第3話:BARカゲロウ

 ウィスティリアの町にある、BARカゲロウは、人間と共存する吸血鬼一族――陽炎一族が経営する、協会の管理下で合法的に血を提供する吸血鬼のための店である。

 昼間は休み、営業時間は、日没から夜明けまで。

 今夜は特別に店は貸切となっており、今はカウンター越しに向かい合ったバーのマスターである陽炎一族の吸血鬼オスカーと今夜の特別客ユリウス神父しかいない。

 この店唯一の人間の店員であるルークは、今回の件の当事者であるアイザックを呼びに行っている。もうすぐ帰ってくるはずではあるが、ひとまずオスカーは、酒類は飲まないというユリウスの前へ、絞った果実を混ぜた水のグラスを置く。

「すみません。わざわざ貸切にして頂いて……」

「いえいえ、お気になさらず。……元はと言えば、ウチのアイザックがやらかした件の詫びでもあるんで」

 神父に対する吸血行為と無用な戦闘行為、そして協会の領域侵入と結界の破壊。オスカーは頭が痛くて仕方がない。

「……それに、あんたの特異体質はバカにできないし、こっちだって万が一な出来事が起こったらまずいわけで、店なんか開けませんって」

 オスカーの言葉に、ユリウスは居心地の悪さを覚える。

 もう終わったことの詫びなんていらないし、できれば関わらないでほしい、というのがユリウスの本音であるが、彼らの招待を断れずにのこのこやってきた自分にも非はある。

 まさか、数日前の昼間に協会を訪れてきて世間話をした町の青年が、ルークだったと知った時は驚いた。人畜無害な青年こと、神父と同じレアブラッドの血を持つこの店の店員であるルークから、先日のアイザックの非礼を詫びるため「みんなを連れて協会に挨拶に行っていい? それとも神父さんが俺たちのお店に来る?」という究極の二択を突きつけられ、吸血鬼である彼らに協会に来てもらうのはさすがにどうかと思い、現在に至るのだが。

 ユリウスに流れる血は、一般人とは異なる質を持つ。

 たった一滴でも、彼ら吸血鬼の理性を一瞬でなくさせるほどに危険であり、同時に彼らにとっては、なによりも濃厚で甘美な香りを漂わせる極上の血液だという。しかしユリウスは自分の血を、中毒性のある危険な麻薬のようなものだと思っている。

「うん、確かに、あんた無臭だな。アイザックが気にしてたのもわかるわ~」

 花や動植物、生きとし生けるモノに匂いがあるように、人間であれば、嗅覚の鋭い吸血鬼には必ずなにかしらの芳香が嗅ぎ取れるものなのだが。

 この神父からは、体臭が薄いとかそんなレベルではない、不自然なくらいまったく匂いがしない。

「あぁ、それは……霊札のせいですね」

 そう言ったユリウスは、詰襟で隠された襟元を引き下げて見せる。

 ユリウスの左首筋には、幼いころ吸血鬼に噛まれた際に刻まれた痕がある。

 花の形のようなその痣は、吸血鬼が自らの所有物と定めたものに刻むものであり、また居場所を特定するための目印でもある。

 ユリウスは、その呪いのような痣の効果を、霊札を貼ることで無効化しているのである。

「ふ~ん匂いは消せても、味は変わらないのかな」

「はい?」

 ふいにオスカーは、カウンターの内側から腕を伸ばしてユリウスの細い顎を指で上向かせる。色のついたガラスの眼鏡越しに、オスカーの赤みを帯び始めた瞳を視とめかけて、ユリウスは反射的に目をそらした。

