第10話:子爵邸での交戦②

 アイザックたちが隠されていた子爵の屋敷に到着した時には、すでに室内で戦闘が始まっているようだった。

「アイツ、勝手に先行しやがって……!」

 陽炎一族の到着を待つことなくおそらく単身で侵入したツバキに、ジョシュアが舌打ちする。

「……放っておけ。こっちはこっちで好きにやれ」

 こちらの縄張りに手を出したのだ、相応の報いを受けさせなければならない。

 同族相手といえど容赦する必要はない。

 だが、まずはルークを最優先に探して保護、すぐに撤退すように指示を出し、アイザックはジョシュアたちと別れて別行動をとる。

 敷地内でルークたちの独特の血の匂いはまだしていない、だからまだ二人は無事だろう。

 ジョシュアたちならすぐルークを見つけ出せるだろう、問題はもう一人、匂いも気配も希薄なユリウス神父を探す方が難しい。

 先行したツバキが最優先で探しているだろうが、アイザックはおのれの直感に従い子爵の屋敷内を捜索した。

 吸血鬼の貴族の屋敷だ、使用人も含め無駄に数が多い。侵入者排除に歯向かう、道中に遭遇した子爵の手下共は適当にあしらって葬った。

「おい、攫った人間はどこにいる?」

「貴様っ……! よくも、こんなっ……!」

 アイザックには一つ引っかかっていることがある。

 子爵の手下の吸血鬼共はハッキリ言って雑魚だ。

「質問に答えろ。攫った人間はどこにいる?」

「はっ……とっくに子爵様に献上さ、れッ……!」

 アイザックは手下の首を締め上げながら宙づりに持ち上げて冷ややかに問う。

「全員か?」

 低く問いながら緩やかに指の力を込めて行き、締め落とす直前で息も絶え絶えに手下が吐いた。

「の、……残りは、……き、北棟の、牢に……!」

 アイザックは手を離すと、床に転がった手下に無慈悲に止めを刺した。

 吐かせた情報の場所を目指しながら、やはり違和感があるなとアイザックは思考を巡らせる。

 この程度の吸血鬼相手なら、あの神父が後れを取ることはないだろう、と思う程にはアイザックはユリウスの実力を評価している。

 しかし、ユリウスはルークと共に子爵に捕まった。

 まだ何かある、あのユリウスがなにか不測の事態、手出ししなかった理由がなにか。

 手下の情報に嘘はなかったようで、アイザックは石造りの牢の中に拘束されていたユリウスを発見した。

 もちろん見張りの手下は塵にして、鍵を探すのもまどろっこしいので扉は力技でこじ開ける。

 牢の中に他に人間はいない、ルークの姿もない。

「おい、しっかりしろ」

 アイザックは、倒れていたユリウスの頬を軽く叩くが反応がない。

 いつ見ても顔色の悪い色白の肌に、一瞬嫌な予感が脳裏を過るが、口元に手をやって呼吸を確認すれば、浅いがきちんと息はしていた。

「おい、神父!」

 ユリウスが眠りの浅い人間であることは知っている、これはなにか無理矢理、薬か何かで意識を失くしている可能性が高い。

 アイザックは、ひとまずユリウスの手足を戒めている縄の拘束を解いてやる。

 ここは一旦、気絶しているユリウスを担いで屋敷から避難するか、と考えたアイザックが殺気を感じて振り返るのと、顔のすぐ横を通過した何かが背後からの敵襲を迎撃するのが同時だった。

「は……?」

 意識を失っていたはずのユリウスの足が前触れもなく鋭い蹴りを放って、アイザックの背後に迫っていた襲撃者の手から銀製のナイフを弾き飛ばした。


「痛ッ……こいつ、もう動けんのかよッ……!」


 聞き捨てならない台詞を吐いた襲撃者を、アイザックは振り返りざまに顔面を掴み上げて牢の壁に叩きつけると、襲撃者の喉を潰さないように加減しながらぎりぎりと締め上げる。

「雑魚だけじゃねぇと思ったんだ……てめぇか。こいつに何をした?」

「くっそ……吸血鬼一体くらい仕留めないと割に合わねぇ! ここまでして徒労に終わるのはごめんなんだよっ……!」

 何を言っているのかよくわからないが、襲撃者は人間だった。

 だが、一般人ではない。

【野薔薇】の祓魔師がアイザックを祓うことはないので、迷わずアイザックを襲撃してきたところを察するにこの人間、おそらく吸血鬼狩人(ハンター)だろう。

「もう一度だけ聞いてやる。こいつに何をした?」

 アイザックが狩人の顔面を掴んだまま、狩人の身体の真横の石壁を蹴り砕いて脅しをかけてやれば、途端に勢い良く喚いていた狩人が怯えて大人しくなる。

「ひいっ、な、なにって……? そ、その神父、催眠香で眠らなかったから、筋弛緩剤と麻酔、鎮静剤を追加で投与しただけだよ……! こ、こっちの邪魔してくるからッ……!」

