第4話:祓魔師組織【野薔薇】

 コードネーム:ツバキ

 所属:白薔薇の門

 担当区域:ウィスティリア

 現在の任務:元コードネーム・リコリスの護衛および定期報告


***


 【野薔薇】とは、神代かみしろが総司令を務める、人に害をなす吸血鬼を討伐することを目的とした祓魔師組織である。もともとは人間のみが所属していた組織だが、二年前の吸血鬼との抗争で多くの人的被害を受け、現在では戦力増加のため元人間の吸血鬼もメンバーにいる。創設時は女性祓魔師も所属していたが、今はおらず、現在入隊資格があるのは男のみである。

 ヴェルメリオの地にある【赤薔薇の城】を中央本部とし、西の地ヴァイスに【白薔薇の門】、南の地ゲールに【黄薔薇の庭】、北の地ビオラに【紫薔薇の園】、東の地にカエルレウムに【青薔薇の塔】、という五つの拠点をもつ。

 所属する祓魔師には、全員コードネームが与えられ、本名は名乗らないのが規則である。彼らは所属する拠点が冠する色のラインが入った制服を身に纏い、通信機能を兼ね備えるその色の薔薇のピアスの着用するのが基本だ。

 ツバキは、半吸血鬼でありながら、祓魔師組織【野薔薇】に所属している。

 いや、順番が違う。

 ツバキは元々祓魔師として【野薔薇】に所属しており、そこで当時【白薔薇の門】の幹部を務めていたコードネーム・リコリスこと、現在のユリウス神父と知り合った。そして五年前の事件で、同期や同じ【白薔薇の門】所属の仲間を全員失い、ただ一人だけ吸血鬼化したことで生き残ったのだ。

 吸血鬼は、大きく分けて、生まれた時から吸血鬼である純血種と、元人間で吸血鬼化した転生種の二種類いる。見た目は人間と変わらないため、識別は難しく、特徴と言えば感情が昂ると瞳が赤く光ることか。日の光を浴びると灰になり滅びるため、彼らは基本的には夜行性である。

