第17話:それが貴方の望みでも
BARカゲロウの地下居住部屋から、オリビアの侍女であるソフィアが上がってきたのはそろそろ夜が明ける頃だった。
「お嬢が目を覚まさない原因が分かったって……!?」
ソフィアからの報告に、オスカーは声を上げる。
「はい。お嬢様は、現在進行形で精神干渉を受けている可能性があります」
「どこのどいつだ」
怒気を孕んだアイザックの声に、ソフィアは瞳を伏せて首を横に振る。
「微弱でしたが、人間の霊力が感知できました。どこの誰かの特定はできず……」
「人間が、どうしてお嬢に……?」
困惑の声を上げたルークに、アイザックが瞳を細めて呟く。
「野薔薇か?」
「待て待てアイザ。それはない……いや、そんな馬鹿なことがあってたまるか」
それはもう協定破棄に等しい行為だ。
野薔薇が陽炎一族を敵に回すような真似をするとは考えにくい、いや思いたくはない。
「ツバキさんに聞いてみる?」
ルークの提案に、具合が悪そうな様子だったから帰らせたが、呼び戻した方がよさそうだと同意したオスカーは簡潔にツバキの端末へ連絡を入れる。
「ソフィア、他に何かわかったことは?」
「精神干渉って、具体的にどんな?」
「おそらくは……記憶への干渉かと思われます。記憶を覗くものか、記憶を消す、または改ざんする類のものかと」
ソフィアの言葉を聞いて瞠目したオスカーとアイザックは、考え込むように黙り込む。
「えーっと、つまり……もしかしたらあの夜お嬢は、何か見てはいけないものを目撃してしまっていた、とか?」
首を傾げたルークに、その可能性はあります、とソフィアが頷く。
「なんにせよ、お嬢様に与えられた加護がそれに抵抗している影響で、目を覚まさないのかと思われます」
「術を返すか、解除することは?」
「かけられた術式の詳細がわからないので、現状不可能です」
もどかしげに告げるソフィアに、アイザックがふと呟く。
「おい……記憶に干渉されてんのは、オリビアだけか?」
「はい?」
「あの崩落現場で、気絶する前のあいつと最後に居合わせたのは、俺と、白薔薇の小僧だ」
その時はまだ、オリビアに異常はなかったはずだ。
術をかけられたのが、崩落に巻き込まれて気絶した後だと考えた場合、可能性がないわけではない。
「アイザ……何か、思い出せないことでもあるのか?」
「心当たりはねぇが……違和感はずっとある」
記憶に欠落は見当たらない、いや上手く改ざんされていたとしたら、思い当たらなくて当然だ。
一番あやふやだと言い切れるのは、直近の崩落事故の記憶だろう。
「現場に行って確認した方が早いか」
『……今向かってます』
ふいに、情報共有のために音声通話を繋げたままにしていた端末から聞こえてきたツバキの声に、オスカーは思わず焦った声を上げた。
「おい、馬鹿……!? もうすぐ夜が明けるぞ!」
『分かってます。でも、日没を待っていられません』
「……俺も行く」
触発されたように腰を上げたアイザックに、オスカーは制止の声を上げる。
「待て待て落ち着け! 焦った勢いで行動するな! おまえらはまず休息しろ!」
呼び戻しておきながら、ツバキは明らかに顔色が悪かったので帰らせたばかりだったし、アイザックだって調子が悪いと言って夜回りから戻って来たばかりだったというのに。
連絡しないほうが良かったかと、オスカーは内心後悔する。
「おちおち休んでられっか。着いたら向こうで休息する、それでいいだろ」
どうせおまえも眠れないだろう、と暗に告げるアイザックを見て、オスカーは止めても無駄かと諦めた。
オリビアのことが心配なのは皆同じだ、そんな状況で判明した新たな手掛かりに、じっとしていられるわけもないだろう。
「……くれぐれも無茶するなよ」
誰に言ってる、とアイザックは鼻で嗤って、店から出て行った。
***
結局ここに来る羽目になるとはな、とアイザックは自嘲した。
町外れの森の入口、ツバキと遭遇し一旦は引き返したその道を、今度は引き返すことなく直進する。
先へ進むごとに、やはり頭痛がひどくなる。
しかし、アイザックはもう足を止めることはなかった。
徐々に明るくなりつつある鬱蒼と生い茂る森の中を、迷うことなく駆け抜け続けた先に、ふと奇妙なものを目にする。
森の木々が開けた場所に、白い彼岸花が一輪だけ、ひっそりと咲いていた。
あまりにも場違いで季節外れのそれはまるで、立ちはだかる最後の砦でもあるかのように、静かに不気味に存在感を主張している。
本当にこの先に進むのかと、沈黙を携え問うてくる一輪の白い花を、アイザックは無言で飛び越え通り過ぎた。
