SUMMER FALL #14

 覆面パトカーを警察病院の前に乗り付けた甲山は、手術を終えた蓑部が運び込まれた病室に入った。広めの個室の奥に鎮座ちんざするベッドに、腹部を分厚い包帯で固定された蓑部が横たわり、そのかたわらに草加と仲町が立っていた。甲山はふたりに目配せしてから蓑部に近寄った。仲町が小声で告げる。

「医者から五分だけって言われてます」

 甲山が無言で頷くと、仲町は軽く会釈して病室を出た。その背中を見送ってから、甲山は草加が側から出して来たパイプ椅子に座り、つとめておだやかな口調で蓑部に話しかけた。

「何で、あんな無茶したんだ?」

 蓑部は生気の薄い目で甲山を見ると、溜息混じりに答えた。

「もう、生きてても仕方ないと思って」

「やっぱり、あの時吉成にわざと刺させるつもりだった?」

 後ろから草加が訊いた。蓑部はゆっくり頷いて続ける。

「七年前に、親父もお袋も立て続けに亡くなって、俺の肉親は祥子だけだった。祥子が東京で成功する事が、俺の希望で、生き甲斐だった。でも、あいつの所為でそれも無くなった、だからもう、この世に生きてる理由なんてひとつも無かった」

「だったら、何でわざわざ半年もかけて田辺美和と仲良くなったんだ? 吉成の秘密を暴く為だったんじゃないのか?」

「そうそう、それで野郎の売春の証拠を手に入れようとしたんだろ? それなのにどうしてあのを突き落としたりしたの?」

 甲山と草加が質問をたたみかけた。蓑部は甲山から視線をらして眉間に深い皺を作った。

「彼女を殺すつもりは、無かった。あの時は、俺が売春の証拠を貰おうとしたら、急に金を要求されたんだ、吉成にバレたら今の生活が全部パーになるから、そうなった場合の保証金をくれって」

「そんなこったろうと思った」

 鼻をすすりながら呟く草加の前で、甲山が尋ねる。

「いくらよこせって?」

「一千万。無理に決まってる、彼女に近づく為にあのキャバクラに通い詰めて、貯金は殆ど使い果たした。そう言ったら彼女、吉成にチクるって言い出して、それで、揉み合いになって、弾みで、彼女は落ちた」

 乾いた笑みを浮かべつつ、蓑部は明後日あさっての方向を向いたまま喋った。ふたりが二の句を告げずにいると、蓑部が再び喋り始めた。

「俺は慌てて彼女を介抱かいほうしに行った、けどもう死んでた。その場で彼女のバッグの中身を漁ったが、売春の証拠らしい物は入ってなかった。仕方なく、マンションの部屋のカードキーとスマホを持って逃げた。知り合ってから何度か彼女の部屋に入れて貰った事があるから、カードキーの事は知ってた。部屋に行って中を探し回ったが、やっぱり証拠らしい物は見当たらなかった」

「それでスマホの中にあると思った訳か」

 甲山が訊くと、蓑部はのろい動きで頷いた。

「あのスマホ、何度も開こうとしたけどどうしてもパスワードが判らなくて」

「それで、売春で吉成を告発するのは諦めたって訳?」

 今度は草加が訊いた。

「告発と言うより、その証拠を警察に渡して、あいつを社会的に抹殺してやろうと思ってたんだ。その方が、祥子だけでなく同じ目にった子達も少しは救われるんじゃないかってね。でも、証拠が出せないんじゃあいつを逮捕させる事はできない。だったら――」

「自分を殺させて、殺人罪でパクらせようとした」

 蓑部の言葉を、甲山がさえぎった。その直後、蓑部の双眸そうぼうに涙があふれた。

「もう少し、もう少しであいつを、アンタ達さえ邪魔しなければ」

 声を震わせる蓑部に、甲山が厳しい口調で言った。

「そんな事したって、妹さんは喜ばねぇだろ。お前まで死んじまったら、誰が妹さんがこの世で必死に生きてた事を、どんな思いで死んで行ったかを覚えておけるんだ? 逃げるなよ」