 転生種は、吸血鬼に噛まれ、半吸血鬼の期間を経て、完全に吸血鬼化した元人間を指し、ツバキが吸血鬼化したのは五年前なので、彼はまだ半吸血鬼である。

 人間が吸血鬼化する確率はかなり低い。大抵は全身の血を抜かれて亡くなるか、又は、吸血鬼化しても理性を失い暴走して自滅する場合が多い。

 ツバキは、五年前の事件以来、【野薔薇】を脱退したユリウスを護衛するという表向きの任務のもと、ただ個人的な意思で付き従う形で彼に同行している。

 そして不定期に呼び出しを受けた際は、所属の拠点である【白薔薇の門】へ経過報告も兼ねて戻らなければならない。

 ツバキとしては、くだらない呼び出しでユリウスの傍を離れたくはない、というのが本音であった。


「……どんだけ人手不足なんだよ」


 久しぶりに戻ってきた拠点で、一時的な門番の役割を押し付けられたツバキは、広場に集められた新人たちを気だるげに眺めた。

 五年前の事件の際、所属する祓魔師がいなくなった【白薔薇の門】は、以降、現役祓魔師たちの拠点ではなく、志願してきた新人祓魔師を教育するための場所となった。

 他方に所属している知り合いはいるが、かつてここにいたツバキの同期も知っている顔も、もはや存在しない。

 そんな拠点に戻ってきたところで、当たり前だが、見慣れない顔ばかりだな、と疎外感を覚える。

 もうここは、かつて存在した自分の居場所とは、まったくの別物になってしまった。

 交代要員が来るまで、新人指導をぼんやり眺めていたツバキだが、これが新しい未来の戦力ねぇ、とため息をつきたくなった。

「……志願者の質も落ちたものだな」

 誰にともなく独り言ちる。

 吸血鬼の活動時間帯は夜だ。そのため、夜に動けるようになるために祓魔師の訓練も日が落ちてから始まる。

 昼夜逆転の生活に、初めは慣れない者が圧倒的に多い。

 休憩時間なのか、指導員がいなくなった途端、緊張感に包まれていた空気が緩み、だらだらとくだらない雑談が広場に満ちる。

 大して興味もないので適当に聞き流すことで雑音処理していたツバキだが、半吸血鬼であるため一般人よりは鋭い聴覚が、ふと不穏な会話を拾った。

「おまえ吸血鬼のくせに、よく志願してきたな」

「ここは、神聖な祓魔師の組織だぞ」

「おまえみたいな、バケモノが来るところじゃねぇよ」

 わかりやすい小者臭のする三人組に、二人組が絡まれている。

「……おまえ、今なんて言った?」

「やめろ、俺は気にしてない」

 掴みかかろうとした黒髪の少年を、もう一人の灰色髪の少年が肩を掴んで止める。

 話の流れから、この二人組の内、止めた灰色髪の方が、吸血鬼化した元人間か。

「何度でも言ってやるよ! ここは吸血鬼が来るところじゃねぇよ!」

「なんなら、俺が今すぐここで祓ってやろうか?」

 嘲笑する相手の言葉にも、まったく動じない灰色髪の少年は冷静な姿勢を崩さない。

「新人同士での無用な争いは、服務規程違反だ。……それに俺は、元人間だ」

 吸血鬼じゃない、と少年は堅い口調で呟く。

 少しはマシな人材がいたな、とツバキは内心で思いながら、あえて手は出さずに様子を見守る。

 あの二人組は、一人は人間、もう一人は吸血鬼なりたて、といったところか。

「元人間だろうが、吸血鬼に変わりないだろ!」

「協会側も、なんでこんなヤツの入隊を認めたんだか」

 おまえらの近くにもう一人、元人間で吸血鬼の現役祓魔師がいるんだけどな。

 未熟な新人たちが、ツバキの視線に気づくことはない。

「【赤薔薇の城】や【黄薔薇の庭】にだって、元人間の吸血鬼が祓魔師として所属しているって、指導員が言ってただろ!」

 何が悪いんだ、と黒髪の少年が声を荒げる。

「もういいよ、行こう」

 相手にするだけ時間の無駄だと、当事者である灰色髪の少年がこの中で一番冷静さを保っている。

 でも、と不満顔の黒髪の少年を宥めながら、灰色髪の少年は三人組から手っ取り早く距離を取ることを選んだ。

 小者三人組をまったく相手にせず、背を向けた灰色髪の少年に、三人組はわかりやすく武器を振り上げた。

 門番がいるというのに、よく堂々とそんなくだらない真似ができるなとツバキは呆れた。

 三対二は、さすがに卑怯だ。それに仲間同士で争うなどもってのほか。

 その武器は、気に入らない相手に向けるべきものではなく、人を害する吸血鬼に対して振るわれるべきものだ。

 席を外した指導員が戻ってこないので、ツバキは仕方なく仲裁に入った。


「やめろ」


 剣を鞘から抜くことなく、三人組の武器をその手から叩き落す。ついでに足払いをかけてひっくり返してやる。

 痛って、と悲鳴を上げてしりもちをついた三人組は、自分たちの身に何が起きたのかわからずポカンとした。

「なっ……なんだよ、あんた」

「おい、馬鹿っ」

 白薔薇のピアスに、白いラインの入った祓魔師の制服を着用しているツバキを見上げて、そんな言葉を口にできるのなら、もはや祓魔師として向いてないからやめたほうがいい。

「……元人間の吸血鬼を祓魔師として迎え入れることにしたのは、【野薔薇】の意向だ。それに従えないというのなら、さっさと辞めて家に帰れ」

 ツバキが【白薔薇の門】に所属する、一応新人からしたら先輩にあたる現役祓魔師だと、ようやく理解した三人組は慌てて謝罪し、ついでに二人組にも小さく謝罪してそそくさと離れて行った。