足を踏み入れた崩落現場の廃墟を前にして、朝日が低いうちに回ろうとぐるりと周辺を観察したアイザックは、未だ形を残していた居住空間を発見した。
崩れた瓦礫で埋まった井戸、建物崩壊の余波を受けて荒れてはいるが、そこまで古くはない、ここで誰かが生活していた痕跡が残っている。
そう都合よく身元が分かりそうな代物は見つけられなかったが、元々そこまで荷物もないのか、生活に必要最低限の代物しか置いていなかったようにも感じられる。
元は協会だ、協会関係者が住んでいたのか、放浪の余所者が根城にしていたか。
「誰かがいたのは確実か……」
記憶に新しい崩落現場へ移動したアイザックは、先に到着して現場捜索をしていたであろうツバキを見つけて声をかけた。
「……この状況、どう見る?」
元は聖堂だというそこは、崩落して屋根がなく、ステンドグラスの窓は割れ、床のタイルはひび割れて、石壁も崩れ瓦礫の山と化している。
「どう見ても……戦闘痕でしょう」
崩れて足場の悪い床にしゃがみ込んでいたツバキは、折れた細剣の柄をひらひらとアイザックに示して見せる。
折れた銀の剣はそこまで古びていない、丁寧に手入れされよく使いこまれていた代物に見えた。
「ここで、誰かが戦っていた……?」
「……一般的に考えれば、野薔薇の祓魔師か狩人。でも、確認したところ、野薔薇の祓魔師がこの場所で討伐を行った任務記録も報告もありません」
「なら、狩人?」
「狩人に記憶干渉なんて高度な術式使える人材、いないと思うんですけどね……」
アイザックとツバキは険しい眼差しで崩落現場から一転して、戦場であったと思われる廃墟を見据える。
「何か残ってる匂いとか、気配とか、魔力とか感じ取れないんですか」
「時間が経っているからな……探ってみるか。おまえは、記憶干渉の術式を用いた霊力の痕跡を探せ」
「わかってます」
アイザックと二手に分かれて捜索することになり、術式が使われた形跡が残っていないかを探ることになったツバキは、潔くとりわけその手の知識に詳しい同僚の先輩を頼ることにした。
事前に現時点で分かっている情報を文字にして送っておいたら、現場に着いたら、映像通信のできる端末を起動するようにと返信が来ていた。
「……すみません、エニシダさん。今お時間貰えますか」
南の地ゲールに拠点を持つ【黄薔薇の庭】所属コードネーム、エニシダは、次期幹部候補とされる人間の祓魔師であり、アイリスに並びツバキの知り合いであり頼れる先輩でもある。
幹部候補ともなれば内部でも恨み妬みの反感を買う敵が多く、堅物眼鏡なんて心無い奴らに囁かれているが、ツバキはエニシダが真面目で優しい、努力家で博識な人間だということをよく知っていた。
『ツバキか。構わない、ちょうど手が空いていた所だ』
「突然すみません、術式に関してはエニシダさんが詳しいと思って」
『情報には目を通した。それが本当に記憶干渉の類の術式なら、どこかに媒介があるはずだ。術者の特定ができないのなら、それを探して壊すのが一般的には最善だろう』
エニシダの言葉を頼りに、日よけのフードを被りながら、断続的に日陰で休息をとりつつ、手あたり次第に廃墟を捜索していたツバキは、やがて瓦礫の隙間から微弱な霊力を感知した。
退けられる瓦礫を取り除いていき、手を差し入れて探った末に瓦礫の下から見つけたのは、一つの指輪だった。
術者不在でも起動し続ける遠隔操作、未だ淡く発光しているそれは、現在進行形で術の発動中であることを意味する。
「【分解術式】解析展開」
媒介である指輪を中心に、ぐるりと円を描くように文字列が浮かび上がる。
一目見ただけでわかる緻密で複雑な絡み合った展開式に、ツバキは絶句した。
「これは……俺の手には負えません」
『ツバキ、媒介と展開されている解析式をよく見せてくれ』
エニシダの指示に、ツバキは映像通信機を指輪に向ける。
「記憶干渉の類の術式、だと思われますが……俺には難解過ぎてわかりません」
使える使えないにかかわらず、ひと通りの術の知識はあると思っていたツバキだが、この小さな指輪に刻まれた展開式は見たこともない、初めて見るものだった。
『……だろうな。こんなもの扱える者などそうそういない……これは、大規模な封印術式だ』
「大規模……?」
『効果範囲はおおよそ町一つ分、術式効果は該当範囲にいる者の記憶の忘却』
エニシダの解説に、ツバキは息を呑む。
それが本当なら、オリビアだけにとどまらず、陽炎一族、いやウィスティリアの町の住民全員が対象範囲だ。
