彼女になってくれますか。
奈良 敦
彼女になってくれますか。
一度も彼女ができたことがない俺はついに26歳の誕生日を迎えてしまった。誕生日といっても一人暮らしの俺は別にケーキなど買わないが、街を歩けばあきらかに俺より年下の男女が手をつなぎながら楽しそうに話をしている。
先日、福岡の実家の父親から電話があった。珍しいなと思い電話に出ると
「今なんしようと?」
「家におる」
「ふーん。彼女できた?」
「いやおらん」
「わかった。じゃあ体に気を付けて」
「はい、じゃあ」
いったい何の目的で電話してきたのか。まさか彼女がいるのか聞くためにわざわざ電話してきたのか。俺はうんざりしたが、同時に焦ってもいた。
地元の幼なじみは結婚して子供を持っている。会社の同僚の話を聞くと、みんな彼女がいる。または彼女がいたという人たちばかりだ。俺のような一度も彼女がいないという人は俺以外確認できない。
一度、新しく転勤で入ってきた上司ともう一人の上司の3人で焼肉に行った時。
「君モテそうだよね」
「確かに。26じゃあウチでは若いほうですよね」
「彼女はいないの」
「いません」
「じゃあキスは」
「それもないです」
「えー意外」
俺はどういう顔をすればいいのかわからず、作り笑いでその場をしのいだ。
「僕男子校に行ってたので女性と話すと緊張してしまうんです」
「高校生の時ってもうだいぶ前でしょ」
俺は高校3年間男子校に通っていた。男子だけという世界がどんなところなのか興味があったからだ。また中学生の頃、俺がのちに通うことになる男子校の先生が説明会で中学校に来た時に面白い話をしたことも決めての一つになった。
「男子校に通うとストライクゾーンが広くなります」
「男子校に通うと女子高生がみんな可愛くみえます」
「男子校に通うと女性の先生がみんな可愛くみえます」
「そして最後は食堂のおばちゃんがみんな可愛くみえます」
こんな面白い先生がいるのか。どんな学校なのかと興味を惹かれて俺は男子校に通うことになった。
卒業してから8年。あの先生のいうように俺のストライクゾーンは広くなった。女子高生・女性教師・食堂のおばちゃんが全員可愛くみえることはなかったが。
俺は女性と話をする時は若干緊張するようになった。そのため、気になる女性がいても挨拶くらいで話しかけることができない。
上司にも同僚にも話していないが、俺には好きな人がいる。
同じ部署で務める水原美緒という女性だ。
上司からの評判も高く、入社後の研修でも好成績を出し、勤務中の顔は美人系だが笑うとかわいい系の顔になる誰からも話しかけられる魅力的な女性だ。
水原とは同じ部署だが、部署内にチームがありそれぞれ違うため話すことはめったにない。あるとすれば廊下や休憩室ですれ違うことくらいだ。
おそらく水原は俺の名前を知らない。
俺のチームは男性が多い野郎だらけのチームだ。女性もいるが40代・50代の女性が3人いるだけだ。
焼肉を上司におごってもらい家に着いたとき、俺は酒の勢いもあってかやけくそになり人生初の彼女を作るため、スマートフォンでマッチングアプリの登録をした。
顔の写真を登録しないといけないが、自分の顔が世界中に晒されると考えると写真をアップすることはできなかった。身長・職業・趣味・出身地などを簡単に入力し、明日も仕事のため俺は布団に入った。
翌日、仕事終わりに家で早速なにか良い知らせが来てないかドキドキしながらマッチングアプリを開く。通知は1件もきていない。俺はまだ1日しか経ってないしこんなものだろうと別に落ち込むこともなく、いつも通り過ごした。
この状態が3週間続いた。俺はマッチングアプリを開くのがだんだん面倒くさくなってきていた。今日も見て通知が来ていなかったらもうやめようと心に決め、マッチングアプリを開く。
すると2件通知が来ていた。1件は40代の女性から。もう1件は20代の女性から。
俺は急いで2人の顔写真を見る。
だが、残念なことに一人の20代の女性は顔が写っていなかった。写っているのは後ろ姿のみ。20代の女性は髪がとても短い。
もうひとりの40代の女性は髪が長く、ダークブラウンに髪を染めている。この女性は顔写真がアップされていた。