『……あ、ありがとうございます』

 残された二人組が、お騒がせしてすみません、とツバキに頭を下げる。

 それから、今まで冷静だった灰色髪の少年が、目を丸くしながらツバキを見て、おそるおそるというように尋ねる。

「あの、あなたも……」

「おまえ、なりたてか?」

 灰色髪の少年の言葉を遮るように問いかければ、はい、と真面目な口調で返ってくる。

「……俺は、人間に戻る方法を探すために、ここに来ました」

 灰色髪の少年の答えに、すぐさま隣にいた黒髪の少年も声を上げる。

「僕も、彼を人間に戻す方法を探すために、ここに来ました」

 ツバキの外見年齢は、吸血鬼化した五年前、十八歳の姿のままである。

 身長も見た目も、この二人組とそう変わらないところ見ると、彼らもそれくらいの年齢なのだろう。

 お互いがお互いを信頼し、支えあおうとしているこの二人の姿が、ツバキの目には眩しく映った。

「……死に急ぐなよ」

『はいっ!』

 そんなお節介を口にして、ツバキは二人組に背を向けて、また門番の仕事に戻った。

 らしくないことをしてしまったと、ツバキは自分自身に鳥肌が立つ。

 後輩指導なんて、向いてないにもほどがある。

 基本【白薔薇の門】を不在にして、ユリウスの護衛任務に就いているツバキとしては、毎日のようにどこかで吸血鬼討伐任務をしている他方の祓魔師をよそに、新人相手に先輩面なんてしたくないし、できないと思っている。