 狩人は人間である。

 人間である以上、こちらに害をなしたとはいえ、殺してはいけない。

「三流狩人に、子爵は荷が重いだろ」

 面倒な規約に内心うんざりしながら、アイザックは気だるげに深いため息を吐いた。

 そして鋭利な殺気を込めて威圧してやれば、顔面を掴まれたままの狩人が怯えた悲鳴を上げる。

「相手の力量もわからねぇようじゃ、狩人失格だぞ小僧。……身の程をわきまえろ」

 殺しはしないが、今回の騒動に絡んでいる点に腹は立ったので、アイザックはぶん殴って狩人を気絶させる程度にとどめた。

 本当なら手足の一本くらいへし折ってやりたいところだった。

 発散できない苛立ちをぶつけるように、アイザックが殺気を放ちながら気絶した狩人を見下ろした直後、ふいに背後から伸びてきた腕がアイザックの首を掴んだ。

「――ッ!?」

 明確に頸動脈を絞めて落とそうとしているのを感じて、振り払おうとアイザックは腕を掴んで放り投げる。

「何の真似だ」

 受け身を取って着地した相手からの返答はない。

 驚いたことに、その目は閉ざされたままであったことに気づいて、アイザックは瞠目する。

「おい、神父」

 先ほどアイザックよりも早く襲撃者へ蹴りを放ったことといい、てっきりユリウスは目を覚ましたのかと思っていた。

 しかし瞳を閉ざしふらりと膝をつくその姿は、どう見ても意識があるようには見えない。

 操られている、いやそれならもっと早く襲ってきてもおかしくない。

 身構えているアイザックに追撃を仕掛けてくる様子もない。

 どういうことだ、何が起こっている。

 思考を巡らせながら、状況を思い返したアイザックは思いついた突拍子もない推測に、思わず眉間に皺を寄せた。

 この神父は、何に反応して攻撃をしかけてきたのだろうかと。

「あんた……」

 意識のない人間が、殺気だけに反応して無意識状態で迎撃してくるか、普通。

 刹那、覚えたのは憐憫か悲哀か。

 アイザックは、ユリウスの過去を詳しくは知らない。

 知らないが、壮絶なんて簡単な言葉で表せないような悲劇を経験しているのだろうことくらいはもう分かっている。

 はぁと息を吐いて身体の力を抜いたアイザックは、懐に常備している小さな火酒の瓶を取り出すと、ゆっくりユリウスに近づいた。

 予測通り、敵意ないものには反応せず身じろぎ一つしないユリウスの側に膝をついて、アイザックはユリウスの後頭部に手を添え引き寄せると上向かせ、小瓶を傾けて気付け薬代わりの火酒を口内へ流し込んでやる。

 原液で飲むようなものではない度数の高い酒だ、普通に呑み込めば喉を焼くだろう。

「うっ……ぐっ……げほっ」

 案の定、すぐに吐き出して咳き込んだユリウスの背を宥めるようにアイザックはさすった。

「……よぉ、目ぇ覚めたか、神父?」

「げほっ、……ど、して……あ、なた……が……?」

 夢から覚めたように瞬きを繰り返し、背を丸めて咽るユリウスがきちんと意識を取り戻したのを確認したアイザックはほっと安堵した。

「……ルーク、さん、は?」

意識を取り戻して即座に、おのれの身よりも他人の心配をするユリウスに、お人好しにもほどがあると内心でげんなりする。

「他の奴らが探してる」

 アイザックはここまでの経緯を簡単にユリウスに説明してやった。

 黙って聞いていたユリウスは、何度も深呼吸を繰り返しおのれの身体を落ち着かせるためか、身震いしながら両腕をさすった。

「寒いのか?」

 考えてみれば、気絶させた狩人が吐いた情報が正しいなら、ユリウスは複数の薬物をその身に投与されたのだ、なんらかの不調があってもおかしくはない。

 大丈夫かと尋ねたアイザックから、一歩不自然にユリウスが後ずさった。

「いえ、すみません……薬や毒への耐性はあるのですが……」

 アイザックから顔をそむけたユリウスが、どうやら催眠香との相性が悪かったようだと小さく呟く。

「……今、加減ができそうにないので……なるべく、近寄らないでください」

「は?」

 でないと貴方を攻撃してしまうかもしれない、と告げるユリウスのぞっとするほど無機質で虚ろな瞳に見据えられ、アイザックは思わず息を呑んだ。

 アイザックを攻撃してはいけないと頭ではわかっているのに、吸血鬼に対する防衛反応が過敏になっているようで、意識の切り替えがうまくできず身体が反撃しそうになるのだとユリウスが淡々と語る。

