白昼夢

夕凪

第1話

「君には、忍耐力というものがない」

 脳内で、不快な声が反響する。やけに甲高いその声は、脳裏に焼き付いて離れようとしない。

「だから、必要とされない」

 心が、焦燥感で満たされていく。逸る心臓の鼓動を感じながら、意識は闇に沈んでいった。


「足を止めちゃだめ。もっとつらくなるんだから」

 横を走る飛鳥が、自慢のソプラノボイスで声をかけてくる。

「止めちゃダメって言われても……走れないもんは走れないんだ……」

 やけに明瞭な意識とは裏腹に、体は機能を停止したように動かない。

「そこは根性なの。マラソンは、そういう競技なんだから」

 時代錯誤の根性論を唱える飛鳥は、先行ってるよ、と一言言い残して、視界から消えていった。

 全く、やってられない。

「マラソン大会なんて、何の意味があるんだ」

 足を止め、大きく深呼吸する。こんな、運動部のためにあるような意味不明な行事に、付き合っていられるか。

 マラソンのルートから外れ、公園に行くことに決める。

「飛鳥は、完走できるのかな」

 張り切っていたが、飛鳥は吹奏楽部だ。幼馴染の無事を祈りつつ、サボタージュを決行した。


 ブランコを漕ぎながら、時計台で時間を確認する。時刻は午後一時。もうマラソン大会は終わっている時間だ。

「結局、午後の授業もサボることになるのか」

 今になって、後悔の波が押し寄せてくる。しかし、今更どうすることもできない。

「こんな格好じゃ、帰れないしなぁ」

 学校指定のジャージで家に帰ったら、母に感づかれるに違いない。運動部ならまだしも、帰宅部なのだから。

 そもそも、家に連絡が行っている可能性がある。というか、行っているはずだ。朝礼には居た生徒が、マラソン大会の途中で消えたのだ。心配されるに決まっている。

「馬鹿なことしたなぁ」

 自責の念に駆られる。どうしようもない寂寥感に苛まれる。

 彼女に出会ったのは、そんな時だった。


「どうしたんですか?そんな、悲しそうな顔をして」

 突然声をかけられ、思考が中断される。顔を上げると、白髪でセーラー服姿の少女が、僕を見下ろしていた。年上に見える。高校生だろうか。

「よかった。怪我をしているわけではないんですね。なにか、悲しいことがあったんですか?」

「いや、そういうわけじゃ……ただ、体育を途中でサボっちゃっただけなんです」

 正直に話すと、彼女は大げさに肩をすくめて見せた。

「なんだ。心配して損しました。そんなの、学校まで帰ればいいだけじゃないですか。さあ、帰りましょ。お姉さんが、付いて行ってあげます」

「あ、ありがとう……ございます」

 思わず、付き添いを承諾してしまう。僕の返事を聞くと、彼女はにっこりと、優しい笑みを浮かべた。

 おそらく年上なのに、可愛いな、と思ってしまった。


「あの……なんで、髪の毛が白いんですか?」

 学校への道すがら、気になっていたことを聞いてしまった。我慢できなかった。さすがに。

「これですか?これはね……なんでだろう。一回、死んでるからかなぁ」

 いきなり飛び出した爆弾発言に、僕は驚くことすらできなかった。

「君、名前はなんて言うんですか?」

「蒼汰、です」

「蒼汰君。幽霊って、知ってますか?」

「知ってますけど……」

 まさか。まさかね。そんなことあるはずがない。だって、彼女はここに実体が……。

「それです。私は、幽霊なんです」

 彼女は、僕を抱き締めた。いや、抱き締めていたはずだ、と言うべきなのだろうか。

 なぜなら、僕には抱き締められている感覚が、全くなかったのだから。

「ね?」

「なんだか、不思議な感覚です……」


 学校に着いた。彼女と話していると、時間があっという間に過ぎた。こんなに楽しかったのは、かなり久々な気がする。

 ……相手は、幽霊だけれど。

「いやぁ、やっぱり、入りたくないなぁ」

 校門の前まで来ると、気持ちが急速に萎んでしまう。今は、給食の時間だろうか。教室に入った時の奇異の視線が、容易に想像できる。

「何言ってるんですか。学生の本分は勉強ですよ。ほら早く、お姉さんが付いて行ってあげますから」

「あの……お姉さんって、ほかの人には見えるんですか?」

「え?見えますよ。さっきも、振り返っている人がいたでしょう?」

 あれ、僕を見ているんじゃなかったのか。そりゃそうだ。僕に見えて、ほかの人に見えないわけがない。僕は特別な存在ではないのだ。

 クラスメイトに彼女を自慢したい気持ちはあるけれど、そういうわけにもいかない。そして何より、彼女は僕のものではないのだ。

 我ながら、気持ち悪い思考回路をしているな、と思う。

「……うん。大丈夫です、ここまでで。短い、本当に短い間でしたけど、ありがとうございました。また、どこかで」

 振り返ると、寂しくなってしまいそうな気がして。僕は、教室まで、全速力で駆け抜けた。


「行っちゃった」

 彼の背中が、見えなくなった。結局振り返ってくれなかったけれど、最後に、また会いたいと言ってくれた。

「これは、必要とされているかどうか、微妙なラインだなぁ」

 成仏は、当分先かな。無意識に口をついて出たその言葉を反芻しながら、たまにはおしゃれでもしようかな、と思った。どうせ彷徨うなら、楽しまないと損だ。

 幽霊だって、生きているのだから。

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白昼夢 夕凪 @Yuniunagi

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