 もう面倒だから余計なことに首を突っ込まないで大人しくしていたい、というツバキの心情を嘲笑うかのように、鋭敏な聴覚がまたもや雑音を拾ってしまった。

 広場の片隅で、つるんでいるのだろう新人四人組が雑談をしている。

 しかもそれは、ツバキにとって地雷に等しい内容で。

「【白薔薇の門】って今、代理幹部らしいじゃん。手柄上げたら、幹部になれるチャンスがあるってことだよな」

 新人ごときが幹部になんて、そう簡単になれるわけがない。幹部になれる実力のある人材がいないから、代理幹部なのだ。

「いや、白薔薇が今も幹部不在なのって、前任のせいなんだろ?」

「そうそう、白薔薇の門の先代幹部は、最悪だったらしいぜ」

「知ってる、あれだろ、災厄? 災いを呼ぶ最悪の祓魔師だっけ?」

 ただの雑音だとわかっている、わかっているが、急速に心の内が冷えていくのを止められなかった。

 今自分がどんな顔をしているのかわからないが、自分の顔から表情が抜け落ちていくのがよくわかった。

「確か、自分だけ生き残って、吸血鬼に部下皆殺しにさせて、ここを壊滅状態に陥れたとか」

 よくもそんな噂話を鵜呑みにできるな。

「そのあと吸血鬼に怖気ついて、幹部辞めて逃げたんでしょ?」

 その話の根拠も何も、どうせ知らないまま口にしているのだろう。

「その幹部、実は吸血鬼と内通でもしてたんじゃないの? だって、当時の白薔薇が全滅したんだよね」

 自分たちに関係ないからって、憶測だけで何言ってもいいわけじゃない。

「そうそう、たった一人の吸血鬼が白薔薇を全滅させたって話だけど。その幹部が、敵を招き入れたんじゃないの?」

「あぁ、だから災いを呼ぶってこと? 災厄の祓魔師?」

軽い笑い声が耳障りで、不愉快で、一体今の話のどこに面白い要素があったのか、まるでわからない、理解できない。


 あの人のこともあの事件のことも何も知らない分際で、好き勝手ふざけたこと抜かしてんじゃねぇよ。


「――オイ」


 気がついたら、その四人組を威圧していた。

 唐突に見知らぬ相手から殺気を向けられた四人組は、可哀そうなくらいガタガタ身体を震わせ、腰が抜けたようにへたりこんだ。

 わけがわからないまま、怯えた瞳でツバキを見上げてくる四人組を、剣の柄に手をかけながら氷点下の眼差しで見下ろしてやる。

「……くだらない噂話をしている余裕があるなら、少しでも鍛錬に費やせよ」

 低い声音で吐き捨てれば、恐怖に身体を震わせた四人組は黙ってコクコクと頷くしかなく。

 ツバキとしては怒りに任せて剣を抜かなかった自分を褒めてやりたいが、傍から見れば未熟な新人を通りすがりの門番がただ無意味に脅している光景で。


「おっそろしぃ~。おいツバキ、眉間の皺がやべぇぞ~」


 そんな緊迫した空気を和らげるような飄々とした声が聞こえたかと思うと、ポンと肩を叩かれる。

「ハロ~新人くんたち! ごめんな~こいつ、今機嫌悪くてさ~すっげぇ怖い顔してるけど、本当は優しい先輩なんだよ~?」

 怯える四人組へ、にこりと人好きのする笑みを浮かべた褐色の肌に金髪の男が、気安く肩を組んできたので、ツバキは思いっきり舌打ちを返した。

「……けど、根も葉もない噂話は、あんまり気軽に口にするもんじゃないよ~ってことだけ、覚えといたほうがいいかもな!」

 じゃぁ解散、と男が手を叩くや否や、四人組はわたわたと逃げ出すように離れて行った。

 それを見送ってから、ツバキは深く息を吸って息を吐き、荒ぶる内心を落ち着ける。

 我ながら大人げないことをしたというのは理解していたが、後悔も反省もしていない。あれはツバキにとって許すことができない類のものだ。

「アイリスさん……見てたんなら、さっさと止めてくださいよ」

 代わりに、残った苛立ちを、助け舟に入った男――門番役の交代要員であるアイリスにぶつける。

「いや~現役と新人の交流は、大事にしなきゃね~」

「ぶん殴りますよ」

 本当にそう思っているのかはわからないが、へらへらと笑うアイリスは、飄々としてつかみどころがない曲者である。

 アイリスは、南の地ゲールにある【黄薔薇の庭】所属の人間の祓魔師で、時々応援要員として【白薔薇の門】に派遣されてくるのだ。

「……てか真面目な話、白薔薇の幹部、近いうちに決まるかもしれないぜ」

 いつも明るくうるさい声を潜めたアイリスが、そうツバキに囁いてきた。

「……ついに? 他方からの引き抜きですか?」

 今【白薔薇の門】に所属する祓魔師は、大抵が新人で、幹部になれるほどの実力のある人材はいない。

 ツバキの言葉に、アイリスは違う、と首を横に振る。

「いや、反神代派のただの使えない上の言いなり野郎が来るかもしれない」

 神代というのは、祓魔師組織【野薔薇】の現総司令、実質のトップである。

「どういうことです? 戦力外が幹部になったって、意味ないでしょうに」

「リコリスさんを超える人材なんて、そうそういないのはおまえも分かってるだろう? あの人、規格外」

 アイリスは、リコリス――現役幹部時代のユリウスのことをよく知っている人間だ。

「……で、五代幹部のうち、今二人代理なんだよ」

 一つはここ【白薔薇の門】、もう一つはどこだ、とツバキが眉をひそめれば、アイリスが説明する。

「二年前の抗争のせいで【青薔薇の塔】も今、代理なんだよ」

「えっ……アリアさん、殺られたのか」

「いや、生きてはいる。ただ、……意識不明のまま、現在まで目覚めない。だから今、ハイドさんが青薔薇の代理幹部だ」

 コードネーム・ハイドランジアは、【青薔薇の塔】の実質ナンバー2の実力を持つ祓魔師なので、それは納得だ。

「そんで、二年前の抗争で【白薔薇の門】の人的被害がひどかったのは、幹部が代理だったからだ~とかいって、代理のところは誰でもいいからとりあえず幹部を決めろ、って上層部が」