「……難儀だな」

 アイザックは大人しく従い、気休め程度にユリウスから距離を取った。

 尚も深呼吸を繰り返しながら、ユリウスは頭の中の情報を整理するように、アイザックが気絶させた狩人を見やって淡々とした口調を心がけながら告げる。

「……町で襲ってきた人々を指揮していたのは、そこの男です」

 そうだろうな、とアイザックは頷く。

「……何故、狩人が?」

「先ほどの貴方の説明から察するに、賞金稼ぎ目的でしょう。ルークさんを餌にして獲物を狩る予定だったとか」

 ユリウスを極力刺激しないように心がけて、アイザックは深く押し殺したため息を吐いた。

「もう一発ぶん殴っとくか」

「おやめなさい」

 気持ちはわかりますが、と呟くユリウスに、アイザックはこの後の予定を脳裏に思い描く。

「……外で仲間が待機してる。あんたは逃げろ」

「私も行きます」

 アイザックの言葉を間髪入れずに拒否したユリウスに、アイザックは瞳を眇めてじろりと眺めた。

「丸腰で吸血鬼に挑む馬鹿はいねぇよ。死にたいのか」

「死ぬつもりはありません。……私は、生きなければならないのだから」

 そう口にするユリウスの言葉と表情があまりにも矛盾に満ちていて、思わずアイザックの眉間にしわが寄る。

 一体どういう心持ちなら、今にも死にたそうな表情で、生きたいなどと口にできるのか、アイザックには理解できそうにない。

 ユリウスが丸腰であるのは事実なので、どうしたものかと思案したユリウスはふと床に伸びている狩人を見やった。

 あぁちょうどいいですね、と呟いてユリウスが狩人に近づいて側に屈みこむ。

「失礼。少々武器をお借りします」

 そんな断りを入れるや否や、ユリウスが狩人の装備や持ち物を物色し始めたので、アイザックはこいつ意地でもついてくる気だなと呆れた。

「おい……神父が追い剥ぎしていいのか」

「お借りしますと言いましたが? ……それに非常事態ですので」

 お借りした物を返せるかどうかはお約束できませんが、なんてしれっと言ってのけるユリウスを前に、アイザックは内心苛立つ。

 そんな不安定な状態の身体で共闘なんて、こちらとしてもあまりにもリスクが高すぎるし無茶が過ぎる。

「俺一人で十分だ。あんたはいらない」

「誰も貴方を手伝うとは言っていません。私は、ツバキくんと合流したいだけです」

 彼は一人でいると無茶をする、と呟くユリウスに、それはおまえも同じだろうとアイザックとしては言ってやりたい。

「だったら、おとなしく引っ込んでろ」

「人命救助に、人出は多い方がいいでしょう」

「あとは俺たちの問題だ。あんたには関係ない」

「巻き込まれた身としては、関係ないと言われたところで、引っ込むつもりもありませんが」

 ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。

 そんな屁理屈みたいな押し問答が続いて、アイザックは苛立ちを滲ませながら吐き捨てる。


「――矛盾してんだよ」


 ピクリと肩を揺らして反応したユリウスは、おそらく自覚があるのだろう、口を噤んで沈黙を返してきた。

「あんたが、関わるなと言ったんだ。なのに、あんたが首突っ込んでたんじゃ、世話ねぇな」

 痛いところを突かれたのだろう、押し黙ったユリウスだが、それでも見捨てることはできない、とばかりに小さく呟く。

「……わかっています。私は私で勝手にしますので、どうぞ放っておいてください」

 はぁ~この分からず屋め、とアイザックは何度目かのため息を吐いた。

「そういうことじゃねぇだろ」

「なんと言われようと、逃げるつもりはありません」

 確固たる意志を秘めた言葉に、結局折れたのはアイザックだった。

「めんどくせぇな、あんた」

「すみません。そういう人間ですので」

 目ぼしいものを物色し終えたのか、ユリウスが立ち上がる。

 アイザックにはわからない、いっそ憐れなほど悲しく重たい何かを背負わされて狂い立つその背に、アイザックは静かに問いかける。

「おい、神父……あんた自身が、なんか、やりたいこととかねぇのか?」

「はい?」

 言われた言葉の意味が理解できないとでも言いたげに、ユリウスがようやく振り向いてアイザックを見返した。

 アイザックは、ユリウスと同じ体質でいながら似て非なる無垢で明るいルークの姿を脳裏に思い描く。

「あれやりたいとか、これやりたいとか、どっか行きたいとか、……なんか願望ねぇのかよ」

 長いようで短い沈黙の後、返ってきたのはまるで迷子の幼い子どものような、戸惑いを滲ませた声だった。

「……わかりません」

「じゃあ、考えとけ。これが終わったらな」


 ***

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る