「そうそう。罪をつぐなって、故郷ふるさとに帰って妹さんをとむらってやんなよ」

 後ろから草加が明るい口調で言うと、蓑部は右手で顔をおおってむせび泣いた。指の隙間から、言葉が漏れた。

「す、すみません、でした」


 翌日、刑事課分室では事件解決を祝して五人が宅配ピザを囲んでいた。

「そう言えば、蓑部が言ってた吉成の売春の証拠って、ホントにあったの?」

 草加が誰にともなく訊くと、ピザをひと切れ頬張った仲町が答えた。

「ああ、それ鑑識が調べたんですけど、田辺美和のスマホそのもの、つまり本体のメモリやSDカードにはそれらしい物は見当たらなかったんですって」

「じゃあ、彼女のハッタリ?」

 草加の更なる問いに仲町は首を横に振った。

「いや、それがクラウドに隠してあったそうです」

「クラウド? 何だそりゃ?」

「知らないんですか草加先輩? クラウドは、ネット上にある鍵付きの倉庫みたいなもんで、パスワードさえ知ってれば誰でも中のデータを見られるんですよ」

「なるほど。そのクラウドに入れといて、取引の材料にしようとしたって訳か」

 ピザを咀嚼しながら甲山が言うと、草加が応じた。

「女はしたたかッスね」

「だな」

 ふたりは目を合わせて笑い合った。次に、缶コーヒーを片手にした鴨居が切り出した。

「いや〜しかし、吉成のアレにはビックリしましたねぇ室長」

 話を振られて、己のデスクの端に尻を置いてピザをつまんでいた目黒が応じた。

「ああ。『ひと目惚れだった』って奴か」

「ええ〜!? そんな事言ったんですか? うわ〜見たかったなそれ」

 仲町が残念がると、甲山が椅子を回して言った。

「いい年こいたオッサンのカミングアウトなんて目の前で聞くもんじゃねぇぞトオル」

「言えてる」

 草加が相槌あいづちを打ち、全員が一斉に笑った。そこへ、硬質な声が割り込んだ。

「お楽しみの所失礼」

 五人が声の方向に目を向けると、島津がウエスタンドアを押し開けて分室に入って来た。目黒が居住まいを正して島津に尋ねた。

「署長、何か御用ですか?」

 島津は目黒に向けて微笑混じりに右掌を出して制すると、おもむろにジャケットの内ポケットから一枚の長方形の紙を取り出して甲山の前に置き、静かな口調で告げた。

「甲山主任、これは経費けいひでは落ちないそうですよ」

「え?」

「何スかコーさん?」

 甲山が取るより早く、草加が紙をひったくった。紙の正体は、先日甲山が客として訪れた『Red Rose』の領収書だった。金額は二万三千円、内容は飲食代と記載されていた。

「あーっ! コーさんいつの間に!?」

「あ、オイ返せ草加」

慌てて椅子から立ち上がって領収書を取り返そうとする甲山をかわして、草加が目黒に領収書を渡した。額面を見た目黒が甲山を睨みつける。

「甲山! どう言う事だこれは!?」

「いや、それは、その、捜査の一環で」

「とか何とか言っちゃって、本当はキャバクラで飲みたかっただけでしょ」

 仲町が突っ込み、鴨居が隣で大きく頷く。その騒ぎを暫く眺めていた島津が、「じゃ、僕はこれで」

と踵を返した。

「あ、ちょっと待ってくださいよ署長! お願いしますよ」

 島津に追いすがる甲山の後ろで、目黒が領収書で紙吹雪を作ってバラ撒いた。


〈『SUMMER FALL』了〉


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リバーサイドコップ 松田悠士郎 @IDEA_JAM

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