 上層部とは、中央本部【赤薔薇の城】に所属する、高齢により現役を引退したが、隠居せずに未だに組織に対して無駄に強い発言権だけはある元祓魔師たちを指す。

 ユリウスと放浪生活を送っていたため、二年前の抗争に参加していないツバキは、詳細を人伝か資料でしか知らないのだが、相手の言い分が屁理屈であるということくらいはわかる。

「腐った蜜柑どもか」

「それに青薔薇の代理幹部は、絶賛反抗中~。アリアさんは生きてるからな。ハイドさんは青薔薇幹部を、アリアさん以外認めないだろう」

 認めなくても、実際、現役祓魔師たちに幹部の決定権はない。従う従わないはさておき、上が決めた命令が絶対だ。

「一時的に、ハイドさんが幹部引き受ければ?」

 あの人なら幹部候補の実力はあるでしょ、とツバキが言えば、そうなんだけどな~とアイリスは肩をすくめる。

「頑として、幹部はアリアさんだから自分は代理幹部でいる、と主張中~」

「これまためんどくせぇな……」

 そこは嘘でも引き受けとけば、誰も文句言えなくなるだろうに。

【青薔薇の塔】の連中は身内意識が強いから、融通が利かない節がある。

「そ、だから、青薔薇はほっといて、白薔薇だけでも強引に決めちゃえーって」

「……それに白薔薇の代理幹部は?」

「【紫薔薇の園】に異動、っていうかもともとそこにいた人だから、戻されたというか」

 もはや止められるものは誰もいない、お手上げだとアイリスはおどけたように言う。

「俺、所属変えてもらおうかな……」

「そしたら、おまえ、リコリスさんの付き人任務、外されるぞ」

 所属幹部が面倒な相手になるくらいなら異動したい、と半ば本気で思ったツバキだが、アイリスの言葉に思いとどまる。

「それは困る……」

 今、神父がいるウィスティリアの町は、西の地ヴァイスにある、つまりは【白薔薇の門】の管轄地だ。

「まぁ、おまえは、ほぼ拠点にいないから大丈夫じゃね?」

「無責任な発言は慎んでくださーい」

「いや、おまえの場合、リコリスさんが絡んでくるから……神代総司令が手出しさせないだろうな、って」

 アイリスの言葉に、ツバキは返答に詰まると同時に少しだけ安心した。

 神代総司令は、五年前に起こった事件の詳細を知っている、唯一の人間だ。

 五年前の事件について、詳細を語れるのは唯一の生き残りであるツバキと、緊急事態の知らせを受け駆け付けたユリウスだけだった。

 事件後ツバキはしばらく生死の境をさまよい吸血鬼化し、その間ユリウスは一人で仲間たちを弔い、遺族に説明に行き、自身の事情も事件の詳細も一切語らず、ただ「全ては私の責任です」とだけ告げ、幹部の座を降り、【野薔薇】を脱退した。去り際、総司令である神代にだけは、事情を語ったようだが、それは口外されることはなく、回復したツバキもまた、総司令にだけは全てを語り、それ以外の人間には「覚えていません」と語らなかった。

 一つの拠点が一夜にして、しかもたった一人の吸血鬼の手により壊滅状態に陥ったこの事件について、他の拠点に何もなかったと隠蔽できるはずもなく、詳細を報告しようにも唯一語れる者が口を閉ざし、真実は総司令のみぞ知る状態となった。

 のちに、この五年前の事件のことは、事情を知らない心無い者たちによる陰口と憶測の噂話が独り歩きしていく形となり、先ほどのように新人たちにまで知れ渡っている。

 五年前の事件は、ユリウスのせいではない。

「もしその吸血鬼に遭遇したら、逃げなさい。絶対に、戦ってはいけません」

 当時【白薔薇の門】に所属していた人間全員に、彼は自分がある吸血鬼に狙われていることを語った。

 万が一遭遇した場合は、戦うな、逃げろと、その対処法および逃走するための転移の術式を組み込んだお守り袋を常に携帯させるなど、自ら徹底して周知していた。何度も何度も、言い聞かせていた。

