第11話:子爵邸での交戦③


 貴族の屋敷というだけあり、豪奢な室内は広く複雑で迷路のようだとルークは走りながら思った。

 ツバキが付けてくれた道案内の術式、白薔薇の花びらの導き通りに、ルークは息を切らせながらも足を止めず、屋敷の外へ向かって走り続けている。

 ツバキが屋敷へ侵入した抜け道をたどっているおかげか、見張りも追っ手もあらかた排除されているようで、ルークが吸血鬼と遭遇することはなかった。

 ただ、ルークの気持ちだけが焦っている。はやく、はやく助けを呼ばないといけないのに。

 ツバキを子爵の下に残してきてしまった、一緒にいたはずのユリウス神父の行方も分からない。

 陽炎一族の者たちが近くに来ているとツバキが教えてくれたので、ルークは指笛を吹いてジョシュアを呼ぼうと試みたが、残念ながら音が届いていないのか一向に来る気配はなかった。


「止まれ人間」


 ふいに進行方向に影が差し、執事服の吸血鬼がルークの前に立ちはだかった。

 しまった、焦るあまり指笛を鳴らしたのが迂闊だったことをルークは悟った。

 子爵の手先の者に違いないだろうが、男が浮かべた邪悪な笑みに、ルークの背筋が震える。

 せっかくツバキが逃がしてくれたというのに、ここでつかまったら助けを呼べない。ツバキを助けに行けない。

 じりと後ずさるルークに、男がゆっくりと歩み寄ってくる。

「逃がしはしない」

 詰め寄ってくる男に、ルークは反射的に逃げようと踵を返すが、一瞬で距離を詰められ、首を掴まれかけたところで、パチリと小さな音が響くと共に男がはじかれたように手を引っ込めた。

 ルークはハッとして、ポケットから神父に渡されたロザリオを取り出した。

 それを見た男が忌々しげに舌打ちする。

「……やっかいなものを持っている」

 ルークを守護するように結界が展開されていた。

 ロザリオに施された力による防壁が、ルークに触れようとした吸血鬼の気配に反応してはじいたのだ。

 ルークがほっと安堵したのもつかの間、焼け焦げた指を見つめながら、男は薄く笑うと銃を取り出し、ルークに向けて引き金を引いた。

「――ッ!」

 結界と弾丸が衝突し目の前で火花を散らした。

 力ずくで結界を破壊しようとしているのか、とルークは内心焦る。

 吸血鬼相手に鉛玉は効かないが、人間に当たれば大怪我、下手をしたら致命傷だ。

 ルークは目の前ではじかれる弾丸と結界の衝突に、思わず身をすくめた。

 そんなルークを見やりながら、男が淡々と告げる。

「大人しく贄となれ」

「……はい、わかりましたって従うと思う?」

 怯みそうになる心を叱咤して、引きつった笑みを返しながらルークは男を見据える。

 今は逃げることが、そして助けを呼ぶことが先決だ。

 ルークは指笛を高く吹き鳴らした。

 そんなルークの行動に一切動じることなく、尚も結界に向けて発砲しながら男は一人語りのように語る。

「陽炎一族に、レアブラッドがいるとは……ただでさえ、希少価値の高いモノなのに、それを独占している。だから……子爵様はそれを奪うことに決めた」

 歪んだ笑みを向けられたルークは背筋がぞっとした。

「ねぇ、あんたたちはその話……俺のことを、誰から聞いたの?」

「教える義理はない」

 ルークの手の中のロザリオが小刻みに振動し始める。

 結界が破られるのも時間の問題かもしれない。そうしたら、自分はこの吸血鬼に捕まるのか。

 頭の中で逃げる算段をしながら、時間稼ぎも狙ってルークは男に言い返した。

「彼らは……陽炎一族のみんなは、俺をモノ扱いしない」

 人間、吸血鬼。確かにそれは相いれない存在なのかもしれない。

 しかし、陽炎一族は、人との共存を望む吸血鬼集団だ。

 返答がくるとは思っていなかったのか、皮肉気に唇の端を釣り上げた男は嘲笑うように告げる。

「それはそれは……所詮、我ら吸血鬼にとって人間など、食料にしか見えないだろうに」

「違う!」

 そうかもしれない、という気持ちはある。それを完全に否定することはできない。

 けれども、ルークにとって陽炎一族は大切な仲間であり、家族だ。脳裏に浮かんだのは、いつも気だるげな表情をしているアイザックと、なんだかんだで面倒見のいい親代わりの存在であるバーのマスターことオスカー。