俺は自分の心臓が速く動いているのが自分でもわかった。
嬉しいからではない。40代の女性が会社の同じチームで働く女性だったからだ。
俺は自分の目を疑うとはこういうことなのかと頭の中で思いながら、なんとか冷静になるため4秒間息を吸い、7秒間かけて息を吐く。この一連の動作をしばらく続けた。
俺は幸い自分の顔をあげていなかったので向こうは俺のことを知らない。名前は苗字だけ偽名使っている。向こうは俺だと気づいていないし、今後も気づかないだろう。
この40代の女性は新山絵里子。旦那と中学生の子供が一人いる立派な既婚者だ。
なぜマッチングアプリに登録しているのか疑問に思うが、関係を持つと不倫ということになってしまう。俺は、新山に何も返事をしなかった。
俺は20代の女性のプロフィールを見る。出身は東京都、趣味は映画鑑賞、職業は会社員となっていた。
俺は、グッドマークをタップする。相手が俺に対してグッドマークをタップすれば俺はこの20代の女性とマッチングアプリ上で会話ができる。
もしこれが水原さんならと、そんなあろうはずがない希望を胸に秘めながら俺は
布団に入った。
翌日スマートフォンの目覚ましで目が覚めた俺はアラームを止め、そのままマッチングアプリを開く。すると、20代の女性が俺に対してグッドマークをタップしてくれていた。
俺は眠気が吹き飛んだ。
すぐにメッセージを送ってみる。
・はじめまして。グッドマークを押していただきありがとうございます。とても嬉しいです。
最初はこんな文章でいいだろうと俺はメッセージを送り、小学生の時に見ていたアニメの歌をを歌いながらスーツに着替える。
本来ならストレスが溜まる朝の満員電車もグッドマークをもらえたおかげか、全くストレスを感じなかった。
「おはようございます」
出社したときの挨拶が自分でも驚くほど声が出ていた。同僚や上司が俺に目線を移している。
もう相手から返事は来ているだろうか。そんなことがずっと気になり、俺は仕事に集中できなかった。
そして定時になる。
「おつかれさまでした」
朝の時と同じように帰りの挨拶も声が出ていた。
駅前のスーパーで買いものを済ませ、俺は急いで家に帰りマッチングアプリを開いた。
・こちらこそありがとうございます。嬉しいです。
20代の女性から返事が来ていた。俺はまるで彼女がもうできたかのような気持ちになった。すぐに俺もメッセージを送る。
・映画鑑賞が趣味なんですね。いつか一緒に映画鑑賞にでも行けたらいいですね。
まだ軽い挨拶程度で、このメッセージは少し重いのではないかと俺少し後悔した。
だが、もうメッセージを送ってしまった以上仕方がない。相手に嫌われないことを祈るばかりだ。
相手からのメッセージは来なかったが、相手も忙しいのだろうと思いこの日はマッチングアプリを閉じ、布団に入った。
翌日、いつも通りスマートフォンの目覚ましで目を覚ます。はやる気持ちを抑えマッチングアプリを開く。
女性からの返事は来ていなかった。
俺は相手も忙しいんだろうと決めつけ、スーツに着替える。朝の満員電車は昨日とは違い、ストレスが溜まった。会社での挨拶も昨日より声が出ていなかった。
だが、仕事は昨日より集中できていた。
家に帰りマッチングアプリを開く。
女性からの返事はまだ来ていなかった。
もしかして俺は嫌われたのか。そんなことが頭の中に浮かんでくる。
2日、3日経っても同じ状態だった。
ああ、やっぱり俺は嫌われたなと落ち込んでいた。
そして1週間が経ったころ、突然女性からメッセージが送られてきた。
・返事できなくてすみません。ケータイを新しく買い替えたり家の引っ越しとかやってたらアプリを開くのを忘れてました。映画なら今おすすめを上映中なので急ですが明後日一緒に見に行きませんか?上映期間がもうすぐで終わるので。
当然ながら俺は驚いた。1週間ぶりに女性から返事が来たこと。映画に誘われたこと。
こんな急な展開はドラマやアニメだけの世界のことだと思っていたが、現実の世界でこんなことがあるのかと、喜びよりも驚きのほうが大きかった。
俺はすぐにメッセージを送る。
・僕も明後日予定が空いているので、一緒に映画を観に行きましょう。待ち合わせ場所はどこにしますか?