 吸血鬼の赤く染まる瞳を直視してしまうと、その瞳が持つ魔力に捕らえられ、金縛りにあったように身動きがとれなくなるのだ。

「オスカーさん、ちょっと……」

 冷たい指がそっと肌に触れる感覚に戸惑い、抗議の声を上げたユリウスは小さく息をのむ。それにかまわずオスカーはそのまま指を滑らせ、静かに脈打つ首筋を優しく撫でる。

「――確かめさせてよ」

 冷たい指と陶酔したような囁き声に、ユリウスはゾクリと背筋を震わせる。

 オスカーから害意は感じない、おぞらく質の悪い冗談、戯れているだけなのだろうが、首筋を往復する指の感触がくすぐったく、時折肌にこすれる爪が少し痛い。


「何してる」


 ふいに不機嫌そうな声が聞こえ、ユリウスの後ろから伸びてきた手が、首筋に触れていたオスカーの腕をつかんだ。

 ほっと息を吐いたユリウスが見上げると、夜の空を溶かしたような髪と灯火色の瞳の男――アイザックが不愉快そうにオスカーを睨み付けていた。

 その横には、白金色の髪の青年――ルークが微笑みを浮かべて見守っている。

 どうやらアイザックを呼んで、戻ってきた所のようだ。

「おぉ怖っ……ちょっとくらい、味見させてくれてもいいじゃん」

 冗談なのか本気だったのかユリウスには分からなかったが、拗ねたようなオスカーの言葉にアイザックの目つきが一層鋭くなった。

「やらねぇよ」

「レアブラッドを目の前に、お預けとかつらいわー」

「コイツは俺のだ」

「アイザのケチ」

「いえ、私は彼の所有物では……」

 アイザックの言葉に、ユリウスは反論しようと口を開いたが、残念ながら聞き届けられない。

 というか、人の頭の上で口論するのはやめて頂きたい。

 どうしたものかと、隣の席に避難しようかと考えたが、動く気配を察したのか、肩におかれたアイザックの手に阻まれ動けなくなった。

 挙句の果てに、静観していたルークまでもが口論に乱入し始めた。

「ひどいよ、マスター……俺がいない間に、ユリウス神父に手を出そうとするなんて……!!」

「ちょっ……ルーク、まぎらわしい言い方するのやめてくれない?」

「これって浮気だよね、アイザ!! マスターは、もう俺の血なんかいらないんだ……」

「なんでそうなる!?」

「俺だって、ユリウス神父と同じレアなのに……!!」

「ちょっ、人の話を聞け、ルーク!!」

 ルークの言葉が冗談であるのは明らかにわかったが、それを本気にしてうろたえるオスカーの様子は、少し面白かった。


 ***


「それにしても驚きだよなぁ……ルークの他にも、レアが存在してるとか……」

 ようやく落ち着きを取り戻し、カウンターに三人並んで、オスカーに出された飲み物をそれぞれ傾ける。

 “貴重なレアブラッド”と呼ばれる、この血を持つ人間は、吸血鬼に吸血されても吸血鬼化することはない。特別な血であり、吸血鬼たちにとっては極上の血液である。

「……私も正直、驚いています」

 水を飲みながらユリウスが小さく同意する。

「俺も驚いた! 案外レアって探せば、ホイホイいるんじゃない?」

 オレンジ色のカクテルをジュースのように飲み下しながら呟いたルークに、オスカーが呆れて言葉を返す。

「阿呆。そんなにいたら、レアじゃないわ」

「そうですね。レアは大変稀少で、一般では認知されていませんし」

「えっ、そうなの?」

 ユリウスの言葉に、ルークは首をかしげた。

 どうやら同じ血を持つ者でも、それに関する知識には差があるようだとオスカーは思った。

 それにしても、ルークは無知すぎるとも思ったが。

「えぇ。ですから、輸血するような事態になると、我々は確実に困ることになります」

「確かに……一般で言うAB型のRhマイナスみたいな?」

「提供者ゼロなんだから、それよりヤバイだろ」

「わぁ~案外ピンチなんだ」

 ルークの声には、言葉ほど危機感がない。

 ほんとにこの子よく今まで狙われながら生き延びてこられたな、と思うが口には出さないオスカーである。

「レアが、目の前に二人もそろうなんて……一種の奇跡。てか、普段ルーク一人でもギリギリなのに、二人もいるなんて……反則だわ!」

 吸血鬼からすると、レアブラッドの人間は、他の人間と匂いが全然違うらしい。