「狼と山羊は、友達になれないと思う? 兎と狸は? 猿と蟹はどう? 人魚が領主を務めてる街があるって知ってる? あの【野薔薇】に人狼がいるって話も、俺は聞いたことがあるよ」

「何が言いたい」

「勝手に俺たちのこと、決めつけないでよ」

 ふとルークの視界の端で、ふわりと浮遊していた道標の白薔薇の花びらが力を失ったように地に落ちた。

「えっ……?」

 それは、ツバキがかけてくれた道標の術式が解けたことを意味し、ルークの中で動揺が走る。

 囮役を買って出たツバキの身に、何かがあった。

 焦燥感に煽られたルークを嘲笑うように、無慈悲にルークに向けられる男の銃口。

 最後の一発をはじいた直後、手の中のロザリオが砕け散り、結界が破られた。

 破られた結界に息をのんだのもつかの間、ルークは踵を返して距離をとろうとする。

 けれども、逃げようとした腕を男に掴まれ、強い力で床に引き倒された。

「――ッ」

 背中を打ち付け一瞬だけ息が詰まった。

 起き上がる暇を与えず、倒れたルークにのしかかってきた男の手が、首にかけられる。

「逃がしはしないと言っただろう」

 長く伸びた爪が皮膚に食い込む感触にルークは顔をしかめる。

 逃げ出そうと足掻くが力づくで押さえつけられ、ここまでか――とルークが小さく歯噛みした刹那、耳をつんざく超音波が空間に広がった。

「――ッ、なに?」

 突然、黒い弾丸のごとく猛スピードで下降してきた蝙蝠が、男に襲いかかった。

 男は、ルークから飛び退って視界を遮るように顔面にまとわりつく蝙蝠から目を守りながら、舌打ちとともに振りかざした鋭利な爪が羽ばたく蝙蝠の翼をかすめた。

「――ジョシュアッ!?」

 バランスをくずした蝙蝠にルークが叫んだ直後、爆発音とともに前方通路の屋敷の壁が外から破壊された。

 瞬間、開いた壁穴から侵入し猛スピードで距離をつめてきた一つの影。

 男目掛けて飛来するナイフ、さらに追い打ちをかけるように、鋭利な複数の針が続けざまに男を襲う。

 後退しながら男はおのれに襲い来る攻撃をかわしていった。


「――ウチの身内に手ぇ出して、タダですむと思ってないよな?」


 呆然としていたルークの耳に、馴染みのある声が響いた。

「マスター……!」

 男が忌々し気に舌打ちする。

 身を起こしたルークは、救援に現れた仲間の姿を見とめて安堵した。

「大丈夫か、ルーク!」

 無事を確認する言葉に、ルークは苦笑を返して答えた。

「ギリギリセーフだよ」

 できれば、もっと早く来てくれると嬉しかったけど、という言葉は内心にとどめておく。安堵のあまり腰が抜けて立てそうにないが、こうして助けに来てくれただけで感謝だ。

「……陽炎一族か」

 吐き捨てるように呟いた男は、不利を見て取ったのかジリと後ずさる。

 オスカーが赤みを帯びた瞳で牽制するように男を睨みつける緊迫した空気の中、突如急襲した銀の弾丸が男の体内で弾けた。


「――は?」


 ルークの目には、突然男が呆然とした様子で血を吐いて倒れたようにしか見えなかった。

 瞬く間にさらさらと灰になって散った吸血鬼の最期に、ルークは何が起こったのかわからず目を瞬かせるしかない。

 オスカーだけがぎょっとしたように背後を振り仰ぎ、崩れた壁の向こう側、外に視線を向ける。

「ポイズンアップル……!」

 毒林檎、と恐ろし気に呟いたオスカーを見上げてルークは首を傾げる。

「えっと……マスターのおかげ?」

「いや、今のは俺じゃない……」

 今のは間違いなく屋敷の外、それも森の中からの狙撃だ、しかも超長距離狙撃。

 そんな芸当ができる祓魔師の情報が、オスカーの脳裏を過った。

 おそらくツバキの救援要請に近場にいた祓魔師が応じたのだろう、まさか【赤薔薇】の祓魔師が来るとは思ってもいなかったが。