メッセージを送ると俺はすぐに服装についてスマートフォンで調べ始めた。
清潔感・色は3色までに抑える・アクセサリーをたくさん付けないなど女性から好感度の高い服装について調べた。
幸い俺の服装は兄のお古が多くて、兄はファッションについて勉強していたので服装は特に問題はなかった。とりあえず、当日の朝にしっかりと髭を剃ればいいだろう。髪は2週間前に切ったので心配はない。
そんなことをしているうちに女性から返事が来た。
・明後日でもいいんですね。ダメもとで言ってみてよかったです。場所は東京駅の銀の鈴でもいいですか?時間は11時で。
俺はすぐに返事をする。
・では場所は東京駅の銀の鈴で。当日お会いできるのを楽しみにしています。
メッセージを送ると俺はすぐにシャワーを浴びた。明日も仕事なのにアプリに夢中でいつもなら寝なければならない時間になっていたからだ。
そして当日がやってきた。
俺は7時に起きてシャワーを浴び、髭を剃る。剃り残しがないように鏡を見ながら丁寧に髭を剃っていく。少し血が出てしまったがシャワーを浴び終わるころにはもう止まっていた。
9時に家を出て、東京駅に向かう。東京メトロ東西線の改札を出てから、銀の鈴までの行き方を確認する。
途中でスマートフォンで調べたり、東京駅の案内所で聞いたりして何とか銀の鈴までたどり着くことができた。
時間は10時になっていた。東京駅はサラリーマン、旅行客、家族連れなどで常に人が多い。
女性にメッセージを送る。
・銀の鈴に着きました。黒縁メガネをかけていて、ネイビーのジャケット、黒いジーンズ、スニーカーが僕です。
相手の女性からもメッセージが来る。
・早いですね。私も今向かっています。黒いジーンズで黒髪、身長160センチくらいが私です。
俺は待っている間、いつも持ち歩いている文庫本を取り出した。普段は電車の中で読んだり、喫茶店で読んだりしている。
だが、緊張のあまり本を読んでも内容が頭に入ってこなかった。時間が進むのがとても遅く感じられた。
本をバッグに戻し、黒いジーンズ、黒髪、身長160センチくらいの女性を探すがそのような女性は東京駅にはたくさんいる。
あの人か、あの人かと俺はいろんな女性に目を配る。
警察に職務質問されてもおかくしなさそうだ。
そんな怪しまれるようなことをやっていると、遠くにどこかで見た顔があった。
俺が好きな女性、水原美緒だった。
俺は初めてマッチングアプリの通知が来た時のように心臓が速く動いているのがわかった。こんな時はあの時と同じように4秒間息を吸い、7秒かけて息を吐く。この動作を繰り返した。
なんで水原さんがこんなところにいるのか。まさか彼氏とデートなのかと思っていると、だんだん銀の鈴のほうに歩いてきた。
俺はスマホを取り出してネットニュースを観る。
普段は観ないが、水原と視線を合わせたくないからだった。
水原の服装が黒のジーンズ、黒髪、身長160センチほどでマッチングアプリで知り合った女性と一致している。
俺は黒縁メガネ、ネイビーのジャケット、黒いジーンズ、スニーカーの服装だ。
ネットニュースで政治家の怪しい疑惑の記事を開いていると
「すいません、マッチングアプリの方ですか」
俺は一瞬頭の中が真っ白になった。前から好きだった女性から話しかけられたからだ。
「はい。もしかしてうちで働いている水原さんですか」
「あっ、やっぱりそうですよね。一緒に会社で働いている方ですよね。どこかで見た顔だなと思ったんですよ」
俺は正直にすべてを話した。前から水原のことが好きだったこと。彼女が今まで一人もいなかったこと。上司との焼肉での会話からやけくそになりマッチングアプリに登録したこと。
「えーそうだったんですか。優しそうなのに。意外ですね」
俺が前から水原のことが好きだったことには触れてこなかった。
「僕、こんなデートみたいなこと一回もしたことないんですよ。」
「私もあまりないですよ。それより映画の時間の遅れちゃいそうなので早く行きましょう」
俺は水原にこう伝えた。
「水原さん。僕の彼女になってくれますか」
「そういうのはデートを重ねてから言うものですよ」
俺と水原はお互い笑いあいながら、映画館へと向かった。
----完----
彼女になってくれますか。 奈良 敦 @gm58plus
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