 人間であるルークとユリウスには、まったくわからない感覚だ。

「俺の自制にも、限界ってもんがあるわ!」

「やらねぇぞ」

 アイザックの瞳が剣呑に眇められ、渡さないとばかりに隣の席のユリウスの肩を抱きよせる。

 突然の動作に、ついていけないユリウスはされるがままだ。

「おぉ怖っ。わかってるわ。おまえのお気に入りに、手ぇなんかださねぇよ」

「さっき出そうとしてたけどね!」

「まだ言うかルーク……」

 ニッコリと微笑んで告げるルークに、オスカーはガックリと肩を落とした。


 ***


 しばらくしてバーの扉が開かれ、肩に小さな蝙蝠を乗せたツバキが入ってきた。

「神父ー。迎えに来ましたよー……うっわ、ありえねぇ何この光景」

 稀少な血を持つ人間二人がそろっているのを見て顔をしかめたツバキに、オスカーが言葉をかける。

「二人とも、巡回おつかれさん」

「ツバキくん。見回りお疲れ様でした」

「神父、俺ルークさんの血に耐性ないんで、早く帰りましょう」

 この匂いはきつい、と腕で鼻を覆うツバキは、オスカーに軽く会釈してから、すぐさま立ち去りたそうな表情でユリウスに声をかける。

 ルークは、ツバキの肩に止まっていた蝙蝠に声をかける。

「ジョシュアもおかえりー」

 蝙蝠はツバキの肩から飛び立つと次の瞬間、少年の姿へと変化して地面に降り立った。

「今日も特に異常はないっス!」

 ジョシュアは、明るい声でアイザックたちに巡回の報告をする。

「……では、迎えも来たので、私はそろそろ帰らせていただきます」

「えっ、もう? もっとお話ししたかったな~……またきてね!」

 また、とさもそれが当たり前であるかのように屈託なく告げるルークに、申し訳ない気持ちを抱きつつも、ユリウスは今夜の招待に応じた目的をハッキリと告げる。

「いえ、申し訳ありませんが……私がこちらにお邪魔するのは、今夜が最初で最後です。――失礼ながら、今後私に一切関わらないで頂きたい」

 しん、と一瞬室内を沈黙が支配した。

 言われた言葉の意味を理解したルークが、戸惑ったようにユリウスを見やる。

「えっと、何か、気に障ることした、かな……俺たち?」

「してるだろ、こいつが」

 こいつとアイザックを指さすオスカーに、ユリウスは、それは関係ないと首を横に振る。

「私に関わらないことが、この町のためでも、あなた方のためでもありますので」

 この町に来た際、事前に町長に説明した時と同じように、大事な事だけを必要最低限告げるにとどめ、事情を詳しく説明する気はなかった。

 個人的な事情に、この町を、彼らを巻き込むつもりもなければ、関わらせるつもりもない。

 入口に佇んでいるツバキも特に何も言わない。

 それでは、と言いたいことは告げたとばかりに立ち上がるユリウスの左腕を、それまで黙っていたアイザックが、待てと掴んで引き止める。

「……何か?」

 ユリウスの淡々とした声には答えず、アイザックはそのまま彼の左手を取ると、つい先日うっかり噛み痕を刻んだばかりのその手の甲に、恭しく口づけを落とす。

 あまりにも自然な流れに、ユリウスは反応が遅れた。

「――ッ」

「気を付けて帰れよ」

 吐息とともに低く囁かれた言葉と同時に、防衛本能から繰り出されたユリウスの拳はアイザックの逆の掌によって受け止められた。

 かなり痛そうな音が響いた。

「……失礼しました」

 我に返ったのか、淡々とした口調で拳を引っ込め、何事もなかったように踵を返してユリウスが立ち去り、呆れた顔のツバキが追って出て行ったのを、残された者たちはなんといえない表情で見送った。

「おっ、まえは、ホントに……何考えてんの……!?」

 今そんな空気じゃなかったよな、と目をむくオスカーに、展開に戸惑っていたルークも笑いだす。

「でもあれは、完全に脈なしだよ、諦めなアイザ……」

 慰めるようなルークの呟きに、アイザックは殴られた掌をひらひらと振りながら、獰猛な笑みを浮かべて見せた。

 その灯火色の瞳は、諦めるつもりはないとでもいうように、ゆらりと楽し気に輝いていた。

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