 これはまた恐ろしい助っ人が来たものだと、幾分引きつった表情でオスカーは口を噤んだ。

「ジョシュア、大丈夫?」

 ふらふらと飛んでいた蝙蝠に、ルークが心配そうな眼差しを向ければ、蝙蝠はまだ大丈夫とでも言うように、屋敷の外へ偵察に飛び立っていった。

「とりあえず、今のうちに逃げるぞ」

「えっ……あ、うん」

 少しだけ気がかりそうにルークは、ジョシュアが飛んで行った方向を見つめる。

「掴まれ。一気に飛んでく」

 心配そうな顔をしているルークを抱え上げると、オスカーは高く跳躍し、壊した屋敷の壁を乗り越えて外に脱出する。

 そのまま徐々にスピードを上げながら身軽に移動していく。

「マスター、神父さんとツバキさんがまだ……」

「わかってる。そっちはたぶん、アイザが何とかするだろう」

 ルークは壊れたロザリオを握りしめ、オスカーに身を預けながらもユリウスとツバキの無事を祈った。

「まったく、おまえは――」

 他人の心配ばかりだな、とふいに呆れたような声音が聞こえたかと思うと、オスカーの顔が近づき、首筋に薄く刻まれた爪痕から滲んだ血を舐めとられる。

「ちょっ……何、マスター」

 肌に触れる舌と唇の感触にくすぐったさを覚えながらも、ルークからするとそれは決して嫌な感覚ではなかった。

「あんまりケガするなって言ってるだろう……まぁ特に問題なさそうだな、あとで消毒してやる」

「ありがとう、絆創膏張ってればそのうち治るよ」

 へらりと笑うルークに、オスカーは苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 確かにレアブラッドは、常人よりも治癒力が高い。

 吸血鬼ほどではないが、傷の治りが異様に早いのである。

 だからといって、そう簡単にほいほい怪我をされても困るのだが。

 屋敷の外の森の中、枝から枝へと跳んで移動しながら、オスカーは片手で端末を操る。

 それを見たルークがオスカーにしがみついたまま首をかしげた。

「あれ? 端末使える?」

 ユリウスと逃げている途中、端末が使えなかったのだ。

 だから助けを呼べなかったというのに。

 陽炎一族にルークの無事を連絡しながら、オスカーが答える。

「電波障害の件だったら……ジョシュアたちになんか怪しい機械発見したら、片っ端からぶっ壊すように言っといたからな」

「さすがやること早いなぁ……」

 安堵のため息を吐けば、同時に今まで堪えていた震えが手の平に蘇る。

「……ごめんなさい」

 申し訳なさそうに謝るルークに、オスカーは優しく微笑んだ。

「もう慣れた」

 あっさりと放たれたオスカーの言葉がルークの胸に響く。

 嬉しいような、けれどもおのれの体質のせいで迷惑をかけてしまうことが悲しいような、ルークは曖昧な気持ちになった。

 それでも、助けにきてくれたという事実は単純に嬉しくて、ルークはそっと微笑んで呟いた。

「マスター、ありがとう」

 助けに来たのは俺だけじゃないけど、と苦笑を返したオスカーにルークは、そうだね、といつものようにからりと笑った。

「ほら、スピード上げるから舌噛まないよう気を付けろ」

 言われたとおりに口を閉ざしたルークは振り落とされないように、オスカーにしがみつく。


 ルークは無事に救出できた。

 疲弊はしているようだが、元から体力の少ない軟弱な人間だ。

 大怪我をしている様子もなく、オスカーは内心でほっとしていた。

 あとは、ユリウスとツバキのことも気がかりだが、そこは屋敷内にまだ残っている者たちとアイザックに任せるしかない。

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