『媒介の破壊は止めた方がいい、忘却された記憶が二度と戻らなくなるだろう。記憶を取り戻したいのなら、時間をかけて解くしかない』
「俺に解除方法を教えてください」
勢い込んで頼み込んだツバキに、エニシダが鋭く問う。
『その前にツバキ、一体どういう事情でこの術式を使ったんだ?』
言葉の意味がわからず、ツバキは首を傾げる。
「え……? これの術者もわかったんですか?」
驚きの声を上げたツバキに、エニシダが眉を顰める。
『何を言っている? こんな封印術式を扱える者なんて、おまえと一緒にいる■■■■さん以外いないだろう』
エニシダの言葉に、ツバキは目を瞬かせた。
「誰ですって……?」
聞き取れなかった単語を訝し気に聞き返したツバキに、通信機の向こう側で瞠目したエニシダが沈黙した。
「エニシダさん……?」
何か考え込むような長い長い沈黙の後、「なるほどな」とエニシダが低く呟いた。
『……ツバキ。この術式は、本当に解除して良いものか?』
「どういう、意味です?」
『言葉通りだ。この術式は、おまえの記憶をも奪っている。それはつまり、おまえに覚えていてもらっては困ると術者が判断したのだろう』
「待って、待ってください……! 俺の記憶も、何か欠落していると……?」
動揺する内心とは裏腹に、脳裏を過るのはここ最近のおのれの悪夢、行動、違和感、頭痛、思い当たる節は、ある。
しかし一体だれが、どうして、何のために。
『そうだな。術者の不在とこの忘却を関連付けるなら、この場合考えられるのは……関係者を遠ざけるため、もしくは危険が及ばないための忘却措置か』
淡々と語るエニシダの声に、ツバキの思考は目まぐるしく回る。
「危険って……ここ最近、ウィスティリアの町では事件なんて何も起こってませんよ」
『そういうことになっているのか……ツバキ。この術式を解除して、おまえに記憶を戻して良いものか、そちらの現状がわからない私では判断がつかない』
どうする、と静かに尋ねるエニシダに、答えたのはツバキではなかった。
「――おい、ごちゃごちゃ言ってねぇで、できるならさっさと解け」
「アイザックさん……」
いつから聞いていたのか、振り返ったツバキを通り越し、アイザックが通信機越しにエニシダを睨み据える。
『……陽炎一族のリーダーか。たとえこれが、あなた方を守るための忘却だったとしてもか?』
エニシダの問いに、アイザックは不快そうに眉間に皺を寄せた。
「その独り善がりが気に入らねぇ。ひとの記憶勝手に奪った奴の都合なんざ知ったこっちゃねぇよ」
『あなた方が守る町が、危険にさらされるとしてもか』
「そうだとしてもだ」
エニシダの追求に、アイザックは即答する。
「……どこの誰だか忘れた相手に、知らないままに守られて、そうやって守られていることすら知らないまま、のうのうと平穏に生きているなんざ、御免だな」
複雑な表情になって告げるその声音はどこか、悲しげでもあり優しい柔らかな響きを帯びているようにもツバキには聞こえた。
「それに、そいつのせいでうちの姫が目覚めなくて困ってんだ……俺たちの記憶を返せ。その後で術者とやらを見つけ出してぶん殴ってやる」
『……野蛮だな』
低い声音でそう呟いて、深くため息を吐いたエニシダが、今度はツバキに問う。
『おまえはどうする。おまえが忘れた、おまえが慕うあの方の意に背いて、忘れた記憶を取り戻すか?』
淡々としていながら鋭くツバキに問うエニシダの声は、厳しくもあり優しい響きを帯びてもいる。
「……その人は、俺が慕っていた人なんですか」
『さて、どうだろうな。私にはそう見えていたが……真実はおまえにしかわからない』
ここ最近ツバキがずっと感じていた、胸に開いた空虚、寂寥、悔恨、焦燥。
この忘却が誰かの願望で、思い出すことがその誰かの意に反することになる。
守るための忘却、忘れられてもなお孤独な戦いを続けているであろう、その誰かへ。
ツバキは今、無性に腹が立っている。
きっと大事な記憶だった。忘れたくない記憶だった。それを消して、勝手に消えて、初めから何もなかったように、存在しなかったように、何もかも忘れて平穏な日々を過ごせと。
今のこの状況が、たとえ貴方の望みだったとしても。
「俺は、思い出したいです」
顔を上げ前を見据えて毅然と告げたツバキに、小さく頷いたエニシダはそっと静かに指示を出した。
***
時間はかかった。
それでも日没までに、忘却の術式はきちんと解かれ、解けて、アイザックたちは忘れていた記憶の全てを思い出した。
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