衝撃的な展開で引き込まれていきます。
でもでもこんな事は誰にも起こり得るのです。
昨日まではテレビから見てるだけの傍観者だったのに、ある日から見られる側に回る。それは本当に運次第なんです。
そんな時に考えて欲しいのは、事実と真実は違うと言う事。
事実はそのままありのまま。人間が死んだ、この一点です。
でもね、真実は人によって違う。虐待を受けてたので復讐した?それだって立場によっては、考え方によっては、どうにでもなるのです。
ルポライターのオッチャンは言います。「真実はお空の上さ」そうなんです、真実を追っても追いつけない。それよりも事実だけを淡々と積み上げる事。
その事を、少年Aの友人Bは知るのです。
是非、あなたもルポライターになってみて下さい。
『一家殺人事件の犯人は、僕の友人でした。』
あまりにも強烈なキャッチコピーに目を引かれた。
なお、作品タイトルは『少年Aの友人B』、
エピソードタイトルは『少年A』『友人B』である。
いずれも無駄が極限まで削ぎ落とされ、インパクトの強いタイトルになっている。
ストーリーのほうもインパクトが強い。
ある日、一家殺害事件が起こる。
容疑者として逮捕されたのは、その家の息子。
マスコミたちは容疑者の通っていた高校へ押しかけ、インタビューをしようと生徒たちに迫る。
主人公Bは、容疑者Aの友人である。
彼はマスコミに対して固く口を閉ざしていた。
しかし、怪しげなジャーナリストに声をかけられる。
話を聞かせて欲しい。アルバムも提供してほしい。五万出せる。
そんな話をされる。
一度は断るものの、ジャーナリストは食い下がる。
君が話さなくてもどうせ他の奴が話す。
そんな奴らに金が渡るのは悔しくないか、と。
ここまでの展開で、すでにぐいぐい引き込まれる。
なによりも、文章がうまい。
たくさんの生徒たちが、吸い込まれるように校門へと向かっている。
みんな一様にうつむいている。
そこへ、レポーターの群れがマイクを突きつける。
そのような光景が、ありありと浮かんでくる。
あまりにもリアルな臨場感。
「小説を読んでいる」というよりも「自分がその場に立って一部始終を目撃している」ような感覚すらある。
「もしかして同じ光景を見たことがあるのか」と作者に尋ねてみたくなる。
そして、そこまでのめり込むように読ませておきながら、最後はバッサリと終わらせているところがすごい。
初めて読んだときには「うわあああ、やられたあああああ!」と思った。
こんな終わらせ方、度胸がないとなかなかできないのではないだろうか。
この作品は「読み終えてから始まり」だと思う。
「ああ、面白かった。飛鳥休暇先生の作品は今回も名作だったなあ!」では終わらせてくれない。
読後は、強烈な思考の嵐が吹き荒れる。
「この言葉を吐き出したBの気持ちは……」
「同じ状況に置かれた場合、自分なら……いや、でもなあ……」
「世間ではこう言われがちだけど、自分の意見はどうだろう」
「作者の意図するところは……」
「この記事、Aが目にすることは……」
などなど。ひたすら考え続ける。
正解はない。正解がないから考え続ける。自分なりの答えが見つかるまで考え続ける。
たった2,600文字あまりの作品。
しかし「短い」わけではない。
読者は、この作品を読み終えた直後から、自分の心に自分の言葉で続きを書き始めることになるだろう。
むしろ、作品が短いのは「それ」を書くためのスペースが空けてあるだけに過ぎないのではないか、とさえ勘繰ってしまう。
この作品には、さまざまな問いかけが隠されている。
たとえば、「ジャーナリズム」について。
近年、マスコミというものは印象が悪くなる一方だと感じる。
そんなマスコミやジャーナリズムの在り方について、こう問われているように思う。
「ふむ。あんたは昨今のマスコミの在り方に問題があると思っているんだな。……それでは教えてくれ。あんたは一体どのようなマスコミだったら称賛するんだ?」
あるいは、情報提供者について。
「なるほど。マスコミにアルバムを提供する奴が許せないと? プライバシーの侵害だ、マスコミに餌をやるなと、そう言いたいんだな。……では、こういう状況ならどうだ? それでもあんたは奴らに情報を渡さないと言い切れるのか?」
あるいは、殺人について。
「一家殺害と聞いて恐いと思うのは簡単だ。だが、もし犯人が両親から長年にわたり酷い虐待を受けていたとしたら? 親を殺さねば自分が殺されてしまう、そのような状況だとしたら? あんたは大人しく殺されてやるとでもいうのか?」
あなたなら、それらの問いかけにどう答えるだろうか。
今回ご紹介した『少年Aの友人B』で飛鳥休暇さんの作品に興味を持たれた方は、こちらもお勧めしたい。
『紫煙の勇者と狂った世界』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892952865
良くも悪くも強烈なインパクトのある作品である。
この作品を読むと、私は顔をしかめてしまう。
けれど、これは作者からの問いかけなのではないかと思う。
「もしこうでもしなければ生きていけないとしたら、どうする? それでも綺麗事を言うのか?」と。