拳銃のようなものが二つ、取り付けられていた。

「うちの会社で採用している『鉄器』ネ、これ。阪神サンは相互乗り入れしている関係で規格を統一してるけど、他社サン毎に形態も違ッているわけヨ。まァ、これの使い方は拳銃と同じだから、ビビらなくて結構」

「あれが、『鉄器』……」

 安藤が食い入るように見つめる。

「みさッきー、見れてよかッたじゃんッぽい。ね。キッチャンもあれ見るの初めてなん?」

「ああ……初めてやな。派手なもん想像しとったから、拍子抜けやわ」

「ね」

「いいかい諸君、あれを見たまえ」

 運転台の方を指さす助役。<くずとり>列車の前方には黒い人影があった。胴の周りに四肢と頭部が生えているが、輪郭は曖昧で部位が流動している。

「なんやあれ!?」

「スゴーイ! 助役ゥ、ぶつかっちゃいます。ね」

「神代社員その通り。……草木も眠る終電後、鉄軌道を跳梁跋扈するは奇々怪々の<魑魅魍魎>。有象無象にぶつかり蹴散らす。それが<くずとり列車>だ」


日誌ここまで。


(社員歴概要)

キリオ=サヴィルシャール=ウビーストヴォ(Kirio Savershal Ubijstvo)

大阪管区第11列車区助役。年齢、35歳。男性。名古屋管区第1列車区乗務員(運転士)・宇治山田駅助役を経て、対<魑魅魍魎>用保安係に登用。大阪管区転属、現在に至る。

使用言語:日本語東京方言、ロシア語


安藤美沙几(Ando Misaki)

大阪管区第11列車区保安係見習い。年齢、23歳。女性。本年4月入社。第2新卒。

使用言語:日本語東京方言


江井几暦(Ejki Koyemi)

大阪管区第11列車区保安係見習い。年齢、22歳。女性。本年4月入社。新卒採用。

使用言語:日本語東京方言


神代拶几(Kamiye Satzuki)

大阪管区第11列車区保安係見習い。年齢、18歳。女性。本年4月入社。高卒採用。

使用言語:日本語東京方言


几島義輝(Kidzima Yeshchiteru)

大阪管区第11列車区保安係見習い。年齢、24歳。男性。本年4月入社。修士卒採用。

使用言語:日本語近畿方言、英語


巴几巳斗(Tomoe Kimito)

大阪管区第11列車区保安係見習い。年齢、22歳。男性。本年4月入社。新卒採用。

使用言語:日本語東京方言





 


 









 

 

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