 それなのに。

 戦うな、逃げろ、と耳が痛くなるほど言い聞かされていたのに。

 五年前の事件は、ユリウスの忠告に従わなかった自分たち、当時【白薔薇の門】所属していた全員のせいだ。

 勝てると思っていたのだ。誰もが、侮っていた、驕っていたのだ、たった一人の吸血鬼ごときに、要塞でもあるこちらの拠点で、【白薔薇の門】総員で、負けるわけがないと。自分たちでそいつを倒して、ユリウスを解放してやろうと、みんなで挑めばそれができると、思い上がっていたのだ。

  そして、ユリウス不在時に、ふらりと姿を現した一人の吸血鬼を、逃げずに総員で迎撃すべく立ち向かい、惨敗した。

 ユリウスの警告を、本当の意味で、誰も理解していなかったのだ。

 ツバキは、彼らを止めることができなかった。

 彼らの思い、彼らの行動の原動力は、皆同じだったから。ただ、尊敬する、敬愛する、憧れの幹部であるユリウスの力になりたかった、それだけだ。 

 ツバキは駆け付けたユリウスに間一髪のところで救われ、彼はたった一人で敵を葬った。後でわかったことだが、襲撃してきたのは本体ではなく、影による分身だったという。

 もし、この事件の真相を他の人間が聞いたとしたら、きっとこう思うだろう。

 身の程知らず、なんて愚かなことを、自分の力量もわからずに、馬鹿な真似を、無駄死にだ。

 わかっている、自分たちの行動がどれだけ無知で愚かで無謀だったかなんて、言われなくてもよくわかっている。だからこそ、他の誰にもそんなこと言わせたくなかった。たとえそれが間違っていない事実だとしてもだ、命を散らした仲間のことを誰かにとやかく言われたくなかった。現場にいなかった人間に、彼らの思いがわかるわけがない。それを愚かな行為だったと言われることだけは、馬鹿な真似をなんて言われることだけは、仲間を貶されることだけは、どうしても許せなかった。

 だからツバキは、口を閉ざした。おそらくユリウスも、すべてを察した上で、何も語らなかった。真相を聞いた神代総司令も、遺志を尊重して口外しなかったのだろう。

 

「ツバキ、大丈夫か?」


 心配そうなアイリスの声に、ハッと我に返ったツバキは、思い出してしまった重い気分を振り払おうと、頭を横に振って暗い思考を追い払う。

「……じゃあ俺、帰るんで」

 拠点に戻ってきた目的、定期報告と墓参りはもうすませてある。

 ツバキは帰りがけに呼び止められて、門番役を押し付けられていただけなのだ。

「えっ、もう? あっ、そうだ、最後にひとつだけ」

 さっさと交代して帰路に着きたいツバキは、めんどくさそうにアイリスを見上げる。

「昼間は、人間に気をつけろ。……ツバキは、昼間動けないから注意するの難しいだろうけど、一応リコリスさんには忠告しといてくれ」

「どういう意味です?」

「最近、俺のとこ……ゲールで、若い女の子の誘拐事件が多くてさ、しかも犯行時間は真昼間。そんで調べてたら、驚きよ。犯人はただの一般人。人身売買ってやつ? ……人間が人間を、吸血鬼に売ってたんだよ」

「……そいつら洗脳されてた、とか?」

 昼間活動できない吸血鬼が、人間を操り意のままに動かしたり、脅して無理やりいうことを聞かせたりするやり口はあるにはある。

 そう思ったツバキだが、アイリスは違うと顔をしかめ、苦々し気な口調で吐き捨てた。

「いや、正常。正常な人間が、金目当てに吸血鬼相手に商売してた」

一般人は捕縛して、吸血鬼は殲滅しといたけどな、とアイリスは語る。

「……嫌な世の中ですね」

 伝えときます、と短く告げてツバキはアイリスに背を向けた。

 リコリスさんによろしくな~、と叫ぶアイリスの声を聞き流しながら、そのまま拠点を後にした。

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